序章 出会い 3
「…っ!?」
俺は水面に映る自分の姿を改めて見て困惑した。今まで1度も着たことのなかった女物の衣装だけでなく、それを悠然と着こなせるような姿へと変貌しているのだ。顔や髪だけじゃなく、体つきや…詳しく言えないようなところも。そのいつもとは異なる感覚に絶句した。
「神は気まぐれですねぇ。えぇ、まさかこんなことになるとは。上手くいかないものです」
俺がすぐさま視線を移すと、仮面の男は歪に口角を上げニタリと笑っていた。上手くいかない…とは言葉通りの意味ではないのだろう。この状況すら奴の想定内なのではないか?そんな不安が拭いきれない。
現に男はニヤつきはするものの、表情は余裕そのものである。俺は体の傷はほとんど塞がったのに、意識がまだ上手く結びつかず、十分に体を動かすことが出来ない。まるで、自分の体じゃないかのような、そんな不思議な感覚を覚える。
「神降ろしは成功。くふふ、そして彼はまだ契約が不十分のようです、ならば今すぐにでも彼女に再契約を…」
「させないっ!」
噴水の裏側から突然現れた淡茶色の髪の女が仮面の男に大きな氷塊を放つ。男は「おや」と驚いたような声を上げながらもマントを翻して瞬時に防ぐと、氷塊は粉々になり周囲に飛散した。
「はぁっ!!」女は間髪入れず複数の閃光弾を放ち、周囲に散らばった氷の欠片に反射させて視界を奪う。俺も思わず目を瞑っていたが、気づいた時には既に女の小脇に抱え込まれて馬に乗っていた。
「っ!?あなたは…?」
「話は後で、今は逃げるのが先よ」
「戻ってくれ!アルカがいるんだ!アルカを助け───」
何か薬のようなものを打たれたようで、次第に意識が失われていく。その刹那「今の君じゃ、自分から死にに行くようなものだよ?」と言う女の言葉が聞こえ、胸に悔しさが込上げる。拳を握り締めようとするも、手に力が入らずそれすらも叶わない。
俺は未だに状況に追いつけないまま、謎の女に連れられて街を離れていく。視界に映るアルカの姿はどんどんと遠くなる。やがて深い暗闇の底へ誘われるように、俺の意識も遠のいて行った───
───「アルカっ!!」
目を開けた時、俺は少し古びたベッドで眠っていた。つい先程までの光景を徐々に思い出すも、血を失ったことによる全身の倦怠感や身体全体の違和感はすっかり嘘のように消えている。
視界に映る毛先の髪色や髪の長さまで元に戻っている、全て夢だったのだろうか?そんなことを考えていると、後ろからすぅすぅと寝息が聞こえてきた。
不思議に思い寝返りをうってみると、すぐ目の前に、自分よりも背の高い女性が、胸元の大きく開いた下着姿で眠っていた。
「なっ!?」
思わず声を上げると、寝ぼけ眼の女が目を擦りながら目を開く、大きな金色の目をぱちくりとさせた後、俺を品定めするかのようにじっとりと舐めるように見つめてきた。
「…ふふっ、初心なんだね。今目が覚めたの?」
「ち、違っ!って、先に服を着てください!」
俺が直ぐに目をそらすと、女は背中でクスクスと笑っている。すっと不意に首筋に触れられてどぎまぎしていると、何かを確かめるように髪に触れ、しなやかな指で優しく梳いてくる。
「…髪色も落ち着いたみたいね、熱もないし。顔は…ふふっ、まだ赤いけど、関係ないわよね?」
「ほ、ほっといてください!」
年上であろう女性との接し方が分からず、俺はさっきからいいように弄ばれてしまう。俺が反応する度に、女は楽しそうにコロコロと笑っていた。
「ところで…」
「君に聞きたいことがあるんだけど」と、女は耳元に顔を寄せて呟いた。字面だけなら妖艶な女性に誘惑されているようだが、首筋に添えられた短刀が、少しずつ、少しずつ、でも確かに肌に食い込んでいく感覚に血の気が引いた。
「…あなたは何者なんですか?」
「質問に質問で返すのは…良くないんじゃないかな?」
「…分かりました。でも、俺が話せることは少ないと思います」
「理解が早くて助かるわ」と、女は静かに微笑みながらも、目はしっかりとこちらを見据えていた。短刀を納め、イスにふわりと腰掛けると、さらさらと揺れる髪を片手でかきあげながら軽く膝を組んで余裕を見せる。
俺は自分やアルカのこと、仮面の男のこと、そして今日あったことについて話した。女は特に仮面の男の話に興味があったようで、真剣な表情で時折深く頷きながら思案していた。
「リオン…でいいかな?まとめると、君の幼なじみが本来の依代で、君はただ巻き込まれて依代になってしまったと」
「はい…多分そうだと思います」
「そして、組織のことや世界のことは何も知らないんだっけ?契約の時はどんな感じだったの?」
「えーと…噴水の傍で、紅い髪の女の子を見ました」
「紅い髪の女の子?その子は何か言ってたりした?」
「記憶を探して、と」
「私の記憶を探して」という少女の言葉を伝えた時、女は俯きながら何かを思案しだした。時折聞きなれない名前を呟きながら、神妙な表情により一層影を落とす。少し間が空いて、何かを決意したような眼差しに変わったあと、俺に向き直って優しく微笑んだ。
「自己紹介がまだだったね、私はリベット。さっきは急にごめんね、私にも色々あるからさ 」
「いえ…確かに驚きましたけど。それよりも、あなたは何故それほど詳しいんですか?」
「うーん…簡単に言うとね、私も依代のスペアだったんだよ───」
リベットが語った内容は、とても信じがたいものだった。数年前から、とある組織が各地で15歳から20歳の魔力適性や潜在魔力容量の高い少女を悪辣な方法をもって集めていた。その目的は、より依代に相応しいものを選別するため。リベットとその妹も組織に捕まっていたのだ。その組織の名は『ウス・エアーレ』
「ちなみに私は18歳よ」
「へぇ、3個しか離れてなかったんですね」
「あら、こんな所にナイフが…」
「3個も離れてたんですね!びっくりです!」
思わぬ所で命を投げ捨てる所だった。話を戻そう。リベットが命からがら抜け出した時には、妹はその桁違いの魔力適性から既に別の場所へ移送されていたらしく、リベットはその妹を探して各地を旅していたらしい。
その道中でこの街に落ちる光を依代に取り込ませる計画を知ったらしく、ちょうど街に着いたタイミングで男に殺されそうになっていた俺を攫ってこの宿に逃げ込んだ、というのが事の顛末だそうだ。
ちなみに、俺たちが今いるのは街から北へかなり離れた、北西領の下側に位置するカカム村らしい。メラミーアより北には行ったことがなかったのもあり、初めて聞いた名前の村だった。
「君が信用できるかどうか、それが分からなきゃ私の命にも関わるからね〜」
リベットはにししと笑ってみせながらそう言った。おそらく俺の緊張を解くためだろう。だが、俺は未だ緊張が解けないまま呼吸を整えて1つの質問を投げかけた。
「リベットさん、俺からも1つ質問していいですか?」
「リベットでいいよ。それで、質問って何かな?」
「さっき、俺の髪に触れながら『髪色が落ち着いた』って言ってましたけど、あなたは『街に着いたタイミングで俺を攫った』んですよね?その時には既に、俺の髪は紅くなっていたはずです。本当は、最初から見ていたんじゃないですか?」
リベットは少し驚いたような表情を浮かべると、「へぇ〜」と目を細めながら俺の顔を覗き込んでくる。
「君、意外に結構鋭いんだね。なら、君はもう私を信じることは出来ないかな?」
「あなたは最初からあの場所にいて、俺たちのことを観察していた。そして今、俺に話を聞いたのはその状況と比較して、嘘をついていないかを確かめるためでしょう。
確かに、もしあなたがもっと早く助けてくれていたらとは考えました。でもそれは、自分の弱さを棚に上げた言い訳でしかないですし。
それに、首筋に片刃の短刀の背を押し当てられていると気付いた時から、殺意がないことは分かっていました。
あなたは、俺を試していたんですよね?」
「その通りだけど…なんか、指摘されればされるほど恥ずかしくなってきたじゃない…」
リベットは顔を赤らめながら苦笑する。そして、ゴッホン!とわざとらしく咳払いしたあと、俺に手を差し出した。
「リオン、端的に言うわ。私と一緒に旅に出ない?もしかしたら…妹とアルカちゃんは同じ場所にいるかもしれない。だから、君の力を貸してほしいの」
「俺の力…ですか?」
「君は今、不完全とはいえ依代。その力を引き出せれば、あの男だって倒せるはず」
「この力はなんなんですか?組織は何を企んでいるんですか?」
「私が知っているのは、その力は精霊との契約によって得られるものだって事と、組織がその精霊の力を得るために依代を用意して使役魔法によって支配しようとしてる事よ」
「なんで精霊の力が必要なんですか?」
「詳しくは知らないけれど…その目的は名前の通りよ」
「名前の通り?」
「『ウス・エアーレ』ウスは神、エアーレは復活。どちらも古代語らしいわ」
「神の復活?それって、『アルカの記憶』のアンチテーゼの…」
「そう、あなたの予想通り、組織の目的は『神の復活』の再現…つまり───」
「封印されし旧種族の解放よ」