第4話
フライアは即座に反応した。
数秒前のオスカーの忠告が功を奏し、彼女は素早くオスカーの手を引きつつ一撃目を躱すことができた。
この怪物――紫獅子とでも呼ぼう――は鬣を逆立てて、鋭い牙をむき出しにし二人に狙いを定めている。
オスカーは焦っていた。
紫獅子を2年前にすでに一度見ている彼は、その脅威を体験的に知っていた。そして、そのときも今もこの獅子があの悪夢の始まりとなった不定形の巨大な怪物と同じくらい危険な存在であると感じていた。
「フライアさん、逃げることは可能ですか?」
「おそらく無理。相手に隙を見せるだけになる」
フライアは視線を紫獅子に向けたまま、早口でそう答えた。もはや、彼女には話す余裕すらないようだ。
剣を構えたまま、オスカーに離れるよう合図する。
オスカーが一歩下がった瞬間、闘いの火蓋が切られた。
フライアは相手よりはやく距離を詰め、剣の間合いに入れる。脅威となるであろう突進攻撃を防ぐためである。
牙や爪による攻撃を剣でいなすか躱すかし、生じた隙に滑り込ませるように顔に向けて斬撃や刺突を加える。がしかし、紫獅子の皮はあまりにも硬く刃は通らなかった。
獅子の爪と少女の剣がぶつかって互いの距離が少し長くなる。両者のせめぎ合いに束の間の休息が訪れた。
一瞬の攻防。オスカーは紫獅子と互角に渡り合うフライアの剣の腕に舌を巻いたが、このままではジリ貧であることも理解していた。
このままだとフライアは負ける。殺される。そのときは自分も死ぬ。
彼女とは少しの間しか関わっていないが、眠っていた彼の心を呼び起こしたのは紛れもなく彼女であった。だからこそ、決して死んで欲しくなかったし、もっと一緒に旅をしたいとすら思っていた。
さらに――別に、彼は自分の命が惜しいわけではなかったが――故郷の最後の生き残りである自身が殺されて、故郷の全てが跡形もなく消滅することは許せなかった。
(――何かしなければ。僕が動かないとまた全てが奪われてしまう)
彼がそう考えているうちに、フライアと紫獅子の二度目の衝突が起こっていた。
フライアは体表が駄目ならと、隙を狙っては獅子の眼に攻撃を加えようとした。しかし、異常な反射スピードで瞼が閉じられるためやはり攻撃が通らない。
獅子は低い姿勢から、彼女の脚をめがけて前足を大きく振った。その攻撃を大きく跳びあがって躱し、着地する前に背後から獅子の背中に向かって渾身の力で剣を振り下ろす。
――この一撃が、転機だった。先程までの硬さが嘘のように刃がざっくりと獅子のからだを切り裂き、鮮血が散った。
ここを好機とみたフライアは返す刀で脇腹にもう一撃叩き込んだ。だが、今度は刃が通ることはなかった。
この行動は悪手だった。先程の一撃にも関わらず、紫獅子は素早く後ろに向き彼女の二の腕を引き裂いた。
彼女は焼けつくような痛みに耐え、剣を握りなおす。
オスカーの焦燥は加速する。今の攻防は疑問があまりに多い。
まず、刃が初めて通った一撃。胴体が弱点なのかと思えばそうではないようで、二撃目は効果がなかった。
また、獅子の傷口は明らかに重症で、普通の生物なら動けないはずだ。出血も止まる気配がない。
後者は痛みを感じない生物だと仮定すれば納得はいく。もともと普通ではないことは分かっていたのだから、それくらいは理解に難くない。
だが、前者は?一度目の攻撃が通ったとき、これまでの情報から考えても獅子の胴体が弱点だろうと思った。そう判断した理由はいくつかある。
ひとつは、獅子の頭が胴体に比べて大きく、的になりやすそうであったから。頭が大きくならなくてはならないのならば、顔面の表皮が発達した個体に進化する可能性は十分にある。また、事実それまでフライアも獅子の顔を狙って攻撃をしていた。
あるいは、獅子が突進という攻撃方法を使ってきたから。前足や牙で相手を狩るような動作ではなく、その凄まじい運動エネルギーをぶつける攻撃は、オスカーが知る限り肉食獣の行動とは思えなかった。そんな方法で狩りを続けていたのなら、普通は頭が割れるか、顔面がぐしゃぐしゃになるだろう。
いや、理由など考えても無駄だ。獅子の弱点は胴体ではなかったのだから。二擊目は脇腹に入ったはずだ。どう考えても、背中より刃は通りやすそうなものなのに、何故かはじかれた。
だったら、もし後天的に弱点となったのだとしたら?弱点に見てわかる特徴はない。なぜ――
オスカーの頭の回転が加速する。そしてひとつの結論にたどり着いた。
(でも、どうやって?もっとよく考えろ……!)
フラインの傷はかなり深い。早く手当てをしないと命に関わるだろう。そのことが、オスカーをさらに焦らせる。深く考察する時間はない、そう思った彼はすぐに行動にでた。
「フライア!さがって!」
その言葉はフライアを混乱させたが、何か策があるのだろうと思い、彼女は獅子の虚をついてオスカーがいる方へ大きく後退した。
一方、獅子は彼女を逃がすまいと距離を詰めるために脚にぐっと力をこめた。突進の構えである。
次の瞬間、獅子が暴力的なまでの速度で突撃してきたことにしかしフライアは臆することなく剣を握り直した。
そんな彼女と獅子との間にオスカーは現れた。
フライアを庇うこと。これこそが起死回生の策であった。
いや、彼女を庇うこと自体はそれほど重要な要素ではなく、むしろ紫獅子の突進に立ちはだかることが彼の考える最善の策、すなわちフライアに限界が来る前に獅子を倒すか、逃げるための方法なのであったが。
彼が期待したものは、雷だ。
紫獅子の背中、それは2年前オスカーを襲ったときに雷に打たれたところである。これが獅子の弱点となったのではないか、そう考えた。
ただ、雷を誘発することは彼の知る限り不可能だ。しかし、ここで諦めれば確実に負ける。
ならば何をすべきか。あの日の状況を鮮明に思いだし、オスカーはひとつの結論に至った。
あの雷は偶然ではないかもしれない、と。たしかあの日は晴れていたはずで、雷が落ちることは異常中の異常事態だった。なら、なにかがトリガーとなって雷のような現象が起こったと考えられないことはない。
どうやって雷を落とせるかは分からないが、もし2年前の雷が自分を救ったというのなら、今この瞬間もそうであってもいいではないか。この考えがあまりに傲慢で、都合が良すぎるものだということは彼自身分かってはいたが、それでも信じた。
本来の彼ならそのような突拍子のない仮説を本気で信じることはなかっただろう。二人の命が危機に晒され、自分にはできる行動がないからこそ、――その上、最悪自分が死んでも彼女が生き残りさえすれば可能性はあると踏んで――自分の命をチップに勝算が限りなく薄い賭けにでた。
――その瞬間、空が光った。
激しい音と共に、雷光が獅子の体を貫いた。
彼は賭けに勝ったのだ。
しかし彼は驚きのあまり彼は即座にその事実を呑み込むことはできず、フライアに逃げるよう声をかけようとしたときには既に戦闘は終わっていた。
雷が落ちた瞬間のことだ。フライアの目の前には閃光が横切り、凄まじい音と共に獅子が大きく体勢を崩したのが見えた。
間、髪をいれずフライアははじめて怯んだ獅子の首に一撃擊加えたのだ。今なら攻撃が通るのではと踏んでの行動が功を奏し、先程までの硬い防御が跡形もなく、その一撃だけで獅子の首は両断された。
首を切られた獅子は流石にもはや動くことはなく、あの不定形の怪物と同じように、地面に吸い込まれるように消滅した。
長い闘いが終わった。フライアは少し辺りを見回したのち、警戒を解いてもよいと判断し、口を開いた。
「ありがとう、オスカー。助かったよ。……さっきの雷は、キミの魔法なの?」
「魔法……?」
魔法、という言葉に耳馴染みがなかったオスカーは感謝を伝えるのも忘れて聞き返した。
「魔法を使える人は少なくないらしいから、キミもてっきり知ってると思っていたのだけど。まあ確かに、さっきのは魔法なんて生易しい威力じゃなかったかもしれないけど……」
「『魔法』なんて初めて聞いたな。僕の村ではあんなことできる人はいなかったと思うけど……」
「まあとにかく、一番の山場は乗り切れたみたいだね。また、案内を任せてもいい?」
「その腕のまま進むつもりかい?何か押さえつけるものがあれば、手当くらいはさせておくれ」
「……ええ、ありがと」
「お礼を言いたいのはこちらだよ。僕を外に連れて行ってくれて、ありがとう。道中、助けてくれてありがとう。さっきの怪物を敵というわけじゃないけど、僕に代わって倒してくれてありがとう。生きていてくれて、ありがとう。……感謝してもしきれないくらい感謝してるんだ。ありがとう、フライア」
ふふっ、とフライアははにかんだ。
二人はもはや、他人行儀な敬語を使わなかった。生死すら共にした、仲間なのだから。




