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005話 ネームレスと相棒

 「おい、これはどういうことだ?」


 男が、ドンとテーブルをこぶしで叩いた。


 「どういうことって、そのままの意味さ。部長からの指示があって、俺が裏を取って、お前さんが実働。いつも通りだろ?」

 「そういう意味じゃない。何で、よりにもよってこの事件を俺に回すのかって聞いてるんだよ」

 「そりゃその方が面白そう……じゃない、お前が適任だと判断したからだ」


 日本国家情報機関。通称ニンジャ機関には、その性質上から一般市民の目を欺く施設というものがある。防諜設備や監視設備が整っていながら、それと悟らせない工夫が施された施設。

 東京秋葉原の一角にもそれは存在し、町の風景に溶け込んだごく普通の店舗でありながら、実際は諜報員たちの貴重な交流の場として利用されていた。


 今、二人の男が利用しているのもそういう施設だ。

 片方の男は、国内屈指の諜報員(エージェント)として知られる男。暗号名(コードネーム)はネームレス。

 相対するのは、同じ諜報員でもサポートを主任務とする男。暗号名はファニーフェイス。

 お互いに組んで仕事をし出したのは最近だが、諜報員になる前からの知り合いで、実力だけは信頼し合っている。


 「だからって、なんで忍者学園の制服ドロを捕まえろってピンポイントな指令を、俺に持ってくるんだ」

 「さっきも言っただろ。お前が適任だって。潜入が容易。うろついていても不自然でない。土地勘もあって地図に詳しい。むしろ、お前以外に持って行くと俺が査問に掛けられるわ……っと、お前、注文したのはブレンドだったっけ?」

 「お前はカフェオレか。甘党だな。コーヒーが苦手ってお子様か?」

 「うるせえ」


 幾ら一般の店舗とはいえ、男二人が堂々と待ち合わせできる店というのは限られる。

 彼らの格好は、目立つのを避けるために、秋葉原にごく普通に居る人間の格好。有体に言えば冴えない格好をしている。

 このまま、例えばランジェリーショップなどにでも出入りすれば、まず目立つ。不審者通報をされてもおかしくない。ジュエリーショップなどの宝飾品店もアウト。そんな店に男二人なら、奇異な目で見られる。

 となれば、元々が待ち合わせなどの用途に使われる店である方が望ましい。という発想から、この店も“極普通”の飲食店として経営していた。


 飲食店と一口に行っても多種多様。

 ドレスコードが必要で、お洒落を通り越してハイソサエティでセレブなレストランならばどうか。

 まず、諜報員の出入りが目立つこと間違いなし。平凡な服装を強いられる職業には使いづらいし、そもそも着飾ってしょっちゅう出入りしていれば要らぬ連中に目を付けられる。金持ち狙いの小悪党とか。

 それを避けるためにも、値段は極普通の大衆向け飲食店でなければならないだろう。


 しかし、だからと言って価格が安すぎてもいけない。

 例えばファーストフード店のようなものならどうか。

 こうなってくると、今度は人の出入りが多すぎることが問題視される。

 諜報員が頻繁に出入りしても問題は無いだろうが、逆に防諜の面から不安が出て来るのだ。

 どこで誰が聞き耳を立てているかも分からない中、重要な話などは出来ない。


 となると、安過ぎず、高すぎずという価格設定が求められる。

 一般人が多少頻繁に出入りしてもおかしくなく、それといって有象無象が何気なく入れるような気安さは無い店。

 難しい二律背反の課題を、ごく当たり前に解決するとなると、無難な店が選ばれる。


 ある種の喫茶店というのはベストでないにしてもベターだ。

 客層を選びながらも、一般客をターゲットにするのだから。


 喫茶店で酒を注文する人間も居ない。

 カフェオレとブレンド。それにナポリタンのスパゲッティ。

 持ってきたのは、十代か、或いは二十代前半と思しき女性店員。彼女は何も知らない一般人。

 ファニーフェイスは、今まで機密情報を会話していたとは思えない自然さで、商品を受け取った。

 実にナチュラルに、さも今まで馬鹿話をしてましたという風体。誰がどう見ても一般人に見える。意識して自然さを装う訓練を積んだものにしか出来ない動きだ。


 「オプションはいかがですか?」


 その甲斐あってか、女性店員も不自然さを感じることなく、慣れた風で接客をこなす。

 彼女の問いには、ペアの片割れもお茶らけた感じで受け答え。


 「お、そんなの有るの。お前どうする? クッキーに愛のスパイスなんてどうよ? LOVE増量だとさ」

 「要らん」

 「だって、ごめんね。こいつこういうところに来るのに照れてるのよ」


 この手の店にはよくある光景だった。

 ふざけた男が、お堅い友達を引きずり込んで茶化す。

 見慣れているのか、店員もそれで引き下がって離れた。

 ある程度自分たちから周囲の注意が逸れるまでファニーフェイスの演技は続き、大丈夫と判断されたところで真面目な顔になる。


 「正味な話、この事件、もしかするとお前でも手に余るかもしれん」

 「本気で言ってるのか?」

 「ああ」


 情報員は、その内情から大きく二つに分けられる。諜報活動に従事する諜報員と、組織運営に従事する分析官だ。分析官は背広組とも呼ばれる。細かい分類は他にもあるが、大別すればこの二つ。分析官は財務や人事といった組織運営に必要な部署で活動し、諜報員は防諜や要人護衛といった活動に従事する。それぞれ、後方部隊と実戦部隊とでも言うべきだろうか。

 そして、諜報員の中でも秘密性の高い任務を専門とする者を指して、秘密工作員と呼んだりもする。

 ネームレスは、国内屈指の諜報員との呼び声も高い。矛盾するようだが、最も有名な秘密工作員だ。

 そんな諜報員でも手に余る事件となれば、聞き捨てならない。


 「政治的な理由か?」


 ネームレスの問いも、もっともな問いかけだった。

 諜報員と言えども国家に給料を貰う身。上層部になればなるほど政治との距離は近づいていく。

 よくある軍隊と同じで、ある程度の独立性は担保されていることになっているが、建前と現実が剥離している組織などは珍しくも無い。

 外交的な配慮、国内政治の都合、身内の不祥事、法律の楔、安全保障に関わる禁忌。自由に振る舞えない事情というのは、挙げれば幾らでも出て来る。

 その中でも最も諜報員を縛るのが、政治的な配慮というものだ。


 例えば、大物政治家の息子が、父親から得た政治的な機密情報をリークしていたとする。証拠もあるとすれば、即座に捕まえて司法の手に委ねても構わないはず。

 しかし、大物政治家がスキャンダルで潰れれば政治的な混乱が起き、大型案件や国政が全てストップしかねないとなったらどうだろうか。蝿を潰そうとして虎に気取られるようなリスクがありはしないだろうか。

 故にいつでも捕まえられるからと監視に留め、逮捕時期を調整するぐらいは有り得るだろう。或いは政治取引として、別件微罪での逮捕や補導に留め、それを重ねて実際の刑罰に代えるということもある。


 何にしたところで、優秀な諜報員を困らせるのは、有能な敵よりも邪魔な味方であることのほうが多い。


 「いや、政治的な要素は皆無だ。今のところは、って但し書きが付くけどな」

 「じゃあ、この間みたいに外交的配慮ってやつか?」

 「ああ、あのアーノルド・チャンの事件。産油国への外交的配慮ってことで、お前が捕まえた奴が内緒で強制送還されたやつだったか?」

 「そうだ」

 「あれは中東のどこだったかの原油売り惜しみを防ぐ交渉材料に使ったらしいから、まるきり無駄ってわけじゃないが……それも無い」

 「なら何だ。もったいぶらずにさっさと言え」


 時にはミリ秒を惜しむことさえある諜報員。無駄な問答を長々とするのは、職業意識的に腹立たしくなる。

 それを分かっていながらも、あえて回りくどくしゃべる性格のファニーフェイスは、軽く肩を竦めて本題に戻った。


 「今回の制服ドロ、とあえて言うが、そいつが狙っていたブツが問題らしいんだよ。より正確にいうと、制服に隠されていたモノが欲しくてことを起こした」

 「女子高校生の制服に欲情する変態の仕業ではないってことか」

 「ああ。どうやら女子学生の一人が、学外で“アルバイト”をしていたらしくてな。とある企業のTOB(株式公開買い付け)に関わる情報を小型メモリで預かっていたそうだ。女子学生は内容も知らされないまま、手間賃目当てに預かり、一応は学内で最も警備が厳重と思われる女子更衣室に置いていた。放課後に、学校近くのどこかで受け渡す手はずだったとのことだ」

 「よくありそうな話だ」


 忍者学園は、将来の国家を背負って立つ情報員の卵たちの巣だ。しかし、文字通り普通の高校生としての一面も持つ。

 思春期真っただ中、遊びたい盛りの年ごろだ。いつの時代も、若者が心置きなく青春を謳歌しようと思えば、必要なのは金である。幾らあっても、あっただけ使ってしまうザルのような財布を持つ者も多い。

 特に、オシャレに気を遣う女生徒はその傾向が強い。服や靴を一通り揃えるだけでも諭吉が何枚も飛んでいくのだ。化粧品や装飾品も考えると、マイナスにならずにザルで済むだけましかもしれない。

 何となれば、アルバイト禁止などという呪文は、仮に唱えたところで無神論者の念仏よりも意味が無い。隠れてやろうとするのがオチである。

 防諜や間諜を学ぶ生徒たちだけに、隠れられると本職でも手を焼きかねず。故に忍者学園にはアルバイト禁止という空念仏は存在しない。きちんと申請していれば、アルバイトも可能。


 しかし、仮にも学園の生徒が行う“アルバイト”とは、他の学校とは毛色が違う。

 学園の特色を活かした小遣い稼ぎが、むしろ実技の練習とばかりに奨励される風土があった。

 その一つが、“諜報員のお手伝い”だ。

 本職の諜報員とて、ローラー作戦や地道な聞き込みといった、とにかく飛び抜けた能力よりも小粒の頭数をそろえたい案件がある。

 ずぶの素人では足手まといの為、学生たちに給金を支給して手伝いを頼むのだ。素人を雇うよりも効果的だし、国からの補助もある為雇い主の懐も痛まない。

 学内の掲示板には、時折そんな求人広告が載せられている。


 「……学内の管轄を通しての求人では無かったのか?」

 「女生徒の個人的なツテで行ったものだそうだ。これは女生徒の友人の通信履歴から分かった。アプリの履歴なんて、俺にかかれば丸裸さ」


 自分の得意分野の活躍だからか、自慢気にドヤ顔を決めるファニーフェイス。

 情報セキュリティの分野が専門と豪語するだけに、通信パケットを誰でも傍受できる携帯電話用回線でやり取りし、極一般的な暗号化しかしていないアプリケーションなどは、幼稚園児の隠し事よりも分かりやすいと言い張る。

 人間、だれしも取り柄の一つは有るものだ。


 「ところが、この情報をかぎつけた奴らが居る。俺達みたいなプロじゃないが、ある意味ではプロを相手にするよりも危険な連中」

 「誰だ?」

 「ヤクザ。もっと具体的にいうなら、企業舎弟と呼ばれる隠れ蓑を使い、合法的な企業活動の裏で非合法資金を集める経済ヤクザって連中だ。広域暴力団川口組系二次団体の報道会。闇金や企業恐喝等が本業だが、TOBに絡んだインサイダー取引も嗜む。株式の公開買い付け前に買いあさって買い付け値を吊り上げ、公開されたところで高値で売りつける。濡れ手に粟で儲かるだけに、鼻の効いた奴らも居たってことだ。奴らからすれば、どこの企業がいつどの程度の規模でTOBに踏み切るのかが、どうしても知りたい情報ってことだな。それで何十億何百億って金が動く」


 相棒の説明を聞きながら、ネームレスは飲み物を一口飲む。安っぽい感じが否めないオリジナルブレンドのコーヒー。

 自分が指名された理由に納得しつつ、厄介なことになりそうだと考える間が欲しかったのだ。


 「つまり今回の俺の任務はヤクザを相手にするってことか」

 「いや、ちょっと違う。今回の犯人は、TOBの情報をヤクザに売る情報屋だ。こいつらが非合法組織に情報を渡す前に捕まえる。それが今回のお前の任務ってわけ」

 「もう既に情報屋が情報を渡してしまっている可能性は?」

 「ある。その場合は、確証が取れたところで一旦引けと部長からは指示が出てる」

 「ヤクザを潰すのかと思ってたが?」

 「任侠の世界は奥が深いし、政治とつるんでいることも多い。下手に深入りすれば火傷じゃすまないかもしれないってことだろう。ただ、情報屋もそのスジの人間なわけだし、最悪は戦闘になる。だから荒事専門のお前さんってことだ。OK?」

 「理解した。早速動きたいから、今から必要なものを書きだす」

 「符丁は四で頼む」


 ネームレスは、手近な紙に必要な物資や援助を書き出していく。

 もっとも、書いている内容は素人が読んでも分からない。A4ノート三冊、青ボールペン一本、下敷き一枚等々。パッと見る限りでは、文房具の一覧。

 四番目の符丁は、学生コードとも呼ばれるもの。補助員三名を付けて欲しいとか、対象の情報をくれとかいった内容が、文房具の名前で代替された内容だ。簡易暗号とも言う。

 書き終えた男は、相棒にさりげなく紙を渡す。


 受け取った方は、内容をざっと見ただけでことは足りる。

 読み終わったら、あえてお冷の下敷きに使って字をにじませ、読めないようにしてから捨てるのだ。


 それが終われば、店での長居は無用。


 「それじゃあ頼むぜ相棒」

 「任せろ。……ところで、俺から提案が一つあるんだが」

 「あん?」


 会計を済まして店を出たところで、ネームレスが顔を顰めてファニーフェイスに何事かを提案しだす。


 「次から、別の店にしないか?」

 「俺のお気に入りの店に不満があるってのか」

 「不満というか、不安がある」

 「どこが不安だ。良い店じゃないか」


 心外だ、と言わんばかりのファニーフェイス。これ以上にいい店があるかと、自慢気な顔をしている。


 「……そうか。お前の趣味はもう問うまい」


 ネームレスは、自分の提案を受け入れてもらえなかったことにため息をついた。

 彼の目線の先には店の看板がある。


 ふぁんし~☆らぶちゅっちゅ。

 秋葉原でも際どさが売りの、萌え系メイド喫茶であった。


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