第一章 ◆11「お風呂にて裸で膝枕される」
◆4/18 深夜 イカロス城72階 大浴場
「……」
俺は目を瞑ってライフエネルギー由来である熱に揺蕩う頭を抱えつつ、今後の事に思いを馳せる。
一つには、イカロスの外見ではなくなってしまったため、もうイカロスを騙る事はできない。勿論『あの』放送の弁解をすることもできない。
一つには、あの白衣の爺さんから情報をもっと聞きださねばならない。特に形質と魔法について。俺も戦力にならなければ生き残ることすらままならない。
一つには、味方を増やさねばならない。シヴァルデは今のところ先生として色々教えてくれそうだが、力を貸してくれると言ったわけではない。
目下、どうにかしなければならない敵は餓魔人ゾンネ。そろそろ魔王になれるほどエーテルを貯めこんでるんじゃないか?
更にもう一つ、この世界の法則であるエーテルとマテリアルの『相互干渉』について腑に落ちない点がある。違和感と言うべきか。
・強大なエーテルはマテリアルに影響を与えて進化を促す。その時変化に使うマテリアルは体内外の物質である。
・エーテルが貧弱な場合、マテリアルは退化する。それに応じて体内の不要物質はライフと老廃物として排出される。
この二つと、以前ミナモにされた魔晶石の話などを統合して考えると、魔法というのもマナをエーテルで操り変換することによって、マテリアル界にライフとして現れ現象を起こすという事になる。
何故断定するかと言うと、魔王が脳内であぐらかいてうなづいているからだ。
『足りない部分はあれど大方はあっている。続けるがいい』
偉そうだ。まぁいい、思考を続けよう。
大きな魔法を使う為には、大量のマナが必要になるだろう。
消費されたマナは現象を引き起こし、何かしらのエネルギーとなり拡散していく。
ライフがもしそのままの形でマテリアル界に残るとした場合、そのライフの影響を受けてエーテル界のマナに戻るだろう。
マナがライフの基本の形だった場合でも、ライフはマナに戻ってエーテル界へと収束するだろう。
では人の魂とも言えるエーテルを莫大に利用して起こした魔法、精神 交換は、この世界に何の影響も与えていないのだろうか?
『我もそれを勘繰っていたところよ』
「結構出しゃばるようになったね君」
『貴様の意識が薄れる瞬間ならば会話ができるようになったようだ。解説するならば、このマテリアル体に残っている長期記憶から芽生えた自我。それが我であるようだな」
魔王の残留思念と言ったところか。
脳の奥、暗闇の中で片膝を立てて座る浅黒い肌をした巨体が蠢く。
「じゃあお前は最近意識を持ったって事か?俺より年下だな」
『そうなるな、しかし我と貴様は二心同体。貴様は我であり、我は貴様だ』
「多重人格みたいなもんか」
『我に肉体を操作する権限はないようだがな』
肩を竦める魔王の姿。残念そうに見える。
マテリアルの退化によって、マテリアル体の一部がエーテル化したのかもしれない。それによって新たな人格が生まれてしまった、とか。
『そこでだ。我は長期記憶を持ったまま自我が芽生えた、魔王イカロスとは別の存在であるという事を伝えておく」
「お前にはお前なりの目的があるって事だろ」
なんとなく言いたい事が伝わってくる。
『流石は我だ。同じ脳を共有しているから話が早いな』
「エーテル体しかない俺の方が体を動かす権限を持っているって言うのはちょっと面白いな」
『確かに興味深い。シヴァルデに教えてやりたいところだ』
「伝えとくよ俺が」
『感謝の意を表す』
「なんて呼べばいい?」
『シャドウとでも呼んでくれ』
「イカロスの影って事か。かっこいいと思う」
『よい名であろう』
お互い脳を共有しているので話が早い。ハイスピードで会話のやりとりができる。これは楽だ。
「お前の目的は邪魔しないよ。俺も【それ】は多少なりとも必要だと思ってた」
『そうか、ならば我もいざと言う時には手を貸そうぞ。思考も補佐しよう』
「ありがとう」
『こちらこそ、な』
「それより、さっきの話なんだ……け…………」
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「ツバサ! しっかりするにゃ!」
「……え?」
風呂場?
鼻の奥がツーンとする。
体を見ると、うわ。血まみれだ。これ全部鼻血か。
俺は今半分横たわっていて、上半身はミナモに枝垂れかかっている状態だ。
血を拭くのにお互いのタオルは使ってしまったらしく、二枚とも俺の体に乗っている。
背中側全体がとても暖かい。
「熱もあったって言うのに、湯船でずっとぶつぶつ言いながら考え事なんて死ぬ気にゃ!?」
「……いや鼻から物質がちょっと出ちゃっただけだろ」
「塀の向こうから声かけたけどなかなか返事が来ないから心配になって乗り越えてみたらこれにゃ」
乗り越えた?あの男女の風呂場を仕切ってる4メートルくらいあるあの壁をか。
見ると、元の世界と同じようにタイルと鏡でつるつるしている。魔人には仕切りなど無駄だという事か……。意味ねえ。
「全く、イカロス様の体だった頃の強さはもうないんだから気を付けるにゃ」
そうか、俺のマテリアルは弱化したんだな。じゃあミナモから前みたいな回し蹴りを食らったら死ぬな……。
って事はまた変な行動したり、エッチな事したら即死ぬと思っていいかもしれない。
……後頭部に当たってるこれはそのうちに入るのだろうか。
言葉を選びながら慎重に伝える。
「ミナモさん、胸当たってますよ、鼻血止まらなくて死んじゃうんで勘弁してもらえませんか……」
「あわっ……バ…………殴っちゃダメにゃ……まだ子供にゃ………………き、気にすんにゃ。看病させろにゃ」
ずりっと俺の頭が、ミナモの腹と腿の間くらいに落ちる。
なんとか死なずに済んだようだ、ものは言い様と言いますか。役得として受け取っておこう。
元の世界ではこんな事一度もなかったしな……。だからこそケンタにエロ本貰ったりしたのだが。
「……」
「……」
気まずさの極みだ。見た目はうら若い男女が男湯で、裸で膝枕している状況。……うら若いと言えばミナモの詳しい年齢は聞いてなかったな。
薄目を開ける。クリーム色の髪の上から生える耳がぴこぴこ揺れて、水滴を滴らせる。しっとりした尻尾が左右に揺れて時折顔に触れる。
頭を撫でられる。床屋で髪の毛を洗ってもらった時みたいな心地よさがある。
そっと目を開けると、ぼやけた双丘の向こうに照れ顔の猫耳娘が居た。
ぺちっと尻尾で視界を塞がれた。
「目ぇ開けるのはだめにゃ」
「……」
17年生きてきて、女性と付き合った事はおろか触れ合った経験すらほぼないというのに、今の状況と言うのは桃源郷も斯くやあらんと言ったところか。
それはもう、人体の主要な器官が集まった頭というパーツ。これは本体、正に自分そのものである。
その本体である主要パーツが、上と下にて女性のアレとコレで挟まれているのである。
しかしここから一歩でも踏み込めば死が待っている。俺自身も上と下にて熱いものが集まり、背中を冷たいものが流れる。
このままではまずい。『観察する力』を使おうにも目が塞がっていてはどうにもならない。
大体何を観察しようというのか。また鼻からマテリアルを流して今度こそ失血(ライフ)性ショック死してしまうのではないか。
「も、もう大丈夫なんで起きてもいいですか」
「い、今動くと見えちゃうにゃ」
「み……見たらだめなんですか?」
「にゃ…………」
返事を待たずにゆっくり起き上がる。背を向けたまま。
ここで振り返れば、白磁のような肢体が白日の下に暴かれるだろう。
俺は男だ。振り返りたい。でも、ミナモは恥ずかしさを抑えて俺を看病してくれたのだ。
そう、俺は男だ。こんなところで使う命ではないし、ミナモに申し訳が立たない。
「ミナモさん、先行っててください。僕もすぐ出ますんで」
「! わ、わかったにゃ! 倒れる前にすぐ来るにゃ」
すかさずタオルを回収して風呂場からミナモは去って行った。まるでボスを相手に時間稼ぎをするようなセリフだったが、このシチュエーションではとても格好悪い。
はぁ、とため息を吐きつつ、止め処ない透明な物質を目から流すのであった。