序章 臆病者
きっかけは些細なことだった。
出発まで残り2週間となった俺たちは狩りの後でも間髪入れずに外界についての座学を強制させられるようになった。
「なあ、なんでこんなに教師が増えてんだよ」
頭に巻いたバンダナに吹き出す汗が染み込んでいくのが分かった。
「そりゃあ、毎日のように逃走してればねー」
すこし見渡せば女教師4人、太った男が1人……役員長だったはず。後ろにも女が2人いる。
返事をしたヨシフを見ると赤くなった顔を冷ますように手で仰いでいる。笑顔は相変わらずだが。
クァントは無表情だ。こちらも相変わらず。
「お前ら暑苦しんだよ。つか貴重な男手こんなことに使ってんじゃねえよ」
「こら! せっかく教えてもらってるのになんて口の利き方なの?!」
俺の発言に食いついたのはレナ先生だった。
その言葉に重ねるようにして役員長が諭すように穏やかに言った。
「私たちは諸君らが外界に行ったときに異文化に困らないように未知に怯えないようにしているのだよ」
「はあ!?!?」
「……おいてめえ、今なんて言った?」
「えっ?」
「俺が外の世界に怯えてるとでもいうのか? てめえは!」
俺は立ち上がりそう言った太った男の顔を睨み付けた。数日のイライラが頂点に達していたのかもしれない自分でもこんなに速く血が上るとは思わなかった。
「ちょちょっと! ラケル!」
ヨシフが隣の席から腕を伸ばし俺の服を引っ張ってくる。
周りにいる女教師たちの訴えの目線が役員長に注がれる。
「す、すまない。失言だった」
その視線を受けて自分が謝れば穏便に済むと判断した男はさっきの発言を取り消した。それに俺自身もこんなに短気な性格少し恥ずかしく思った。
張り詰めた空気の糸が緩んでいく。誰もが仕切り直せば再開できる、そう思ったにちがいない。
しかし矢は予想外のところから飛んできた。
「でもラケルは……外の世界に行くことを怖がっている……よね」
いつも通りの抑揚のない平坦な声、だがそれははっきりと聞き間違えのないレベルで伝わった。
「おいクァント……俺の聞き間違えか?それとも暑さで口がおかしくなったか?」
「……ラケルは臆病者って言った」
「意味が分からん……分かりやすくってくれや。クァント」
座る前だった俺はそのまま隣のクァントを睨む。しかし卑下された怒りよりも疑問と驚愕のほうが大きかった。ヨシフですらさっきまで俺の服を引っ張っていた手を放し、口を開けてクァントを見ている。
「ラケルの実力なら何年も前に調査員に成れたはずなのに……」
「?!」
「でもラケルは弱いふりして、わざと負けて調査員からはずれたんだ……そうでしょ」
「違う! 俺は外界なんてこれっぽっちも怖くなんてない!! むしろ憎い……憎くてたまらないんだよ!」
「そうじゃなくてラケルは……」
「ストップ!ストップ! 2人とも落ち着こう?」
俺とクァントの間にヨシフの巨体が入って話が中断される。
「とりあえず今日はお開きにしよう! うんうん。それがいい……いいですよね先生方?」
手拍子とともに半ば強引に解散を提案したヨシフのおかげでその場は治まった。
その翌日。
それは一瞬だった。
「もうしゃべるなよ。お前」
脳が理解するまえに体が動いた。腕が振るった。
腰から短剣を取りそのまま太った男の顔面目掛けて振り下ろす。
だが俺の一閃は乾いた音と共に長剣に止められた。手首に予想外の反動が伝わる。俺は剣が交わった先に怯えた家畜のような顔を見てから剣を止めた張本人を睨み付ける。
「おい……」
「…………」
そいつはなにもしゃべらない……クァントはただ無表情に俺の目を見てくるだけだった。
「クァントなぜこんなクズを庇う?」
俺は短剣を押し通そうとしながら問いかけた。
「…………」
答えは沈黙。話にならない。いくら目と口で訴えようと沈黙が続く、まるでヌカに釘を打つように。
「ちっ……」
俺は手に持った短剣で窓をたたき割って、外へ出た。
どれくらい走っただろうか、外に出た俺は林の中で息を整えていた
「ふー。待ってよラケル」
後を追ってきたヨシフが俺が止まったのを見て話しかけてきた。
「確かにミレイのことを悪く言ったのはあの男だけど……」
「けどなんだよ! お前はかつての親友があんな風に貶められて我慢しろっていうのか?!」
……かつて天才少女と呼ばれた彼女は、『死神』と大人たちから噂されるようになった。初の女性調査員として旅立ったその年から誰も帰ってこないという悲惨な事実の原因を探そうとせず、ただ女性だから、それだけの根拠もない理由でミレイ一人に押し付けている。
「でもでも、役員長に暴力なんて振るったら確実に選抜から落とされちゃうよ! それこそクァントのフォローがなかったら……」
「……関係ねーよ。どのみち今回の件でクァントに決定だろう」
外界調査出発まで2週間を切っているのだ。役員長にとっては守ってもらった恩と俺の不意打ちに対応できたクァントの実力は間違いなく外界の危険に耐えうるに相応しいとみるだろう。実力に関して言えば俺も同意見である。あの人間離れした反応速度には驚愕した。
「くそ。最近イライラが止まんねえ……おい! もう怪我しても何も問題ないし、武器ありでやらないか?」
最近の自由のない束縛。クァントが俺のことを臆病者といったこと。ミレイを責めた男を吹き飛ばせなかったこと。あらゆることが俺の体温を上げていった。
「あはは。いいよ。でもその前に」
憤怒の俺とは違ってヨシフはいつも通りにこやかな表情で俺を見てくる。しかしこれでは俺が一方的に怒りをぶつけてしまうのではないか。そう考えると後ろめたい気持ちがわいてくる。
「ん?」
「僕一晩考えてやっとわかったんだ。昨日クァントがなんであんなこと言ったのか」
「なに?! おい教えてくれよ! それがイライラの大部分を占めてんだから」
「あはは。僕も人のことは言えないけど、ラケルって超がつく鈍感さんだね」
ヨシフはこの村随一の高身長を木の葉のように揺らしている。この仕草はうれしい時によくやるやつだ。おそらく自分が一歩先を行っていることに対しての喜びだろうか。ショートでツンツンした白髪さえも揺れているとこらから喜びの度合いは大きいように見える。
「……いいから。教えろよ」
「うん。いいよ。でも…………」
ヨシフから笑みが消えた。
瞬間空気が変わった。氷の結晶に全身を突き刺されているような張り詰めた緊張感が俺を責め立てる。
少年たち3人の得意な武器はそれぞれ違っていた。
ラケルは小回りが利く短剣。
クァントはシンプルな長剣。
ヨシフは身長を超える大剣。
ヨシフが背中にある柄に手を回したのが分かった俺はすぐさま後ろに飛び去った。
ヨシフを中心に凄まじい速さで振るわれた剣筋にはなにも抵抗がないように見える。速度を落とさなかった大剣による風圧は水分をしっかり含んでいたはずの重い雪を舞い上げるほどだった。
「…………僕に勝ったらね」
俺は雪を払って前方を確認した。目尻が上がったヨシフの表情とその四方にあった樹はすべて空間ごと断裂したようになぎ倒されていたのが分かった。
「おまえ平然を装っていやがったな……っ! 完全にキレてんじゃねーかよ……」
その尋常じゃない勢いと変貌に息が詰まりかけるが、それよりもこの腹立たしさを共有できたことに喜びを感じ、笑みがこぼれた。
俺たちとは1歳しか違わないミレイは俺ら二人にとってかけがえのない親友であったことを改めて実感することができたのはとてもうれしいことだった。
「うん。ラケルが剣を抜かないなら教室ごとバッコリするつもりだった」
「ほーう。けっこう溜め込んでんのか」
「血液が逆流しそうなぐらいかな」
特になんの合図もないまま俺たちは切りかかった。
さらにその翌日。
「なあ。頼むよ。教えてくれよ」
イノシシ狩りの最中に俺はヨシフに頼み込んでいた。
「だーめ。約束だもの」
隣でイノシシの腹を大剣で掬い上げながらヨシフは答えた。
結論から言うと俺は敗北した。なので情けないがなんとか教えてもらおうと試みている。
「このままじゃ授業の時に気になりすぎてクァントの方チラ見するのが止まらなくなるんだよ!」
「あはは。まるで恋する乙女みたいだねー」
「んだと!?」
俺は全身からくる痛みが体のあらゆる動作をぎこちなくするがそれでもルーチンとなった狩猟には何も問題はなかった。次から次へと押し寄せるイノシシを短剣一本で捌ききった。
「……おい大変だあ!」
離れたところで狩りをしていた集団の男が必死に形相でこちらに駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「……く」
男 は息を切らしてうまく言葉が出ないみたいだ。ヨシフが男の肩を優しくたたいた。
「ほら。落ち着いて。なに?」
「……クァントがやられた!」
その知らせは手に持っていた武器を落とすほどの衝撃を俺たちに与えた。