006話 未成年者の飲酒は法令によって禁止されています
夜、二人の諜報員が繁華街に居た。
賑やかで騒がしい酔っ払いや、それを狙う客引きなどが跳梁跋扈する夜。諜報員は何処にでも居そうな一般人的雰囲気を醸し出している。場違いな若さを除けば。
彼らの目線の先には、うだつのあがらない感じの男。身長は百六十センチ台の半ばほどで、中肉中背。やや猫背気味の姿勢の悪さに、ノーネクタイで皺の多いシャツを着ていて、少なくとも金持ちには見えない。その分、繁華街にはよく溶け込んでいた。
「あれが例の情報屋だ」
「確かか?」
「間違いない。裏も取れた。非合法組織に大金が入るのは治安維持の観点からよろしくないと上は判断したそうで、情報保全が最優先。しかし厄介なことに、奴さんが情報を渡す手段が不明」
情報員。それも、より機密性の高い仕事を行う諜報員には、色々と伝手も多い。警察とは持ちつ持たれつだし、公安も縄張りが違えば仲良しのお仲間。
街の情報屋一人を洗う等、容易いことだ。
「こういう時は普通、微罪でも何でも所轄がしょっ引けばことは済むんだが、情報保全が優先となるとそうもいかんな。情報屋本人を捕まえれば情報流出を阻止できるとは限らんわけだし」
「そういうことだ。郵便か、ネットか、人伝か……本人に何かあったら自動的に情報を流す工作は一般的だろ? 情報を売ろうとしている組織と対立する組に、自動的に流れるようにして、交渉の際の保身に使うのは常道だしな。俺に何かあったら他所に流れるぞ~みたいに」
「なるほど、うちに依頼が来るわけだ。面倒な」
情報屋は、合法と非合法の間に住むグレー世界の住人。故に仕事をする際、常に口封じの危険が伴う。それだけに自分の身の安全については神経質になっている者が多く、対象がど素人でもない限り最低限の質草は用意して取引に臨んでいるはず。
万が一にも情報の値段で折り合いがつかなかった場合、相手が強硬手段によって情報を吐かせようと画策するなど珍しくも無い。銃を突き付けて情報の強奪を謀るぐらいは一般的な想定。
そんな時、指定時間までに自分の安全と自由が確保されなければ不利益が起きる、という脅しぐらいは、交渉のカードとしては必須となる。
これは逮捕についても同じことで、情報屋を捕まえたとしても、情報の流出を阻止できるとは限らない。むしろ身柄の確保が情報流出を煽る可能性もある。
泳がされているのはその為だ。警察も、下手に手出しすると状況が悪化すると分かっている為、よほどのことが無い限りは逮捕までいかない。
「情報の保全と、学内に入った窃盗犯とされる情報屋の身柄の確保。どちらが優先だ?」
「うちとしては身柄の確保だが、依頼主の役人さんは情報保全を優先してほしいそうだ。最悪、身柄の解放と窃盗についての無罪放免を交渉材料にして良いらしい」
「本当に厄介な仕事だ。今から断りたいぐらいに」
「そう言うなって。こういう裏のお仕事こそ、諜報員の役目じゃないの」
警察は、捜査や逮捕は出来ても司法取引は出来ない。三権分立を謳う日本においては、行政である警察が、司法を差配する権限を持つのは許されないという建前が守られる。黙っていれば実刑で懲役だが、自白すれば執行猶予を付けてやろう、などというのは、裁判で罪が確定するまでは無罪と推定する法治の原則にそぐわない。表の組織には後ろ暗いところがあってはならないのだ。だからこそ、綺麗ごとで済まない仕事は情報員の仕事になる。
「それじゃ、まずは一次接触か。サポート頼むぞ」
「任せろ。無線は聞こえるか?」
諜報員が、耳の中に入れた超小型無線の音を聞く。万一の時には、これで周囲の状況を伝えるのだ。
「感度良好」
「そいじゃ、頼むぜネームレス」
軽く片手を上げたのは、ネームレスと呼ばれた男。コードネームで呼び合うのは、仕事上では当たり前のこと。
繁華街の雑踏の中、大勢が行きかう中に一人が増えたところで、気にする人間など居ない。
さも自然な足取りのまま、諜報員が情報屋の男に近づく。
「よう、良い月夜だな」
「あん?」
「ちょっとあんたに聞きたいことがあってね。少し良いかい。なんなら一杯奢るぜ?」
「兄ちゃん、酒が飲める年には見えねえよ。補導される前におうちに帰りな」
情報屋の男は、近づいてきた男を胡散臭げに見やる。
見たところ、十代の若者。繁華街にありがちな不良の気配はせず、髪も染めていないし服装も割合に小奇麗。若作りしてるのかとも思ったが、そんな気配も無いから、成人式を済ませているか怪しいだろう。
まだ未成年と呼ばれるような年の男が、酒を奢ると寄ってきた。どうにも怪しい。そう情報屋の男は思った。
「そう警戒しなさんな。あんたに良い話を持って来たんだ。とある企業がTOBをしようって情報さ。あんた、その手の情報屋だろ?」
「兄ちゃん、滅多なこと言うもんじゃないよ。誰に何を聞いたか知らないがね、子供はここらに近づいちゃいけねえなあ」
情報屋に、お前が情報屋かと聞いて近づいてくる人間は警戒すべきだ。情報屋なんていう怪しい人間に用のある者は、真っ当な人間ではない。まともな人間など寄ってこないのが普通。
情報屋をそうと知りつつ寄ってくる人種。捕まえる為に確認してくる警察か、でなければヤクザな人間と決まっている。
一般人相手の小金稼ぎをする情報屋も居るには居るが、この情報屋はそうではない。いつも上客相手からまとまった金をせしめる。
それが出来るだけの情報の質と信頼こそが売りの情報屋なのだ。
「俺はただの学生じゃないよ。忍者学園の生徒さ」
「あん?」
「ちょっとアルバイトしてて耳寄りな話を手に入れたのさ。あんたのことも“取引先”から聞いたんだ」
「……その話、詳しく聞こうか」
「そう来なくっちゃ」
一次接触成功の知らせを、ネームレスは相棒に送る。
相手が興味のありそうな餌をぶら下げて、まずは自分たちに興味を持たせることが一次接触だ。ここから、上手いこと餌に食いつかせた上で吊り上げ、先だって飲み込んだ情報を腹の中から引きずり出すのが今回の仕事。
釣り上げてから捌くのか、吐かせてから逃がすのか、食いついたまま腹に手を突っ込むか。どうやって目的の物を腹から出すかは方法次第だが、根本の部分は変わらない。如何に上手く“餌に食らいつかせるか”だ。
諜報員は餌を装う。情報屋は餌が来たと思う。
情報屋と諜報員。立場は違えどよく似た商売人が、お互いにお互いを食ってやろうと画策しつつ、一軒の飲み屋に入っていった。何処にでもあるような飲み屋だった。
それを監視していた相棒、ファニーフェイスは、上手くいったことに安堵しつつ独り言を呟く。
「さて、後は連絡待ちだが、あいつなら上手くやるだろうな」
店を見張る位置には、さもナンパをしている風を装ってファニーフェイスが居る。片手をポケットに突っ込み、如何にもチャラい感じ。
時折、明らかに無理と分かりそうな商売女をナンパしては振られ、悪態をつきながらも店の様子はしっかりとチェック。見事に街の中に溶け込んでいた。
ナンパしているのなら、周囲をきょろきょろとして物色していてもおかしくないし、不自然には思われない。良い手だとは思われるが、女の子に軽くボディータッチして鼻の下を伸ばしている辺りは、当人のスケベ心も含まれているようだった。
ファニーフェイスの撃墜数はゼロのまま、被撃墜数が二ケタで収まるか怪しくなってきたころ。店の中から上機嫌の男と、ネームレスが出て来る。
店の前で別れた二人。ネームレスの方は、酒に酔って吐きそうな様子を装って道路の傍にしゃがみ込んだ。
ファニーフェイスに落ち合う場所の情報が連絡されたのは同時だった。小型無線はこういう時に役に立つ。
落ち合ったのは、飲み屋街のほど近くにある貸しビルの一室。商業店舗が幾つも入っていて、エステのお店やら通信販売の事務所やら、色々とテナントの看板がある。もっとも、用があるのはテナントが空白になっている階だが。
情報員が何かと便利に使うダミー。セーフハウスの一つ。情報員の中でも現場仕事の多い諜報員は、簡単な申請でいつでも使える。
ファニーフェイスが部屋に入ると、相棒は既に安普請のソファに腰かけていた。
「未成年者が飲酒か。補導ものだな。公務員のくせして違法行為とは。なんて悪い不良だ。親が聞いたら泣くぞ」
オーバーリアクションで相棒をからかうファニーフェイス。先に居たネームレスは、憮然として対応する。
お互いに向かい合わせに座れば、安普請なソファーがずぶずぶと頼りなく沈む。
「うるさい。ちゃんと行動規範の例外規定で許可されてる。第一、未成年者をこき使ってるのは何処の誰だ」
「俺の上司だ。酷い奴だな。とんでもない極悪人だ。今度苦情を言いつけてやろうぜ。俺と合わせて二人分。しかしまあ、その様子なら上手くいったか?」
「ああ。適当な偽情報を餌に、目当ての情報の保管場所を聞き出した。あの業突く張りめ。情報料だとか言って俺から金をせびろうとしやがった。逆だろう、全く」
どう見てもガキな人間が、運よく“良い学校”に居たことで得られる機密情報。情報屋の男には、ネームレスがさぞ美味しそうなカモに見えたことだろう。ネギを背負っている姿を幻視したかもしれない。内実は、カモの振りした肉食獣。相手が悪い。
どうやって肝心の情報を吐かせたかまではファニーフェイスも知らないが、荒事から詐欺まがいの裏技まで何でもござれの男だ。聞くだけ野暮というもの。
目的のために硬軟表裏の柔軟な対応が出来るからこそ、そして未成年であるという他の諜報員には無い特徴があるからこそ、何かと便利に使われている。未成年者に対して腕利きの諜報員かもと疑ってかかる人間は少なく、その点が重宝がられる所以。
「それでだ、未成年者をこき使う悪の親玉への報告は俺っちが上げることになってるから、順に聞こう。あの男は、間違いなく学園に忍び込んだ奴なんだな? 俺も間違いないと確認してるが、お前自身の判断でどうだったかだ」
「そうだ。少なくとも実行犯は奴だ。女生徒が情報の運搬役と知り、ことに及んだ。自白も取れてる」
「お手柄」
「裁判の証拠には使えんぞ? 非合法手段によるものは証拠にならん。今回はグレーだ」
日本の裁判においては、如何なる犯罪も証拠が無ければ罪にはならない。疑わしきを罰せずというのは、法治の原則だ。
証拠として意味があるかどうかを証拠能力と言い、証拠能力の有無には、入手過程の合法性も含まれる。例えば、自分から自発的に話した自白には証拠能力がある。拷問のような手段で無理やり喋らせたことには証拠能力が無い。
非合法な手段を用いて集めた証拠は、こと裁判においては意味が無いのだ。
「俺も情報員の端くれだぞ? そんなもんは学園の一年で習うじゃねえか。分かってるよ。それでも、証拠があれば関係部署を動かしやすいってことだ。内々の説得材料には十分な手柄だ」
「そうかい」
「しかし、そう簡単に情報をポロる奴が、警備の厳重な忍者学園に忍び込めたのか? いや、そもそも女生徒が何故更衣室に情報を隠すと知っていた?」
「たまたまだと思うか?」
ファニーフェイスの疑問に、相棒が疑問で返した。
会話としては不適切だが、問いかけには意味がある。
情報屋として程度の低い男が、何故か情報管理を徹底しているはずの学園内から情報を奪取した。
それが偶然なのだろうかという問いだ。
「アホか。俺でも不自然だと気付くわ。短時間で目当ての物だけを掻っ攫う。熟練の泥棒の手口だよ。予め更衣室の場所を知らないと無理だろうし、女生徒の情報も無いとおかしい。警備を簡単に掻い潜れたのも不自然だ」
「ああ、その通り。奴は内部に詳しかったのさ。いや、詳しい奴が仲間に居たのさ」
「……引き込みか?」
引き込みとは、内部の人間が外部の人間を手引きすること。
内部の人間としては、自分が実行犯で無いことから、自分が疑われるリスクを減らせるメリットがある。外部犯としては、より確実な仕事が出来る点でメリットがあった。
幾ら堅固な要塞であっても、内部に協力者がいては警備も裸同然。古くからある典型的な情報窃盗の手口。
「御名答。学園の教師の一人が、色々と便宜を図ってくれたらしい。頼みもしないのに、ベラベラ喋ってくれたよ」
「ふうん。学園も色々と大変だな。しかし、ベラベラ喋るねえ。薬でも使ったのか? それとも誘導尋問か?」
「方法が言えんのはいつも通りだ。言わないのではなく言えない。ああ、件の情報の扱いについても聞けた。やはり予想通り“保険“を掛けていたようだな。それにも学園の協力者が絡んでいる」
「マジか!」
保険とは、自らの安全を確保する為に、手に入れた情報を安全な場所に保管しておくこと。ないしは入手手段を限定させておくこと。
今回のTOBについても、全部を記憶できれば素晴らしいが、細かい日時、関係者の名前、会議録の内容等々、相手を信頼させるための詳細な情報を全て記憶するのは、ほぼ不可能。
情報のメモやそれに類するデータというのは、どこかで必要になってくる。
物理的な記憶媒体。これを身につけて持ち運んでいれば、何か不測の事態が起きた場合や、取引相手が乱暴な手段を用いた際に、情報屋としてはなすすべなく飯の種を奪われることになる。
それを避ける為、取引で上手く折り合いがつくまで手元に置いておかないことは自衛の範疇。
「ああ。取引が不調だった場合、別の人間に情報が渡るような細工がされているそうだ。取引相手はよほど信用ならんらしいな」
「保険の相手は?」
「そこまでは分からん。恐らく最初の取引相手と対立する人間だろうが、該当者が多すぎる」
「確かに敵は多そうだ。同系列の組の足の引っ張り合い、国内で同業の別組織、海外マフィアってのもあり得るか。TOBの情報なら、同業のライバル会社に持ち込む手もあるな」
ファニーフェイスが指折りで該当しそうな組織を挙げていく。
「一つ忘れてるぞ」
「あん?」
「公権力だよ。警察か、或いは俺達か。ヤクザから身を守るには最適だろ?」
非合法な情報入手の結果、身が危うくなったら公権力に頼る。何とも自分勝手な話ではあるが、あり得そうだと男は笑う。
「ぷっ、ぷはは、そりゃ傑作だ。確かに可能性はゼロじゃないが、そうなると俺達の面目は丸つぶれ。奴さんが成功するにしろ、失敗するにしろ、どちらにしろ上司が良い顔しないか。裏を取って慎重にってわけにはいかんね」
「ああ。時間があれば調べられるだろうが、もうあまり余裕は無い。非合法組織に情報が渡ってしまった時点でアウト。情報は金に換えられ、TOBを行う企業は払わなくても良い金をヤクザに払うことになる。渡された金は、更なる悪事に利用されることだろう」
社会正義と秩序の維持のため働くのが情報員の仕事。犯罪組織に活動資金をプレゼントしてあげるいわれはない。何としてでも、大金の動くTOB情報の流出は避ける。
それが二人の、いや、日本国家情報機関の総意だ。
「正義の味方は辛いねえ。それで、肝心な話がまだだったな。奴さんが保険を置いている場所と、保険の内容。聞き出せたんだろ?」
「ああ。これも傑作だぞ。聞いて笑うなよ?」
「おいおい、期待しちゃうねえ。まさか学園に置きっぱなしってわけじゃないんだろ?」
「はは、そのまさかだ」
「何?」
ネームレスは肩を竦める。
「情報の保管場所は忍者学園。いざという時の保険の受取人は学園の教師。あの男、やってくれたよ」
若い男二人は、よりにもよってそこに隠すかと笑った。