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第2話

 (あお)い瞳の少年は、不快感を汗とともに拭い去ろうと――おそらくその不快感の大部分は汗によるものではないと彼自身気付いていただろうが――身を清めに洞窟の水たまりの水に浸かった。

 その水たまりは、洞窟の岩から染み出した水がたまってそれなりに深く広くなっており、さながら泉であった。また、不思議とすぐに水が入れ替わるため、常に清らかで飲み水にも使えた。



 この少年、オスカーは2年もの間ひとりで洞窟で暮らしている。

 彼が洞窟の外にでたことはその間ただの一度もない。それは2年前の心の傷によるところが大きいが、あの怪物たちが何故か洞窟に入ってこないことも理由の一つである。

 

 洞窟の中だけで生きてきたということは、オスカーはこの2年間、水を(・・・・・ ・・)飲むだけで生きてきた(・・・・・・・・・・)ということである。当然ながら、彼は人間なのでこれは普通ありえない話である。

 最も、彼自身はこの驚くべき事実に気づくほど心に余裕を持ってはいないのだが。



 彼が体を清め終わり、服を着てもう一度眠りに着こうとしたときだった。


 洞窟の外で何かが動く音がした。

 彼の心臓はうるさく鳴った。あの日の恐怖、絶望が脳裏によぎる。


 しかし、彼の心配は杞憂に終わった。暗闇の中、目を凝らして見えたものはあの透明の怪物でも、紫の獅子でもなく、人間の少女だった。


 オスカーは安心すると同時に少しだけ落胆した。彼女が村の人ではなかったからだ。


 なんと話しかけようかと戸惑っていると、少女のほうから声がかかった。


「……こんばんは。私はフライアといいます。この辺りについて何か知っていることがあれば教えてくれませんか?」


「僕はオスカーと申します。……ここからはなるべく早く去られることをお勧めします。あの怪物たちをご覧になったでしょう?」


 オスカーは彼女、フライアのいでたちから彼女は探検家か何かだと判断し、そう告げた。


「……フライアさん、夜が明けるまではこの洞窟でお休みになりませんか?どうもお疲れのご様子ですから。ああ、あれらはここには襲ってきませんからご安心ください」


 ふらふらとした状態のフライアを見て、オスカーはそう提案した。


「どうも、ありがとうございます。少しだけ、寝かせて……くだ……さ……い」


 フライアはそういうと倒れるように眠りについた。

 

 オスカーにとって人と話すことは2年ぶりだったので、内心強い感動を覚えていたのだが、それ以上にフライアという少女が限界に達しかけている状態だったので、感動を押しとどめてなるべく冷静にふるまった。


 オスカーは彼女の寝具に気を配れなかったことを後悔しつつも、彼女から少し距離を取り体の緊張を解いた。



 彼は先程の自身の言葉をもう一度頭の中に巡らせていた。


『ここからはなるべく早く遠ざかることをお勧めします』


 すなわち、あの怪物たちから逃げるということだ。

 何気なく口をついて出た言葉だったが、今までは考えたことがなかったことだった。村で暮らしていた彼にとって、住む場所を変えるということは無縁だったからである。


 それが本当に可能なのかは分からないが、自身の村のような犠牲を出さないために生きて外の世界へ行くことは生き残った自分の使命なのかもしれないと、オスカーは薄くなる意識の中そう思っていた。


 




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 夜が明けた。

 

 少女――フライアは洞窟の外からさす陽光のまばゆさに覚醒を促された。彼女は今の自身の状況を確認するように辺りを見回した。


 立ち上がって洞窟の外を見ると、オスカーと名乗った少年も同じように外に目を向けていた。昨夜は疲労のあまりその少年に強い警戒心を抱かなかったフライアだが、今朝はそれとは異なる理由、すなわち自分が無防備にも一晩眠っていたにもかかわらず今生きていることから彼が友好的な存在であると判断した。


 フレイアが起きたのに気付いたのか、少年は彼女のほうを向いた。

 そこで二人は、明るくなったことで互いの姿がはっきりと見えるようになったことに気が付いた。

 


 少女――フライアは肩まで伸ばした亜麻色(あまいろ)の髪に黒くも光を帯びた瞳をもち、鼻筋の通った紛れもなく整った顔立ちである。

 やや小柄で儚げな体躯ときめ細かな色白の肌は、二日間の一人旅をし、道中で例の透明の生き物を切り伏せてきたとはとは思えない、少女らしいものであった。

 腰には保存の効く食料が少々と、古い日記帳が入ったエンベロープバッグと、真紅の刀身をもつ片刃の小ぶりな剣が括り付けられていた。

 もっとも、バッグの中や鞘に収まった剣の刀身は少年からはみえないのだが。


 少年――オスカーは伸びっぱなしの薄群青(うすぐんじょう)の髪に、碧色(あおいろ)(青緑)の瞳をもち、知的な目元をした落ち着いた顔立ちである。

 身長は低くはないが、男性にしては体つきがどこか弱弱しいのは2年の間洞窟の水しか口にしていないからだろうか。

 村から逃げてきたときのままの服は、無論一着しかないため、定期的に洗ってはいるもののボロボロになっている。

 しかしながら、フライアにはそんな彼が何故か頼もしい存在のように思えた。



 フライアは、相手の姿を一呼吸早く観察し終えたオスカーに話しかけられた。


「おはようございます。昨夜はしっかりお休みになれましたか?」


「ええ、おかげさまで。ありがとう、オスカーさん」


「……名前、憶えてくださっていたんですね、フライアさん」


「恩人ですから。ところで、オスカーさんはどうしてここにいるのですか?」


「僕は……逃げたんです。村を……見捨てて。……なにもできなかった」


 辛そうに、悲しそうにそう語るオスカーの言葉にフライアは耳を傾けた。


 村を襲った怪物のこと。そこからなんとか逃げ延びて、この洞窟をみつけたこと。村があった場所にはもはや何もなく、紫の獅子がいて襲われたこと。幸運にもまた生き残って、それから洞窟で暮らしていること。そして、おそらく生き残りは自分だけであろうということ。


 ひととおり語り終えたのち、オスカーはこう言った。


「もし、フライアさんがご了承くださるのなら、僕を外に連れて行ってくださいませんか」


 フライアは彼を連れてゆくことのデメリットを理解していた。つまり、彼が今後の旅、特に戦闘で足手まといになるだろうということである。

 しかしながら、彼女はその申し出を受け入れたいと思っていた。知らない地で一人歩くよりも土地勘があるだろう彼とともに行動すれば安全なところに行ける可能性は高まる。それも理由の一つだったが、それ以上に彼女はもっと感覚的に、オスカーと共に行くことが最適であると判断した。むしろ、彼に魅かれたといってもいいかもしれない。


「それなら、ぜひ一緒に来てください。その方が私も心強いです」


 フライアは力強くそう言った。だが、返ってきた言葉はともすれば彼女の威勢を挫くようなものであった。


「……すぐに出発なさるわけではございませんよね?洞窟の隅のほうに岩清水が溜まっていますから、体をお清めください。水はすぐ入れ替わるので、ご遠慮なくお使いください」


 2日間着替えなどせず歩き続けたことを思い出したフライアは、年相応に頬を赤く染めた。

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