003話 事件
忍者学園の一階に、職員室がある。
生徒からの覗き見を防ぐために、扉を開けたところに更に衝立のような壁があり、防音対策までされたシェルターのような部屋。
一説によれば悪さをした生徒を折檻しており、叫び声が聞こえないようにしているのだ、という都市伝説まである。
「熱田先生、班分けは無事に終わりましたか?」
「迫田先生、ええなんとか怪我人も出ずに無事終わりました。にしても、生徒がやらかしてくれましたわ。あれで本当に諜報員になれると思っているのか」
迫田瑞穂。
四十四歳で二児の母というベテランの教師だ。三年い組の担任で、卒業間近の上位クラスを担当する程度には学校からの信頼もある。鏡子とは大学が同じで、同門の先輩後輩という関係。
国語と暗号の授業を担当していて、年相応にふくよかな体つきが如何にも母親という風格を醸し出す。
「今年は氷室君や美作さんが居たから、尚更でしょうね。でもまだ一年生だから良いじゃないですか。三年生になれば班分けに卒業の成績が関わるから、それはもうドロドロの争いが毎年……」
「うぐっ、私はしばらく一年担当で良いです」
毎年行われる実習班の班分けは、年度の最初の方で固定したら、よほどの事情が無い限り変わらない。これは、細かなチームワークが要求される実習も多いためだ。また、仮に苦手な人物と組まされたとしても対応できるようにするためでもある。
この班分けについては、毎年熾烈な情報戦が繰り広げられており、教師からすれば頭痛の種の一つでもあった。
酷い年には、クラスのアイドル的美人と同じ班になりたいが為に、男子生徒同士の刃傷沙汰まで発生したことがあるのだから、今年はまだ穏便に終った方だと先生方は胸をなでおろしている。
「一年生は一年生で大変よ。みんな我流で下手っぴな工作をするものだから、ついハラハラしちゃうの。ああ、そんなことしちゃ駄目じゃないの~って」
「そうですね。あんまり酷いのは、一応指導しましたよ。自分で作ったクジを使おうとしていた子も居たんで、数が合わなくなるからと指導したり」
「せめて数の帳尻ぐらいは合わせて欲しいものだけれど、それはさすがに指導するべきねぇ。一応は学園の生徒で、素人じゃないんだし」
「後は、クジの数字に線を加えて、狙った数字を作る子も居ました。これも辻褄が合わなくなるので、こちらで正規の数字に直してしまったり」
「熱田先生も、まだ若いのに大変ね~」
「それでも迫田先生に教わって、新人だった時よりは落ち着いてこなせました。先輩には感謝しています」
「あらら、そんなの気にしなくていいわよ。一杯奢ってくれれば」
「また先輩はそんなことを言う」
職員室の中には、クラスのホームルームを終えた先生方が戻ってくる。
次の一限目の授業準備をする先生も居れば、小テストの添削などの雑務に励む先生も居る。この時期特に忙しいのは、やはり一年生の先生だろうか。
いや、そんな一年生担当の教師に声を掛ける管理職こそ忙しい。
「熱田先生、班分けはどうなりましたか?」
「教頭先生。無事、終わりました。これが結果です。問題のある場合は組みなおしますが、如何でしょう」
「……ふむ、多少偏っていますが、問題は無いでしょう。ただ、三班は寮生が多いようですね。親御さんの監視が弱い分、実習では羽目を外しすぎるかもしれませんので注意した方が良いでしょう」
「分かりました」
学校の現場というのは、教師一人一人に大きな裁量権がある。
一般の会社ならば新人として数年は教育を受ける立場の若い人材が、配属早々から先生と呼ばれて先輩の教師たちと全く同じ仕事を割り振られるのだ。当然、経験不足からくる問題行動や、トラブルも多い。
それを未然に防ぐために、教師を統括する立場の人間が居る学校も多い。良くあるのは、学年主任等の役職を設ける形。
忍者学園では、教頭が教師を全て統括している。校長に次ぐNo.2。学校における強大な権力を有する男。それが、バーコードハゲの小太りなおっさんとなれば、違和感しかない。
「迫田先生、三年生はどうですか?」
少なくとも、この男が国内屈指の諜報員であり『飢狼』と呼ばれて恐れられた過去を持つとはとても信じられるものではない。
居酒屋にでも座っていれば、どう見ても万年係長の窓際社員に見える。
「問題ないと思います」
「そうですか。今年の三年生は優等生が多いですから大丈夫だとは思いますが、くれぐれも問題行動を起こさせないように目を配ってやってください」
「分かりました」
教頭と教師たちの、よくある打ち合わせ風景。
形式ばった会議では意外と物は決まらないもので、こういったちょっとした時間の雑談もどきで決められることも多い。
そんな日常風景であるが、今日ばかりは途中で水入りがあった。
何か生徒たちの騒ぐ声がしたために、中断を余儀なくされたのだ。廊下を走る足音がすれば、耳聡い教師たちはすぐにも気付く。
「ん? なんだか騒がしいですね」
「ええ」
年ごろの生徒たちが賑やかなのは珍しくも無いが、それにしては騒ぎ方がおかしい。トラブルがあったとき特有の、野次馬が野次馬を呼び集めるタイプの賑やかさ。
教頭は当然のように教師へ指示を出す。
「熱田先生、少し見てきてもらえますか?」
「分かりました」
教職員の中では最若手の鏡子が、廊下に出て様子を見る。
見回せば、廊下の一角に人だかりができていた。
やれやれ、と溜息を隠さない鏡子ではあったが、それでも教員として集まっていた学生を宥める。
「お前たち、どうした。そんなに騒ぐと静かに勉強している者の迷惑になるぞ」
忍者学園は国立の学校。いわゆるエリート校である。
休み時間でも自学自習を行う生徒は少なくないし、とりわけ将来の掛かる三年生などはその比率も多い。エリート校の上位席次卒業となれば将来の出世コースに乗る。その瀬戸際ともいえる大事な時期。
本来なら、休み時間だからと言ってギャーギャーと騒ぐような学校ではないのだ。
「鏡子先生!!」
「どうした、何があった?!」
野次馬の中の女生徒の一人が、鏡子の姿を見るなり慌てた様子で手招きした。生徒たちを押しのけるようにして手招きしたその前には、生徒用の更衣室がある。
これまた生徒をかき分けるように、女教師も更衣室前に立つ。
「先生、この中をを見てください」
「これは!!」
野次馬生徒に示されるまま、半開きになっていた扉を開け、目隠しの壁を回り込むようにして女子更衣室の中に入った鏡子。
彼女の見たものは、荒らされたと呼ぶべき更衣室の惨状があった。
一階の女子更衣室は、基本的に女子生徒しか使わない。普通ならば当たり前と思うかもしれないが、この学校では教師が使わないという点で意味がある。生徒たちの自主管理が原則で、教師に内緒の情報交換を行えるという意味だ。
二百弱ほどのスチールロッカーの並ぶ部屋で、校庭で体育を行うクラスなどがここで着替えを行う。
一年生から三年生までの女生徒が共用で使うロッカーであり、三年間は割り当てられたロッカーを使い続けることになっている。下駄箱と合わせて生徒の希少なプライベートスペースであり、人によっては教科書や副教材をここに入れっぱなしにしたりもする。
制汗スプレーの匂いが充満していることを除けば、掃除も業者が行うために清潔感のある部屋だった。
過去形で語るのは、現状の惨状がそれほどに酷いものだから。
「酷いなこれは」
ロッカーは全て乱雑に開け放たれており、中に入っていたであろうものは全て外に放りだされている。足元の床には生徒の制服や体操服と思しきものが、足の踏み場もないほどに散らかっている。
何があったかは不明だが、少なくとも若手教師一人の手に収まる事件では無さそうだった。
「とりあえず、誰か職員室から教頭先生を呼んできてくれ」
「あ、じゃあ私が呼んできます」
現場の保存もあって鏡子はその場に残り、女生徒が教頭を呼びに行く。
一応彼は男性である為、女生徒たちへの配慮もあって同性で経験豊かな迫田教諭もやってきて手伝う。そうこうすれば、手の空いていた先生たちもやってくる。大抵が学校運営にそこそこ責任のある立場の年配者。
彼らは現場の保存を行いつつ、状況の把握に努める。
「警察を呼びますか?」
「出来ればそこまで大げさにしたくない。諜報機関の端くれたる我が校が警察に頼るのは、恥というものですし」
「そうも言ってられんでしょう。外部犯なら我々の職務権限の外です」
「しかし生徒の中に荒らした犯人が居れば、不要な悪影響をもたらしますし、生徒のショックも大きくなる。生徒の今後の為にも内々で解決できるならそれが望ましい」
「いえ、そうは言いましても……」
「先生方、議論は後で。やるべきことをまず片づけましょう」
熱くなり始めたお偉方の先生の議論に対し、迫田教諭は水を掛ける。
自分たちが生徒たちの前で醜態を見せていたと気付いた先生たちは、一様に顔を赤らめるが、それも一時的なもの。
「そうですな、ごもっともな指摘です。誰か、念のために写真をお願いします。万一警察が介入しても文句のないように、しっかりと」
「指紋や掌紋は?」
「不特定多数の生徒が利用する場。意味は無いでしょう」
「しかし、念のために取っておきます」
「では任せます」
教頭はじめお偉方の議論もそこそこに、原状復帰が図られる。
ある程度情報が整理できたところで女生徒たちを部屋に入れ、各々自分の荷物を整理させた。
「何か無くなっている物が無いか、確認しなさい!!」
「先生~やっていたはずの宿題が無くなってま~す」
「嘘はいけないわね速水さん。教科書の間に挟んである紙に見覚えがあるわよ」
「げっ、しくじった」
中には要領の良い生徒もいるようだが、それ以外では本当に失せ物が見当たらない生徒もいる。
「先生、あたしの予備の体操服が見当たらないです」
「私も、予備のスカートが無くなってます」
「本当に見つからないの? 誰かが間違って自分のロッカーに仕舞ったとかではなくて?」
「はい。私の体操服はゼッケンも縫い付けてあるし……」
「私もスカートはワンポイントの『垂れニャンコ』が着けてあるし」
「大山さん、制服の改造は校則違反よ?」
「ごめんなさい。でも、アイロンで付けるだけのやつで、直ぐに剥せるやつです」
はっきりと分かる特徴のあるものが無くなっている生徒は報告も早い。
そうかと思えば、未だに自分の物を探す生徒も数人居た。
「貴女達は何を探してるの?」
「私はスカートが」
「私は体操服の下だけ……」
これといった特徴も無く、他人が間違ってロッカーに入れた可能性もあるもの。
皆が同じような体操服や制服なわけで、いざ床に散らばった中から探せと言っても難しい物が有るのだろう。
「でも……」
生徒たちの様子を見ていた迫田教諭は気付く。
未だに自分のものを探している生徒たちの共通点。
「無くなっているのが、制服か体操服ね」
そう、彼女たちが探すものは二つのうちのどちらかだった。
無論、ロッカーの中に教科書を入れていて、今になって探し回る不届き者も居るが、総じてみればどちらか。或いは両方。
故に、一つの結論が浮かび上がってくる。
「誰か、泥棒に入ったわね。制服と体操服……外部の変態? 学内の男子生徒? 教師が犯人という可能性もある」
諸事物騒な昨今、変態が盗みに入った可能性があった。
これは間違いなく職員会議ものであると、教師たちは慌ただしく動き出す。
そんな中、女生徒が一人現場から立ち去る。
群衆に紛れたその姿を、目にとめたものは居なかった。




