007話 バレた
最初は、ただ褒めてもらいたかっただけ。
「貴女はとてもいい子ね」
まだ保育園に通う娘に、母親が言った。
「お前は父さんの自慢の娘だ」
小学校で百点の答案を見せた女の子が、父親に褒められた。
「とても賢いのね。ご両親もさぞ鼻が高いことでしょう」
「中学の全国模試で一位になったんですって。スポーツも得意で、凄く優秀な娘さんらしいわ」
近所の大人たち、同級生の親たち、学校の先生たち。みんなが一人の少女を褒めそやす。称賛を惜しみなく送り、少女はいつの間にかそれが当たり前だと思うようになった。
そして高校入学の時。
「え? 私が次席?」
「うん。しかし事情があって新入生代表は君だ。よって形式上は首席扱いとなる。よろしく頼むよ」
生まれて初めての敗北。それも、どこの誰かも分からない相手に。
このままで終れるはずも無い。そう少女は思った。
◇◇◇◇◇
「絶対に、あたしは負けない」
小夜は自分で自分に気合を入れた。
彼女は、彼女自身の誇りを取り戻すため、深夜の忍者学園に忍び込んでいるのだ。
「やっぱり結構手間取ったわね」
元々専門家を育てる学校だけに、学園の防諜体制や侵入防止体制は普通の学校のそれとは一線を画す。
良くあるような警備会社に丸投げしてお任せ、というザル警備とは違って、学園がOBやOGを雇用して夜間警備を行っているのだ。
学生がやらかしそうなイタズラであったり、或いは利用する抜け道や警備の穴といったものに一番詳しいのは、当の学生である。努力の方向性を間違えた学生というのは、どの学年にも一人や二人存在するし、数年に一度は教師が心底惜しむほどの才能の無駄遣いを見せる学生が居る。そういった者たちは卒業後に有効活用され、イタズラを防ぐ側に回るのだ。かつての問題児は、問題児であればあるほど優秀な警備員となる。
学園の防諜体制を甘く見た学生は、年かさの先輩たちに、彼ら彼女らの昔の学生時代を盛大に棚に上げた、キツイお仕置を加えられるのが常。お前らはどの口で言うのか、というようなお説教付きで。
器物破損の常習犯だった人間が、さも常識人のように、公共物の大切さを説く。或いは不法侵入の常連だった者が、あたかも優等生だったかのような顔で、無断侵入の危険性を語るのだ。
小夜は、そんな学園の状況を知っているだけに、細心の注意で忍び込んでいた。
「ロックは……いけた!!」
忍者学園の非常口。外部の人間には場所が分かりづらいようになっているが、非常の際に使われる物だけに、内側からなら簡単に開けられるようになっている。具体的には、内側からドアノブを下げれば、ロックが外れて開けられるようになっているのだ。この辺は普通の学校と何ら変わらない。消防関連法に則った避難ルートの整備は、学校である以上当たり前のこと。
それを利用して、極細の金属糸をまずドアの上下から差し込み、その後ドアノブに引っ掛けることで内側のドアノブを下げる。
解錠の得意なOBから聞いたテクニックであり、小夜の腕ならば再現は可能だった。微妙な手の感覚だけで極細ワイヤーを操作するのだから、手先の器用さが求められる。
非常口の扉を開けたところで、少女は校内に滑り込もうとした。
目的の場所。すなわち更衣室に行こうとしたその時だ。
「おい」
後ろから声が掛けられた。
小夜はしくじったという思いで体の動きを止める。
逃げるという選択肢も頭をよぎる。しかし、えてしてそれが上手くいった例は希少。不意を突かれた今の状況では、まず無理。
万事休すか、とゆっくりと振り返ると、そこには意外な人物が居た。
「主税、何であんたむぐっ」
「しっ、静かに」
主税は小夜の口を右手で押さえ、更には身体を抱きしめるようにして引き寄せた。そのまま手近な物陰に入って、真っ暗な中で少女を押し倒す。
いきなり何をするのかと暴れようとした小夜だったが、主税の意図に気付いて大人しくなる。
「あれ? おっかしいなあ。誰か居ると思ったんだけど。扉が開いたのは確かなんだが……感付いて逃げたかな?」
見回りの人間だ。
恐らく何らかの方法で、小夜が解錠したことに気付いたのだろう。慌てて見に来たらしい様子から、非常口もまたかなり警戒されていたことが分かった。侵入していれば、まず捕まっていたと押し倒された少女は気付く。
彼女にとって幸運だったのは、見回りの人間がさほど熱心では無かったことだろうか。
しばらくじっと息を殺していた小夜と主税だったが、見回りが異常を報告する為に戻ったところで息を吐く。
「何時まで女の子を押し倒してるつもりよ、変態」
同級生の男に抱きすくめられたまま押し倒されているという状況。彼女の顔が赤くなっているのだが、見えない夜間なのは救いだろうか。
「お前こそ、馬鹿だろう。昼間の様子がおかしいとは思ってたが、夜の学校に忍び込むなんて自殺行為だ。退学になりたいのか」
「分かってるわよ。良いからどきなさい!! 乙女の胸を何時まで触ってる気なのよ。いい加減にしないとお金取るわよ」
「乙女? 誰のことだ」
「うっさい!! いいから離れなさい」
暗がりに美少女を押し倒した状況だ。忍び込んだというのはともかく、叫ばれでもして、見回りに見つかると冤罪的に危ない、と主税も体を離す。
小夜も、顔を赤くしたまま身嗜みを整え直す。
「で? あんたは何でこんなところに居るのよ。あたしと同じ自主的実習?」
「俺か? 夜間警備担当のOBに個人的相談があったんだよ。一応、先生の許可は貰ってるぞ。んで、たまたまお前が怪しげなことをしてるのを見かけて、捕まる前に助けたってわけだ」
「ふ~ん」
「そこはありがとうって言葉が出ないか? 普通」
「余計なことよ。あたしはどうしてもあの事件を調べるんだから」
「あの事件? 制服ドロか?」
小夜は主税のおかげで見回りに見つからずに済んだことは内心感謝しつつも、よりにもよって同級生に助けられたことにプライドがチクチク刺激された。それ故にそっけない態度をとる。照れ隠しともいうが。
日頃なら少しは感謝の念を見せるだろうが、今は自分のプライドを取り戻すための行動であり、普段よりも頑なになっていたのもある。
「他になにがあるのよ。班の皆が乗り気じゃないのは分かってるけど、あたしはどうしても実習で最高点が欲しいの。この事件を解決出来たら、現役情報員相当の証明になる。文句なく満点を付けてもらえるはずでしょ?」
「それはそうだが、まず無理だと思うぞ」
「何でよ」
「今のお前じゃ力不足だ」
主税の言葉は、小夜の頭にはカチンときた。自分は学年で“形だけであれ首席”なのだ。成績が目立つわけでない主税に、実力不足だと言われると腹立たしくなる。
「そんなの、なんであんたに分かるのよ」
「分かるんだよ。例えば建物に入ろうとしたとき、お前は通報トラップに気付かなかっただろ? 非常口の扉は鉄製で、磁力を使った開閉感知システムがある。これは枠に埋め込まれているから外観では一切分からないようになっているんだ。磁力だから目に見えないし、開ける時に磁力独特の引き合う感触がある以外は、痕跡もない。素人にはまず分からん。他にも、この先には重力センサーがあって人が乗ると警備に分かるようになってるし、赤外線で感知するタイプのセンサーライトもある」
「詳しいわね」
「……OBに聞いたからな。せめて、今日は出直せ。赤外線ゴーグルも無しじゃ、絶対にこの先で捕まる。そうすれば、実習で幾らいい点を取ろうと素行にバツが付くぞ。最悪は退学だな」
何故か主税の返答には一瞬の間があったが、OBに聞いたのなら情報としては正しいのだろうと小夜は思った。
「とにかく俺を信じて、引き返せ。さっきの見回りも、また戻ってくる」
自分の気付かなかったトラップを指摘された以上、小夜としても自分の行動が拙いことだと理解した。
渋々、主税に言われるままに学校から退避を図る。
「まて、そこにもトラップだ」
だが、これもまた一筋縄ではいかなかった。
とある部分を通ろうとした小夜の首根っこを、同級生の青年がむんずと掴んだ。急制動に首が締まり、小夜は思わず批判の目で主税を睨む。
「何もないじゃない。それに、来るときに確認しつつ通った道よ?」
「よく見ろ。ここは、踏むと入るスイッチが埋められてるんだ。通称では模擬地雷という。多分、三年で習う。一旦学校の敷地内に入った人間が、校外に出る時の無警戒になるタイミングを見計らって捕獲する為のトラップだ。足を置くと電流が流れるぞ」
「何でそんな危険なものを学校に置いてるのよ。生徒がうっかり踏んじゃ危ないでしょう」
「昼間は働いてない機構なんだよ。踏んだ感触が僅かに普通の地面と違うから、気付く奴は気付く。こんなもん、昼間のうちに調べておけよ。下見をしっかり行うのは初歩だろうが」
学園の場合は、侵入者の大半が学生だ。テスト前には風物詩のようなものになっているので、ある意味実力テストのようなものになっており、本当に守りたい場所は別として、下調べと予習をすることで防げるトラップも多い。そして、そこまでしてトラップを掻い潜れる人間はテストするまでも無いという、本末転倒なことになっている。
それぐらいは学園の敷地に夜間忍び込むなら常識だと主税は言う。
全く知らなかった小夜は、いよいよ観念して主税に礼を言った。
「あたしの見込みが甘かったことはよく分かったわ。助けてくれてありがとう。でも、何でそんなことを、入学したてのあんたが知ってるの?」
「……常識だからな」
「あたしは知らなかったわよ?」
「お前が非常識なんだろうな」
非常識と言われて、素直にはいそうですかと受け取る人間はいない。人間というのは、中二病に罹りでもしないかぎりは、自分を常識人だと思いたがる。
しかも先ほどから、主税の様子がどうにも怪しい。何かを隠しているのは分かるのだが、その何かが分からない。第一、ここまで学内の警備に詳しいのに、OBに相談があったというのも胡散臭いではないか。
尋問や誘導の会話術は、小夜が入試でも満点を取った項目だ。そこで小夜は、揺さぶりをかけてみることにした。
「ふ~ん、あたしは非常識なの」
「常識を知らない人間を非常識と言うなら、その通りだな」
「じゃあ、クラスの皆に聞いてみていい? 学校の中に変な罠が張り巡らされてるのを知ってたかって」
「……忍び込むなら下調べを入念にするべきという常識について聞いてみろ。みんな口をそろえて常識だというだろう」
「床のトラップや扉のセンサーの調べ方が常識かどうかを聞くわけ?」
「聞くのは好きにすればいいが、そろそろ学校を出るぞ。話し込むならせめて場所を変えろ」
主税の誤魔化し方は下手糞だった。というよりも、専門家相手に誤魔化すのは、同じ専門家でも難しいというものだ。小夜は将来性豊かで、間違いなく優秀な人間。誤魔化せるのは、それこそ情報隠匿の専門家でなければ無理だろう。“仮に”誤魔化しきれたとするならば、それはそれで学生らしからぬと思われてしまう。
「あんたの言う通り、場所を変えましょう。そうね、折角だし少し御礼をさせて欲しいわ。」
そう言って、小夜は主税を学校近くのファミレスまで引っ張っていく。二十四時間営業で、忍者学園の生徒御用達の店。
夜もそこそこ遅い時間で、店の中はかなり空いていた。遅い夕食と思しき中年サラリーマンや、どう見ても食事以外に気を取られてる若いカップルも居る。
そんな中に、傍目には恋人同士に見られそうな高校生が二人。忍者学園以外の高校ならば、間違いなく補導対象である。
「コーヒーでも奢るわ。それとも、ドリンクバーにしておく?」
慣れた様子で一番奥の座席に陣取る美少女。
御礼という割には態度がでかい。
無理やり連れてこられた男は、やれやれと溜息をつく。
「……俺、用事があるから帰りたいんだが。礼というなら明日でも良いだろう。何もこんな時間でなくとも」
「あら、女の子の誘いを断るなんて、それでもあんたは男子高校生? 普通ならこんな美人に誘われたなら喜ぶものでしょう」
「お前、自分で美人とか言うか、普通」
「なによ、あたしは美人じゃないっての? もしそう思ってるなら目がおかしいから病院行った方が良いわよ?」
「……美醜なんて好みによるだろ」
情報員にとって。とりわけ女性の情報員にとって、自分の見た目というのは情報工作を行う武器の一つだ。
美貌の女スパイが敵国の高官を色仕掛けで篭絡し、貴重な秘密情報を盗む、などというのは過去にも幾つか実例が存在する。
自分の容姿について冷静かつ客観的な評価をしておかねば、いざという時にも困るわけで、小夜が自分を美人と言った評価は正しい。が、自分で自分を美人と言ってのけるのには、主税も呆れた。昨今は謙譲の美徳も、大和撫子の慎み深さも、過去の物になりにけり。
オレンジっぽいジュースを目の前に置く小夜。
主税がコーヒーにミルクと砂糖を入れて混ぜ、ちびりと口に含んだ瞬間に、彼女は勝負に出た。相手の不意を突くのは尋問の基本。
「それで、あんたは一体何者なの?」
飲み物を噴出さなかっただけ、主税のポーカーフェイスを褒めるべきだろう。




