序章 彼女の面影
建物についてからも俺は走り続けた。階段を駆け上がり廊下を歩く人を避けながら目的の部屋にたどり着く。
「おい! クァント大丈夫か!?」
「うるさい……」
息を切らしながら勢いよく扉を開けると彼は居た。2歳ほど年下な彼は小柄な体をベットに寝かせ布団から覗かせた顔だけは少し不機嫌そうにこちらを見ていた。顔だけ見ると男女の区別がつかないくらい中性的なクァントだった。
「腹に大穴が開いたって……?」
「うん。いたい」
平坦なトーンでクァントは答えた。
そう答えるならもう少し痛がってみてはどうだろうか? 心の中で俺は突っ込みを入れる。
「どうしたんだよ? イノシシなんかに」
「……武器が壊れた」
クァントの視線の先にある脱いだ武具の山を観た。そして真っ二つに折れた剣を凝視した瞬間、俺は昨日クァントと剣を交えたことを思い出した。クァントほどの剣の達人がイノシシなんかに剣を折られるわけがない…………となれば俺の怒りに任せた一撃が剣を傷つけたのか。
「すまん! 俺の所為だ!」
「短剣の一撃だけで長剣をボロボロするなんて流石ラケル」
「本当にすまん!」
「……誤ってすむ問題じゃない」
「俺に出来ることがあるならなんでもする!」
俺はクァントに平謝りした。頭を下げながら何か償えることはないだろうかと思った。
ちらりとクァントの様子を伺うと微かに笑った気がするが、気のせいだろう。
「クァント! 遅れてごめん! ……ってあれ? いつもより元気そう」
俺は頭を下げたままでいると、部屋にヨシフが走りこんできた。ヨシフには全員がイノシシたちに背を向けるわけにはいかないため残って狩ってもらっていた。
しかしクァントが笑ったのはヨシフの言葉からも勘違いではないらしい。
「……じゃあ僕の代わりに外界調査に行ってきて」
「わかった……えっ?」
俺は予想外の言葉に驚き、頭を上げるといつも通り真顔のクァントがいた。
「聞こえなかった? ラケルが傷ついた僕の代わりに外界に行くこと」
「で、でもそれならヨシフのほうが適任だろう……ほら昨日の組手でも」
「ねぇなんでそんなに外界行きたくないの?」
ヨシフが不思議そうに俺に尋ねてきた。
「それは…………」
理由を紡ぎだそうとする口が反射的に閉じられてしまう。本能がまるで俺にそれ以上しゃべるなと、考えるなと、命令しているかのようだ。
「…………」
沈黙が続いた。もちろん沈黙の原因が俺にあるのは分かっている。それでも俺は口を開くことができないでいた。
「ラケルは外界自体は怖くないって言ってたよね。それは僕もクァントも分かっているんだ」
「……ラケルは外界に行くことで行方不明の仲間を生死を知ってしまうことが怖いんでしょ」
クァントのその言葉を聞いた途端に自分でも到達できないぐらい心の奥底にある蓋に触れられたように思った。その蓋の存在に気づいてやっとなぜこんなにも自分が外界に行きたくないのかが分かった。
「…………そうだよ。でもそれのなにが悪い! 外界に出向いて、わざわざ仲間の死を確かめて、なんの意味があるっていうんだよ!……けれども俺がもしここに居座れば、生死不明でも信じてさえいれば、仲間たちは俺の中で永遠に生き続けられるんだよ!」
彼らがこの雪山に戻らず外の世界で暮らしている。俺はそう考えていた。いくら何でも都合がよすぎるかもしれない……それでも死んでいるなんてことは考えたくなかった。
俺はこの妄想を続けるために外界に行くわけにはいかなかった。もしそこで仲間の死を確認してしまったら何もかもが終わってしまう。だから俺はミレイたちが失踪してから調査員の選抜査定をごまかしてきた。
「でもラケルの中のミレイや仲間はもう死んでいるんじゃないの?」
突拍子もなくヨシフが信じられないことを尋ねてきた。
「そんなことあるわけないだろ!」
「じゃあ。外に行った人たちのこと思い出せるの? 」
「あたりまえ……だろ?…………あれ? なんで……? 」
俺は脳に記憶を探るように言ったが、錆びついた歯車のようにまるで仕事をしない。無理やりにでも脳を働かせようと頭に凄まじい指圧がかかった。
名前は? 性格は? 顔は?
…………思い出せなかった。一年前に旅立った仲間の名前すら出てこない。俺の頭には確かに旅立った多くの仲間がいる、でも凝視しようとしても誰が誰だか分からない。俺の記憶はどうなっているんだ……。
「ラケルは脳と心を鈍らせて、記憶をあやふやにして、現実から逃げているだけだよ……それにミレイのことも名前くらいしか覚えていないんじゃないかい?」
「そんなこと……」
ヨシフの言葉に即座に『ない』とは言い切れなかった。そんなはずはない。俺は懸命にに記憶をさかのぼった。
4年前に旅立った彼女の顔はどんなだっけ。いつも笑ってたような……いや怒って……表情豊かな女の子だった気がする。
俺は必死に過去の記憶を追った。けれどもどれだけ念じようと出てくるのはは一緒にいた風景だけで彼女の顔には泥がべったりと塗りたくられたように思い出せなかった。
「うそだ……」
「生きている人に覚えてもらえないほど虚しい死に方はないよ。もし彼らが本当に死んでいたとしても、ラケルには直接観て欠片でもいいから思い出してほしい……だから僕たちはラケルに外界に行ってほしんだ」
あれだけ一緒にいたはずのミレイすら思い出せない俺にヨシフは優しく言葉を投げかけてくれた。そして俺に外界に希望があるとまで言ってくれた。
「ごめん。やっぱり無理だ……。何もかも忘れた俺が行っても、もう…………」
「ラケルっ!」
断ろうとした俺の手が力強く握られた。驚いて手の先を見るとクァントがこちらを見ていた。
「外界に行ったら…………『お姉ちゃん』をお願い……っ!!」
俺はクァントの泣いている顔を初めて見た。そしてその泣き顔は。
『ラケル……私が外界に行ったら……弟をお願いね……っ!』
……重なった。思い出した。彼女の顔を。涙を堪えきれないその表情を。思い出せた。
「そうだよな……ミレイのやつ泣き虫だったもんなあ……」
心の奥底にあった蓋が取れて形容しがたい気持ちが込み上げてきた。
俺は4年振りに泣くことができた。
「ありがとうヨシフ、クァント。俺は外の世界へ行く! 失ったものを取り戻してみせる!」
確かなものはほんの少ししかないけれど、俺は前に進むことを決めた。
俺の冒険はここから始まったのだ。
ちなみにその後彼らは一年後の再開と一蓮托生を約束した証として、外界の歴史逸話の序章『桃園の誓い』にならい義兄弟の盃を交わしたのだが、酒に慣れてないクァントが酒を吹き出し、真っ赤な顔でやり直しを要求してきたのは余計な話であろうか。




