35.宿屋の女の子
孫神達から話を聞いた後、交代でシャワーを浴びた。
「はい、そうですね。今から戻れば、昼前にはオーレンセに帰れます」
「よし、オーレンセの街に戻るか!」
リリィもシャワーを浴びた事で、かなりさっぱりしたようだ。
朝来た道を戻る。
牛が出る。
リリィが吹っ飛ぶ。
牛が死ぬ。
よし、門まで到着。
本来だったら、毎回、死ぬ思いをして倒すはずの魔物が、リリィのおかげで、完全なルーチンワークだよ。
「お帰りなさい、早かったですね……あれ、随分さっぱりした感じで、着替えもされて……ダメですよ、聖地は神聖な場所なんですから」
門番がニヤニヤしながら、変な勘違いをしている。
ちゃんと釘を刺しておかなければなるまい。
「あー、誤解のないように言っておきますが、私はちゃんと妻がおりまして……」
「はいはい、わかっております。これですね」
と言って、口でチャックを塞ぐフリをする。
いや、わかってないだろう。まぁ、妻が来た時に余計な事を言わなければいいか。
しかし、この世界、チャックがあるのか?
あれって、俺たちの世界でも近代に入ってからの発明だと思うのだが?
「チャックですか?」
「ああ、ファスナーって名前かもしれないが……」
リリィに小声で聞いてみる。
「いえ、そのようなものは知りません」
「さっき、門番が、こういうゼスチャーをしたが?」
「あー、それは口を縫い付けるというしぐさですね」
ブードゥ教ですか?
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門番に確認したが、まだファビオ達は到着していないようだ。北門側から来るという事なので、街の中央広場から右に折れて、北門に向かう。
この街を通る人々は、南北の門を利用しているのだろう。東門の付近に比べて栄えている感じがする。だが、それでも街の規模からすると寂しい感じだ。少し見ていたが、門を通って出入りする人影は無い。
「やっぱり、街の外へ出るっていう人はあまりいないのかな?」
「そうですね、大人数での移動が基本ですので、このくらいの規模の街では、出入りする頻度はそんなに高く無いはずです」
少し見回すと、オープンテラスになっている宿屋らしきものがあった。
昼飯時という事もあり、何組かが食事をしている。
北門の門番に、リリィが木札を見せ……若い門番だったが、生真面目なのか、視線は動かなかった……こいつとは友達になれないな……任務という事を説明した上で、頼み事をする。
「軍の部隊が街道の方から見えたら、私どもはあちらで待っておりますので、声をかけていただけないでしょうか?」
宿屋の方を指差す。
「『血みどろな牛亭』ですね。わかりました。軍の部隊を視認次第、ご報告させていただきます」
俺達も見張るけど、門番にお願いした方が効率的だ。
ファビオ達が来たら、隠れて様子を窺う必要があるし。
しかし、宿屋の名前が『血みどろな牛亭』って、昨日の『牛のしかばね亭』といい、どういうネーミングセンスなんだ。
「すみませんー」
「はいー」
宿に入り、洗い物をしていた女の子に声をかける。
「あそこで、夕方くらいまで待たせてもらっても大丈夫ですか?」
「コース料理を頼んでもらえれば、夕飯時までは大丈夫ですよ」
オープンテラスの角の席を指さして頼んでみた。
「それはいくらくらい?」
「へ、本当に頼むの? 毎度ありー、ランチコース 1人、4400円 、先払いでお願いします!」
そこそこな値段だけど、変に価格交渉をして、追い出されても困るので、そのまま払う。フェロル村でもらった路銀が心許ないが、まだ数日は持ちそうだ。
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「はい、お待たせー」
外が見える4人掛けのテーブルに座った俺たちの所にさっき声をかけた女の子が、食事を運んでくれる。コース料理なのでフランス料理みたいに順番に出てくると思ったんだが、次々と皿が並べられた。
「スープに、野菜蒸し、モツのトマト煮込みに、牛肉と唐辛子炒め、焼き麺っと……」
全体的に中華っぽい雰囲気だ。
「あと、飲み物はサービスしておくよ」
炭酸水みたいなものが置かれる。
そして、リリィの隣にひょいと腰をかけて……
「それにしても、おじさん、お金持ち? 普通は黙って飲み物だけとって居座るもんだけどね」
「いや、それだと店に迷惑が……」
「んー、まぁ、大きい隊商でも来ない限り、昼に満席になる事は無いから、迷惑とまでは大丈夫かな」
「それじゃ、そう言ってくれれば」
「いや、別に率先して許しているわけじゃ無いから、聞かれたら、そりゃ一番高いメニューを注文してもらうよ」
「そうか。商売上手なんだな。でも、おじさんは金持ちっていう訳じゃ無いから……」
むしろ、借金ばかりしています。
「次、同じような事があれば、飲み物だけにしてみるよ」
「そうだね、そうした方がいいと思うよ」
なんとなく打ち解けたような気もしたので……
「君はこの宿屋の子?」
「ううん、宿屋の子じゃなくて、ここのオーナーだよ」
それはビックリ。
どう見ても、ユイカと同じか少し上くらいの年頃のようにしか見えないけど……
「あ、もしかしてお父さんが早くに亡くなって……」
ちょっとしんみりしてしまう。
「違う違う。お父さんもお母さんも元気だよ。ここは2年前、私が前のオーナーから買い取ったんだ」
「え、見た感じ、物凄く若く見えますが……」
もしかして結構なご年齢?
娘に話すような感じでの会話は失礼だったかな。
「見た感じ通り、16歳のピチピチだよ」
ケラケラ笑いながら、少女は答えた。
「私がお父さん、お母さんにアドバイスして、それで始めた商売が大儲けしちゃったんだ。だから、儲けた分の一部をもらって、昔からの夢だった、宿屋経営に成人したタイミングで乗り出したの」
「へー、偉いんだね」
ユイカとは大違いだ。
「あ、それじゃ、商売の話を一つさせてもらっていいかな?」
「え、いいよ……じゃない。いいですよ、お伺いしましょう」
突然、雰囲気が変わった。背筋に力が入ったような感じだ。
まだ少女と言っていい年齢なのに、商売と聞いてスイッチが入ったみたいだ。
「そんなに沢山という訳にはいかないけど、街の外にいる牛を討伐して、卸す事ができるんだ。いますぐという訳にはいかないけど、将来的には安定した供給も可能。取引を検討してもらえないだろうか」
滅多に討伐されない牛を安定供給するとなれば、商売の目があるんじゃないだろうか。そう目論んだのだが、店のオーナー少女は、伸びた背筋を元に戻し……
「おじさん、着眼点はいいんだけど、ちょっと遅いかな」
「えっ?」
「できれば4年前、遅くとも3年前だったら、大儲けできたかもね」
「というと?」
「ちょっと違う角度からなんだけど、私も4年前、牛肉の安定供給という事を考えたんだ」
なんと、先達がいらっしゃった。
「それで、ある日、両親が二人がかりで、数頭の牛を気絶させて持ち帰って、ロープで縛り付けて放置していたら、うまく繁殖」
この少女が魔物を使った畜産業を発明したっていうのか。
「品種改良も重ねて、街の中の宿屋やレストランに卸すようになったんだ。だから、おじさんが外で狩ってきても、この街で買う人はいないと思うよ。食べる分には問題ないけど、野生種だと、魔物臭が強いしね」
参りました。
「その後、牛肉を卸す事で儲けたお金の一部をもらって、前からやってみたかった宿屋経営を始めたっていう訳さ」
「それは本当にすごいね。こっちも良い商売かと思ったんだけどな」
「うん、良い着眼点だったな。うちの家が牧場を始める前は、討伐隊がたまに持ってくる肉を塩漬けにして出していたから、そんなに美味しくなかったんだ。だから、もしおじさんが、私が気が付く前に定期的に卸す事が出来ていれば、大成功だったと思うよ」
「そうか、それは残念。また、何か思いついたら、話を持ってくるよ」
「うん、期待しないで待っているよ」
まぁ、それでも将来のために顔は繋いでおこう。
「あ、おじさんはタナカです。こっちは……」
「リリアナ・ヒメノです。そんな生き方もあるんですね、まだ私より若いのに……感銘を受けました」
リリィが感動で目をウルウルさせている。
「お姉さん、ちょっと近いよ!」
将来の稼ぎに不安のあるリリィにとっては、この子のような存在は励みにもなるだろう。 偉大なる若き起業家は照れたように、こう応えてくれた。
「コホ、私は、エレナ、エレナ・イータです。今後とも、ぜひご贔屓に」




