第一章 ◆17「合成獣」
<4/21 朝 イカロス城1階>
どうしたらいい。あの化け物は倒せない。
一応、観察はしてみた。
10億近いエーテルの塊が、そこらに居た実験生物や魔獣、石材や水を取り込み、ゲームでよくあるキメラのような生物になっていた。
肉食獣の胴体に八つの首から犬や虎の頭が生え、手足はというと地面に接地しているのは7本、乱雑に中空へ向かっているのが4本。
石の鎧を纏って、いや、石材すらも体を成すパーツとなっていて、所謂ゴーレムみたいな部分がある。弱点は、わからない。
そんな滅茶苦茶な生命体は、出会いがしらに俺たちを襲った。
イカロスですら転移直前時点でのエーテル量は3億7千万だったらしいから、それを遥かに超えているこの合成獣は、この世のどんな生物よりも頑丈である。
そして俺たちの誰より素早く、攻撃性能も高く、魔法すら操る。
1階の廊下に着地した俺たちの不意を突き、突然現れた合成獣は、直径1メートルくらいの炎弾を10個以上飛ばしてきた。
地面を覆う、赤いプラスチックのような素材は話に聞いていた粗悪な魔石だ。
開けたばかりの業務用ソルベのような、綺麗な新雪部分を踏むとパキッと音を立てて割れる。
しかし周囲の地面の魔石はほとんど粉々に割れている―――まるで交戦の跡のようだ。
その地面に炎が着弾すると、爆発を起こし一瞬だけ燃え広がりすぐ消える。魔石が粗悪と言うのはこういう意味か。
「……僕が足止めする」
そう言いながら魔法攻撃に抵抗する為に前に出たシヴァルデは、録画映像を早送りするかのような速度の合成獣に前足のうちの一本で薙ぎ払われ、
6車線の国道を横断するくらいの距離を一瞬で吹き飛ばされた。
面食らったミナモは一瞬体を跳ねさせた。刹那、構え直すその1秒にも満たない時間で合成獣は突進した。
なんとか防御態勢に入ったミナモを待ち受けていたのは、壁の衝撃。銀行の金庫のような分厚い壁をブチ破って向こうの部屋に放り込まれた。
し、死んでないよ……な?
『撤退せよ』
シャドウの声が響く。だが、俺は動けなかった。攻撃しようという気すら起きなかった。
絶対無理だ。倒せるわけがない。
せめて、こちらに来たばかりの頃とは言わないまでも、元の世界での背丈くらいがあれば向かって行く勇気の一つでも出たかもしれない。
今や小学生並だ。ただでさえこの合成獣はでかいのに相対的に更にでかく見える。足が竦んで動けない。
「グルるるルァ……ル……」
唸りを上げる合成獣。人の怨嗟の声が重なり絡まり猛獣の声となって顕現している。
「ギガルルァルルググ助ケ――殺シてく――コはド――生きタ――腹ガぁヘ――ニたくなイィ――グググぐグ…………」
エーテルの量が多すぎて、意識が統合しきれていないようだ。何百何千もの、恨みの声、絶望の声が俺に降りそそぐ。
俺に何をしろって言うんだ。
何故俺は襲われない?
地面に魔法が次々着弾して燃えてはすぐ消えていく。
俺の魂は、本来この世界のソウルストリームに存在しない、異物だからか?
だからエーテルの存在である合成獣に認識されないとか。
俺が特別だからか。
そう、魔王の体に飛ばされるくらいだ。俺は選ばれたものなんだ。
そう。こんな経験ができた人間は元の世界には全く居ないだろう。
俺だけが救ってやれる。
なんて、恐怖を振り切ってしまった俺の脳は、勘違いも甚だしい答えを導きながら安直に声をかけた。
「大丈夫、俺は味」
その瞬間、3本の尻尾が合成獣の横から飛んできて、まるでハエでも振り払うかのように雑に攻撃された。空気が破裂したような音が鳴る。
宙を舞う俺の体。いや、舞うどころじゃねえこれは。射出と言った方が正しいんじゃないか!?
……このままどこかに叩きつけられたら……死ぬ?
被弾時の痛みはなかったが速度はありえないほど出ている。脳が揺れそうになる。
迷いなく『勝者の憂鬱』を発動。この力は本来ゲームで絶対勝てる展開の時にしか使えなかったのだが、こちらの世界ではそんな制約はなく普通に使えるようだ。
まぁ元の世界のゲームで使っていたのはそもそも能力でもなんでもなく、過度な集中というだけなんだけど。
漂うマナを吸い込み、自分だけのエネルギーに変換。それを使って思考を加速させ相対的に時間の流れを遅く感じさせる。
シヴァルデとの戦いで感覚は掴んでいる。それをもう一度繰り返すだけだ。能力は発動した。
周囲の速度が鈍化する。高速で流れる景色が少しずつ遅くなっていく。地面に接地しそうだ。左踵を付け、飛ぶスピードを落とそうとする。
ゆっくり、ゆっくり。この速度でも普通に動こうと思えばできるが、現実離れした速度を出すとマテリアルがついていけずシヴァルデの時みたいに腕が粉々になる。
ギャギャギャギャギャギャッ
ちょ、ちょっとでも遅くなったか?
回転が加わり、踵を地面から離してしまう。左手で反射的に壁を掴もうとする。さっきよりちょっと速く。
爪が、指の先端がはじけ飛ぶ。痛みに叫び声を上げるが、能力はまだ解けない。俺が飛ばされている速度は想定よりかなりある。
痛みを堪えて壁と床に手足を伸ばす。今度は指ではなくナックルダスターの拳部分で。
壁には血の赤。床には魔石が削れて露出した床の、塗料の色である青のラインを作っていく。
今受けたダメージは、指を大根おろしにかけている痛みをゆっくり味わっているようなものだ。
脳が苦痛に喘ぎ、全身から脂汗が吹き出す。でも、死ぬわけにはいかない。
壁が迫る。痛覚は一旦無視。涙が出るほどツラいが男は我慢だ。
タイミングを計り、左に体を捩じる。音ゲーだ。判定ライン(かべ)に重なる(ぶつかる)瞬間に力の抜けて動かない右腕を。
全力で叩きつけて激突ダメージを回避する。
右腕がまず壁に叩きつけられ、激突したそこにはヒビが入った。ナックルダスターが受けきれなかった衝撃が俺の骨に伝わる。
次に左足が、続いて右足がリズムよく壁に着地する。音を表現するなら『ドン! カカッ!』っと言ったところか。
そこで能力が解け、どちゃっと地面に落ちた。今の成否は可もなく不可もなくという感じだ。
「あああああああ!! 痛ええぇええええぇぇぇ……」
必死で体を起こし合成獣の方を見る。追撃してくる様子はない。30メートルは離れているが、まだこちらに視線をやっている。
体の状態を確認する。
右手。動かない、メッチャ痛い。打撲か骨折。
左手。人差し指から薬指まで指先からの第一関節までがない。掌と腕に擦過傷。一部が真皮と神経まで削れて痛みより痺れが勝ってきている。
両足。被害軽微。ちょっとした打撲と靴の踵の削れくらいか。
体。無傷。壁に着地した時無茶な体勢をしたためかなり捻って、地面に落ちた時肩を打ったが、それくらいなんだというんだ。
意識はあって、歩ける。動ける。即死攻撃をここまで軽減できたのだ。僥倖と言わざるしてなんと言うのか。
「とりあえず射線を外れないと……ッ」
周囲を見回すと、俺が叩きつけられた壁のすぐ隣に大きな穴が空いているのがわかった。中の確認もせず、迷わず飛び込む。
しかし、俺は何故考え至らなかったのか。
合成獣が一匹だけではないかもしれない、と。