プロローグ
よろしくお願いします。
この物語はフィクションです。登場するすべての医療記述、医学、薬学に関する記述はすべて作者の想像であり、現実する物とは異なりますのでご注意ください。
その日は少し忙しかった。
いつも通りに申し送りしてから、入院患者の回診。そこからの手術が4件。夕方にはミーティングしてからの病棟巡回。帰ろうとした矢先に、急患の手術が1件。
気が付けば昼食もろくに摂らずに、夜になっていた。
そんなことがあって、その日は気が立っていたし、疲労も限界だった。だからこんなことになったのかもしれない。バス停に立つ私の目の前に迫りくる大型トラックのヘッドライトを見つめながら…薄れゆく意識の中でぼんやりと考えて、やがて、意識を手放した。
「ここどこ?」
次に目覚めた時には真っ白な世界だった。最後の景色が勤め先の病院だったから、病室にでも運ばれたのかと思ったが、どうやら病室ではないらしい。その証拠に窓や天井は見つからない。…そこにあるのはこまでも続く白い空間。
「やあ、おはよう。」
「…?」
何もなかった空間にポンッと音を立てて現れたのは光の玉だった。思わずその球体に手を伸ばすと、まるで意志を持つようにスイッと球体は私の手をよける。
「すまんが、私には触らないでくれ。この姿で触られるといろいろと問題があるのでな。さて…お前は佐倉彩芽で間違いないか?」
球体に聞かれて、何も考えずにうなずいた。あれ?球体って目がついてないけどわかるの?
「よし。では彩芽よ。今回のお前の死は間違いだった。すまん。」
「はぁ?」
まるで挨拶でもするようにさらりと放たれた言葉に、私は思わず声を上げた。
「新人の死神が鎌の角度を間違えてな…。本当なら、お前の隣にいた妊婦とその胎児が死ぬ予定だった。」
「…!?」
「まぁ、驚くのも無理はなかろう。しかし、道理から外れてしまった以上お前の魂は同じ世界への転生の輪には戻れないのだ。」
突然の球体の話を私はただ聞くことしかできなかった。
間違えて死んだ?死ぬのは妊婦と胎児だった_?じゃあ、私が死んだからその二人は助かったの?同じ世界への転生の輪?
次々と疑問が浮かんで頭が混乱している。ああ、やっぱり最後のオペが原因だったのかな?あの急患がなければ私はその時間あそこにいなかった。あの手術がなければ、命を落とすような出来事に巻き込まれることもなかった?でもそれじゃあ、妊婦と胎児が死んでいた?
「おい?聞いているのか?」
不審そうな視線を感じて私は球体に意識を戻した。いや、球体は目がないんだけどね。
「ごめんなさい。話が突拍子もなくて付いていけないわ。それに、私が死んだってことは、死ぬはずだった妊婦と胎児はどうなったの?私があそこにいたのは、最後の手術が…?」
「彩芽、落ち着け。」
混乱しだした私に優しい声がかかり、私はハッとして大きく息を吸った。いけないいけない。落ち着いて。焦ってはないもできない。
「突然のことにお前が混乱するのもわかる。まずは、お前の質問に答えよう。本来死ぬはずだった妊婦と胎児は生きている。お前が身代わりになったことでお前の天寿を分け与えられて、あと数十年は二人とも生きるだろう。そして、お前があの現場に居合わせたのは最後の手術が原因ではない。お前があそこにいたのはすべて定め。誰が悪い訳でもなく、何の因果もない。すべては決まっていたこと。…うちの死神が間違えたこと以外だが。」
淡々としていた声が、次第に低くなり、最後の言葉ではついに地を這うような恐ろしさをにじませるものだった。無意識に肩が震える。しかし、球体の言葉は不安と不満、虚しさに満ちていた私の心に驚くほど自然にストンっと落ち着いた。
「お前には悪いことをした。もう同じ世界では転生できん。その代わり、謝罪として新しい世界を用意した。そして、いくつか望む能力を与えて新しい生を与えることにする。」
「新しい世界?」
「そうだ。今まで暮らしていた世界とは時間の進みも、信じる神も、暮らす者たちもすべて異なるが、同じように人間が生を受け死ぬ世界。どうする?」
「どうするって…。」
突然突き付けられた選択肢。いや、まだ、自分が死んだことすら実感ないんだけど。それに自分が死んだ後どうなったのかも気になる。担当していた患者やオペ後の様子とか…。そこまで考えたところで、私はハッと自分の状況を思い出した。
…あ、私もう死んでるんだったわ…今更そんなこと聞いても何の意味もないじゃない。もう…戻れないんだから。
「悩むべきとところだろうが、実のところ時間がない。それに、この話を断った場合、転生の輪に入れないお前の魂はずっとこの空間をさまようことになる。」
「はぁ?じゃあ、初めから私に選択肢なんてないじゃない。」
球体をにらむとなぜか、それは少し私から距離をとった。いや、もう目がないとか言わないよ。
「うむ。そうだな。余計な話だったようだ。では、これからお前の転生する世界を説明する。」
球体は気を取り直したように、私より少し高い位置でどこか得意げに揺れた。
「転生する世界はレムリア。魔法と精霊と獣人と人間が暮らす世界だ。転生にあたりお前が望むものはあるか?」
「え?…いきなり言われても…。」
転生することでどうやら話は決まったらしい。もちろんこの白い世界を永遠にさまようなんて御免だから、しょうがないのだけれど。
異世界転生か…。魔法と獣人と精霊…どれもにわかには信じられないものばかりだし、想像もつかない。んー…。
「じゃあ、まず一つはお金に困らないこと。最低限の生活は保障してほしいわ。それと…家族がきちんといること。」
少し考えて出てきたのはその二つだった。
幼い時に両親はなくなった。その当時、我が家は貧乏で毎日の食事すらままならず、風邪をこじらせた父は早くに他界し、母もその後を追うように病魔に倒れた。
私が医師を目指したのはお金がない人たちにも医療を提供できるようになりたかったから。フリーランスの外科医として、一年の半分を国内で過ごし、もう半分は野戦病院や船医として海外に生活していたのは少しでも多くの命を救える知識と戦う腕が欲しかったから。
まぁ、その思いも中途半端に終わってしまったけど。
「…うむ。わかった。ではお前の望みは叶えよう。お、そうだ。私からもいくつか付け足そうかの。」
「いくつかって何よ?」
「お前が生きている間に身に着けた医学の知識、前世の記憶を贈ってやろう。他は…まぁ役立ちそうなものを少しだな。」
「…え?!」
「お前が今の知識を得るためにどれほどの努力をしてきたのか調べさせてもらった。その努力への褒美と夢の半ばで命を取り上げてしまった事への謝罪だと思ってくれ。」
言い終わった球体の体が少し強く発光した。眩しくないその光はどこか暖かくて懐かしさを感じさせる。父と母と小さな食卓を囲んだ時のような心の温かさだった。
「話は決まった!ではこれより転生を開始する。」
次の瞬間、球体から視界を全て奪うような強い光が発せられ、私は思わず目をつむった。
「新しい世界でお前の思いが成就することを願っている。」
その言葉が聞こえた瞬間
パーーーンッ!!
耳をつんざくような破裂音とともに私の意識が消えていった。