ショートショート 末期の言葉
ここは神が死んだ地と呼ばれる場所。草木も生えない大地には立ち尽くす男と横たわる少女だけがいた。
契約が完了すると俺の秘術は解け、肉体の崩壊は始まった。それは人を超えた力の代償だった。完全に肉体が朽ちる前にユキの術を解かなければならなかった。俺がユキの体に触れねばその術は解けない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「なぜあの子との婚約を破談にした?」
「あの子はちょっとほら、法力的にも問題があるし…。その代わり彼女の姉を娶ることにしたよ」
見え透いた嘘が弟の口から出た。俺や弟とは法力の種類こそ違うがそれを凌ぐほどの法力をユキは持っていた。それはすなわち、この里で、この世で一番強い法力ということだった。
「器量か」
「…器量だって大事だろ」
「本気で…言っているのか?」
「そんなにいうなら兄貴が代わりに娶ってやったらどうだ?あの醜女と」
次期頭首にふさわしくない発言に失望した。やはりこれも魔物憑きが蔓延る世の理なのだろうか。それ以上何も言わずに俺は弟に背を向けた。
ユキは誰よりも頭が回り、優しい子だ。さぞや悲しんでいるだろう。誰かが彼女を慰めてやらねばならぬ。しかし次期頭首があの始末で彼女を慰めてやる者がこの里にいるのだろうか?
俺はユキに会いに行った。誰も目を向けないような日陰で彼女は泣いていた。顔中に広がる赤い湿疹を掻き毟りながら。俺は黙って泣き止むまでユキの頭を撫でた。残酷な報せを受け取るには彼女はあまりにも幼かった。
「ユキ…愚弟の無礼を許してくれ」
俺はユキの爪の間の赤い血を袖で拭った。
「…若様。なりませぬ。そんなことをしたら若様に穢れがうつってしまわれます」
「うつるものか」
巫女の家系に生まれたユキは強力な癒しの法力を持っていた。その力で里の者たちを癒す。それが巫女として生まれた彼女の里での役目だった。だがその強力すぎる力は彼女の体を蝕んでいた。生まれたときのユキは顔に湿疹などなく、玉のようにかわいい子だった。癒しの役目をするようになってからユキの顔に湿疹が現れ始めた。湿疹が現れる前は里の者たちに神の子だといわれ持て囃されていた。今では癒しを提供するときだけ利用され、普段は触ると穢れがうつると畏れられていた。
「俺は知っている。うつされているのはお前の方だということを。ひどい扱いを受けてまで無理に役目を果たすこともない。隠居することもできるんだ。そうすればお前の湿疹もやがては良くなっていくだろう」
「…それでも私は里の人たちを助けたいのでございます。生まれ持ったこの力はそのためにあるのですから」
本心かどうかはわからなかった。ただ、目の前の子が不憫で抱きしめていた。
「若様…またこうして…私と会ってくれますか?」
「もちろん、いいとも」
こうして俺とユキはその仲を深めていった。
その日は突然の雨に見舞われ、ユキと二人、小さな山小屋で身を寄せ合っていた。
「俺の妻になってくれ。生涯を俺と共にしてほしい」
「若様…。私のような醜い女子は若様の伴侶にふさわしくありませぬ」
「ユキ…。俺はお前の器量にも魂にも惚れぬいたのだ。頼む。俺の妻になってくれ」
「…若様」
ユキは笑いながら泣いていた。
「だが半年ほど待ってほしい。一族に伝わる秘術の習得の為に山へ入らねばならんのだ。調べてみたのだが過去最も早く帰ってきた者は一年だった。俺はそんなに待てん。だからその半分の時間で必ずお前の元に帰ってきてみせる。構わぬか?」
「もちろん構いませぬ。ですが若様…今、私と契ってくださいませんか?」
「…婚礼を上げる前にか?」
「私の秘術は初めて契った相手に操を立てるもの。醜女の私が…」
俺は口づけをしてユキを黙らせた。
「二度と…自分のことをそんな風にいうな。言っただろう。俺はお前の器量にも惚れていると」
俺はユキの帯を少しだけ解き、開けさせた。顔の湿疹は首から乳房の上にまで広がっていた。ユキは顔を真っ赤にさせていた。
「若様…」
頭をぶつけないよう、ユキの頭の後ろに腕を回して口づけしながら床に押し倒した。
お互いの息遣い、着物や肌が擦れ合う音、屋根を打ち付ける雨の音が山小屋に響いていた。
次の日からユキは俺を『旦那様』と呼ぶようになった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
その術はユキと初めて契りを交わした俺がユキの体に触れない限り解けることはない。それまでユキは法力で守られ何者も触れることのできないまま仮死状態になるという強力な防御の秘術だった。
ユキの顔に触れて秘術を解く。するとユキの目が少しずつ開かれていった。
「…ユキ…あい…し…てるぞ」
「旦那様!嫌です!旦那様!」
最後にユキは俺を抱きしめてくれた。
お前の腕の中で…末期の言葉をお前に聞かせることができて…よかった…。
草木も生えない大地には男の首と少女だけが残された。少女は男の首を抱きかかえ、朝焼けに消えていった。