序章 外界調査員
「こら。ラケル起きなさい」
コツンとバンダナを巻いた頭に衝撃が走った。眠気が覚めて顔を上げると呆れた顔をした女教師がいる。
「ちゃんと授業くらい聞きなさいね」
机で寝ている俺を起こしてきた彼女は片手に持った本を広げなおし授業を再開しようとする。
「どんまい」
「あははは」
俺は左右から聞こえてきた声に対して順番に振り向く。右に座っている白髪の痩せた男がクァント、左で同じく白髪の微笑んでいる背が高い男がヨシフ。それとは同時にこの部屋には俺たち3人にこの女教師1人しかいないことを確認した。
「はいはい。わかったわかった」
「何ですかその返事は!」
俺のやる気のない返事にしわを寄せてこちらに詰めかかってくる。彼女は一応俺たちよりも5歳ほど年上なのだがまったく恐怖心がわかない。
「それよりレナ先生さっきのとこ間違ってますよ」
「えっ?!」
隣のヨシフの一言にくるりと向きを変えて黒板に向かい慌てて手に持った本と黒板に書かれた字を見比べるレイ先生を俺は見逃さなかった。
「いち抜けたっと」
廊下は他の大人がいるかもしれない。予め授業が始まる前にカギを開けておいた窓を開けて先生の驚きの間に雪が積もる外に脱出した。
「ちょちょっと待ちなさい!」
洗練されたラケルの逃走劇に彼女が口を開けたのは彼が外の森に入った時であった。
「あっレナ先生僕が追いかけてきます!」
そういってヨシフは立ち上がって先のラケルと同じように窓から飛び出した。
「……じゃあ俺も」
勢いよく飛び出した二人とは対照的に落ち着いた足取りで窓へ歩を進めていくクァント。彼は目を見開いたレナに一礼して二人を追った。
「…………」
ほんの10秒足らずで生徒全員がいなくなってしまった。レイはこの事態に頭が追いつかなかった。
「って! 私も追いかけないと……また怒られちゃう!」
ようやく把握した彼女が3人が飛び出した窓に駆け寄って足跡を目で追うが林のほうへ消えてすでにその姿はなかった。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
走り続けること10分周りは完全に黒い木々に囲まれた。少し乱れた息を整え足元の雪を固めるように足踏みをした。
「ふう。いたいた」
10秒ほど待っているとヨシフとクァントが駆け寄ってきた。
「毎度のことだけどいいの? 授業さぼっちゃって」
「知ったかぶりの知識を教えてくるところが気に食わんの」
ヨシフからの問いかけに俺はそう答える。
……あいつらの言っていることはすべて妄想だ。山の外に出て実際に見てもない聞いてもない癖に。
「あはは。まあね」
ヨシフは苦笑いを浮かべた。
「それに俺は今年も外界調査員には選ばれないだろうさ。正直お前らの二択だと思うぜ」
俺はヨシフとクァントを指さして言った。
「……それ本気で言ってる?」
右手で指したクァントがいつもながらの無表情で平坦な声で答える。しかし少しだけ怪訝な雰囲気が混じっている気がした。そのわずかな変わりように俺は疑問を持った。
「僕も2人に比べると選ばれる自信ないなあ」
左手で指したヨシフが頭をかきながら照れるように言ったため全員が謙遜をしているように雰囲気が柔らかくなってしまい、俺はクァントに聞きそびれてしまった。
「それよりさ。早く始めようぜ。実戦練習」
俺は大人たちの説教覚悟でここに来た目的を提案する。それは座学なんかよりも楽しくてためになる組手である。幼稚な発想かもしれないが、自分の身を守るために体に戦闘を叩き込んでおくことが何よりも重要だと思うのだ。
見れば2人とも準備運動をしている。この考えは3人の中に共有されているようだ。
「あとさ、勘違いしてるみたいだけど後で説教受けるのはラケルだけだと思うよ」
「えっ?」
俺の気鬱な雰囲気を感じ取ったのか、ヨシフが笑いながら言う。クァントは相変わらず無表情である。
「僕たちさぼるときはラケル1人のせいにするようにしてるから。あはは」
「……ん」
まるで子供のような笑顔で俺に告げるヨシフと表情を変えずにこくりとうなずいて肯定するクァント。
「ど、どおりで毎回俺だけ呼び出されていると思った……っ!」
俺はてっきり個別に怒られているものだと思っていた。
「……この野郎。覚悟しろよ」
俺は2人に踊りかかった。
「ひゃー!」
「ふ……」
出発まであと1か月それなのに俺たちはこうして毎日のように授業を抜け出してはこうして3人でガムシャラに取っ組み合っていた。
外界調査員。
これについて説明するには俺たちの村について掘り下げたほうがいいだろう。
ここは寒冷地方の王冠のように山々に囲まれた高原にできた村である。
周囲を壁のような山脈に囲まれた村は異文化との交流が一切あらず、日々自給自足の生活をしていた。
……しかしある冒険好きなバカがソリで斜面を何時間も駆け下りて外とを隔てる山の麓についたときにぽっかりと穴が開いているのを見つけた。引き返すこともできなかった彼はその穴に飛び込んだ。
それが始まりだった。
誰もが死んだと思った1年後、彼はそよ風が吹くかのように唐突に帰ってきた。そして彼がもたらした『火薬』というものはこの寒冷な村に莫大な恩恵を与えた。さらに彼が通った穴は夏季の数日だけ開くことが分かった。
1年後彼は急死してしまったが、その計り知れない影響を受けて20名の編隊を組み外界へ旅立っていった。
これが外界調査員の始まりである。
「…………」
俺は沢山の本が陳列された本棚から一冊手に取った。
『外界調査総括』
第一回外界調査…………成功。
その当時の村の人口は約200人さらに男ではその半分と考えると調査員20名という大人数はかなりの危険をはらんでいたと想像がつく。だがその賭けは成功した。20名全員が無事に村に帰還したらしい。そうして世界地図や暦などの数多くの恩恵をもたらした。
第二回外界調査…………成功。
同じく20名からなる外界調査は見事成功。『鉄』という存在。そして一回の調査では信じられてはいなかった『魔法』と呼ばれる常識を超越したものがあることが確信に変わった。
さらに快進撃は続いた。第三回、第四回、第五回……第九回と数名の犠牲者は出たものの世界の技術を吸収して数多の知識が封入された本を持ち帰った。この総括にも黒い文字でびっしりと書かれていることからも持ち帰った嬉しさが読み取れる。誰もがこの村の繁栄と革新を疑わなかった。
……しかし我々はある問題に直面する。
それは村に帰還した者全員が喘息や頭痛、麻痺などの唐突な発作に苦しむようになった。
これは文化が進歩したとはいえいまだ生活の大部分を狩りに当てている村人にとっては致命傷だった。
狩猟のさなかに発作が起こった者は反撃を受けて死んでしまったり、中にはそのまま衰弱死してしまう者もいた。そうしてどんどんと村の男手が少なくなっていった。
「…………」
ページをめくる手が震える。
そうして迎えた第10回……4年前の出来事である。
村の役員はついに女性を外へ派遣することにした。
ミレイ。
選ばれた彼女は当時13歳という異例の若さである。しかし彼女は超がつく文武両道の天才少女であり能力的にみるならこの選択は間違ってはいないと思う。そして彼女のほかに9名が付き添って外界へ旅立った。
「…………っ」
紙の端を持つ手が汗ばんで紙に灰色のシミを作っていた。
結果。
全員行方不明。
続く第十一回。
全員行方不明。
十二回。
全員行方不明。
十三回。
全員行方不明。
真っ白な紙にその一言だけであった。
特に第十一回前代未聞の総員死亡報告を受けて村の人口が100人しかいないにもかかわらず、15人もの調査隊を編成した。結果は失敗。村の男性の人口は15人までに落ち込んだ。
そうして2年前の第十二回は5名。
第十三回は3名に大幅に縮小した。
そうして今年は……。
ラケル (16歳)
ヨシフ (16歳)
クァント (14歳)
以上3名のうち1名のみを外界調査員に選抜する。
「おーい! ラケル授業始まるよー!」
ヨシフの声にハッとした俺は本を棚に戻してヨシフのもとへ走った。