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001話 忍者学園の異端児


 闇夜のビル街。

 月が煌々と輝く夜更けになっても、現代の人々は眠らない。明々と光る灯りがそこかしこを照らし、そして一人の男をも照らした。

 どこにでも居そうな、ごくありふれたスーツ姿の男。普通の人が彼を見たのなら、ただのサラリーマンであると気にも留めない。それほど彼は自然に見える。


 だからこそ、極一部の人間にとっては見過ごせない。


 「アーノルド・チャンだな?」

 「……はい? 何方かとお間違えでは。私は田中と言いますが」


 田中と名乗ったサラリーマンに対して声を掛けたのは、十代と思しき青年。


 「潜伏名、田中武。本名アーノルド・チャン。業界としては中堅の角紅商事で係長を務める三十八歳。アラビア語に堪能で、中東方面の取引を担当。しかしその実態は、イラン情報省VEJAの諜報補助員。今受けている任務は、日本の原油備蓄に関わる担当者について情報を奪取すること。おまえには、秘密保護法違反、スパイ防止法違反、背任罪、公文書偽造、有印私文書偽造、外為法違反他諸々の容疑が掛けられている。大人しく縛につけばよし、さもないと」


 青年が話している途中。

 サラリーマンが形相を変えて逃げ出そうとした。

 手に持っていた鞄を投げつけ、一気にその場からの離脱を計ろうとしたのだ。青年の動きは一瞬止まる。

 デスクワークのサラリーマンとは思えないほどの機敏な動きを見せた男。田中を名乗った彼は、その一瞬で十分逃げ切れると判断したのだろう。そのまま青年を撒いて、身をくらませれば良いとでも考えたのかもしれない。

 しかし、それは叶わなかった。


 「ぐはっ!!」


 男は驚愕しつつ前のめりに倒れる。

 さっきまで居たはずの場所から、いつの間にか青年が移動して目の前に居たからだ。それも、男の鳩尾に深々と拳を突き立てて。


 「思っていたほどでは無かった、か。何が手強い相手だ。またガセ掴ませやがったなあいつ」


 青年は、昏倒して意識を失う男を縛り上げていき、そのまま担ぎ上げる。

 大の大人一人持ち上げるというのも相当に力のいる事ではあるのだが、青年はスーパーでの買い物の荷物のように軽々と持ち上げた。

 さも普通の荷物であるかのように肩に担ぎ、そしてぼそりと呟いた。


 「さて、それじゃあ戻りますか……学校に」



◇◇◇◇◇



 光あるところに影あり。

 正邪善悪の一対は表裏一体にして根は同じ。


 人間の社会に国家と呼べる共同体が存在し、かつ繁栄を続ける西暦2025年。極東の島国である日本において、一つの議論がなされた。

 国家の治安を維持し、表から守る存在が警察や自衛隊であるならば、裏から守る存在とは何なのか、と。


 綺麗ごとだけでは済まない政治的問題は数多く、社会が複雑化する現代において、常に必要性を声高に叫ばれる存在。

 決して活躍が表に出ることがなく、影から社会の秩序を守る存在。

 それが“諜報機関”だ。


 かつては、日本にも存在した。ロシア革命を裏から作ったと言われる明石元二郎氏などが有名であるが、面と向かって相対する戦闘行為ではなく、宣伝、扇動、買収、プロパガンダに暗殺と、時に非合法な謀略をもって国家の利益を守ろうとした者達。或いはそれらから国民を守ろうとした者達。

 戦前には陸軍中野学校のように、諜報について専門的な知識を教育する場所も存在したし、その卒業生には諜報活動の記録の残る者も居た。

 しかし、多くの場合は活躍が記録されるどころか、記憶される事すら無い。より優れた諜報員は、存在していた痕跡さえ残らないのだ。


 戦後多くの記録が遺失する中で、ただでさえ希少な彼らの記録も散逸し、文字通り闇に消えた。

 だからこそ改めて諜報機関の必要性が議論された時、多くのものは今更であると叫んだ。もっと早く作るべきだったと。

 必要である。だが、お手本になるものが無い。過去の記録が乏しすぎる為に、前例を参考にすることが出来ないのだ。

 それだけに、全く新しい試みが手さぐりで行われることとなる。


 遅きに失した感はあれど、戦後八十年以上を経た後、一つの諜報機関が作られた。

 日本国家情報機関(National Intelligence agency of Japan)。通称はNINJA。

 東京メトロのテロ事件阻止。旧東側スパイによる工作活動妨害。大企業同士による技術情報の窃盗捜査。攻勢的犯罪防止。彼らが必要とされる事件は多岐にわたり、それらの事件のたびに機関は活躍を見せる。組織員の顔が表に出ないまま。今では国家にとって無くてはならない存在となっている。


 こうして成功をみた機関ではあったが、日を追うごとに重要性を増していくにあたって組織も拡大し、人材確保の必要性が問題となった。

 化学者や工学者に専門の教育機関や大学が存在する様に、情報工作や諜報の分野にも専門の研究機関を、という声も高まる。


 そこで設立されたのが、日本国家情報機関付属特殊情報員養成学校。通称、忍者学園(ニンジャアカデミー)

 カリキュラム自身は文部科学省管轄という体裁を採っているが、教育内容は実に独特なもの。そして、極一部の公開カリキュラムを除いて、多くの授業が一般には非公開になっている。

 大学部と高等部を併設する一貫校で、大学部は研究機関であると同時に準実戦部隊であり、人員の募集は基本的に高等部のみで行う。極々少数ながら、大学部からの編入も可能。

 高等部は一クラス四十人で三クラスが一学年だが、募集は全国どころか全世界で行っている。金銭面での補助も防衛大学並みに手厚い為、高等部でも勉強しながら給料が貰えるし、卒業後は優秀者なら高待遇での国家公務員内定とあって、志望倍率も年々高まる一方。

 高等部のクラス分けは成績順に、い組ろ組は組の三クラスへ振り分けられる。そのため、い組の席次がそのまま生徒の成績ランキング上位四十位になっていた。


 エリート中のエリートが集まる一年い組。

 だがしかし、彼らもまた好奇心旺盛な年頃の高校生であった。


 「また出たらしいの。例の奴」

 「ああ、前にお前が言ってた奴か」

 「そう。コードネーム『無名(ネームレス)』。任務成功率は機関所属のエージェントでもトップなのに、実態が一切不明の人物。このあたしが苦労して調べても、この程度の情報しか出てこない。聞こえてくるのは、成果のみ。これって凄いことだと思わない?」

 「ふ~ん」

 「何よ、気の無い返事ね。あんたも学園(アカデミー)の生徒なら、もっと情報には敏感になりなさいよ!!」

 

 一年い組の教室の中で、一組の男女が声を荒げる。

 というよりも、女性の方が一方的にまくし立て、男の方は飄々としていた。


 地毛に少し茶の混じる、艶やかな髪の女性。高校一年にしては体つきも大人っぽく、背も百六十センチ台の後半という高さ。締まるところは締まっている体型だけに、見栄えが良い。

 顔立ちは、一言でいうなら美少女系。少し大きめで、二重まぶたのぱっちりとした目。手入れの行き届いた眉。スッと通った鼻筋に、リップの乗った瑞々しい唇。

 誰がどう見ても美人と言える。

 美作小夜(みまさかさよ)十五歳。現在い組ではトップクラスにあるとされている優等生だ。


 対し、男の方は冴えない。

 決して不細工と言うわけでは無く、カッコいい部類に入るのだが、何故か印象に残らないのだ。

 ごく普通の、アンシンメトリーにした髪型。ほとんど手入れもせずに、引き締まった印象を与える眉目。高校生男子の割に油っけが薄くきめの細かい肌。

 どれをとってもパーツだけ見ればイケメンのそれなのだが、すべて揃うと、不思議とありきたりの雰囲気を醸し出す。あえて言うなら平均顔と言うのだろうか。

 彼の名前は服部主税(はっとりちから)


 この二人は、クラス分け後の騒動でお互いに見知って以来、席替え後の席が近いこともあってよくしゃべる。

 実力主義を謳う学園にあっては、成績優秀な小夜は何かと別格な存在として扱われることが多く、遠巻きにされがち。必然、自分が絡んでも適当な距離感を崩さないマイペース男と話すことが多くなった。


 「それより、こないだの防諜の授業のレポートを見せてくれ。どうも途中の記憶が誰かに盗まれたらしい」

 「授業中に寝てただけでしょ。腐っても学園の学生なら、情報は自分の力で集めなさい。実習で困るのはあんたよ?」

 「面倒くせえな~」


 体中で怠惰を表現する主税(ちから)だったが、しぶしぶ課題のレポートを書きなおす。


 忍者学園では、機関の一部という意味合いもあって、高等部の学生であっても実際の現場に出ることがある。

 捜査や調査、裏付けといった、本来は警察が行う部分を本職の諜報員が行い、法的な手続きを済ませた後の簡単な活動のみを、将来への経験という意味もあって学生の課題とする。忍者学園独特の授業の一つだ。

 当初は司法や行政を学生のおもちゃにするのかといった批判もあったが、実際に機能しだせば、人員不足が叫ばれる警察機構の補助として上手く稼働するに至り、許容されるようになってきた。

 むしろ最近では、優秀な学生に対してはもっと高度な実習を行うべきだとの意見すらある。学生に給金まで出しているのだから、便利に使えとの意見も根強い。


 「ほれ、これで良いか。当初の目的に対する評価、実際の行動について、あとは反省点を書き直しておいた」

 「やれば出来るじゃないの。寝ていた割に綺麗にまとまってる」

 「じゃ、卜部(うらべ)に出しておいてくれよ」

 「それぐらい自分でやりなさい」

 「……一昨日の放課後、裏軒のチョコパフェ」

 「ぐっ、何であんたがそれを」

 「優等生が買い食いはいかんよなあ。買い食いは。特に、風紀向上週間真っ最中の今なら尚更。俺が持って行っても良いが、職員室に行った時についポロっとこぼしてしまうかもしれんなぁ」

 「分かったわよ。つ・い・で・に、卜部先生のところに持って行ってあげる。それでパフェの件は忘れること。良いわね」

 「いやあ、いつも悪いねえ」

 「うっさい馬鹿」


 ご機嫌斜めのまま職員室に向かう少女を見送る主税。

 机にぐでっと身体を預けつつ、僅かな休み時間を睡眠に当てんと瞼を閉じる。ぼそりと呟く独り言は、誰聞くこともなく消えていく。


 「ネームレス……か」


 いつもと変わらない、学園の日常風景だった。

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