1. 引越
等身大のおっさんが家族ごとファンタジーの世界に転移したら……そんなお話です。
是非、お楽しみください!
完結しました(4/23)
いつのまにやら7万PVにブクマが150超え。ありがとうございます!(4/27)
久しぶりに家族揃っての夕食中だったはずなのだが……
気が付けば妻も子供達の姿も無い。
俺はただ一人、見慣れぬ会議室のような場所にいた。
窓はあるがガラスの向こうはグレ一色。俺は長机の前にある安っぽいパイプ椅子に腰を掛けていた。机の反対側にはパイプ椅子がもう一脚。そしてホワイトボード。まさしく会議室だ。
そして俺はと言えば、片手には発泡酒を持ち、口の中には先ほど口に放り込んだばかりのラム肉が残っていた。今日の夕飯は家族揃ってのジンギスカンだったのだ。
「ここはどこだ?」
とりあえず夢なのか超常現象なのかは知らないが周囲を警戒しながらも肉は飲み込んでおこう。
「待たせたな」
突然、目の前から声がする。
視線を戻すと、誰もいなかったはずの、パイプ椅子に突然、巫女姿の少女が座っていた。
「どこから?」
「そう驚くな。まぁ、びっくりするのも仕方が無いが……先に自己紹介をしておこう。妾はオクシヘノ。お前たちが言うところの神の一人とでも思ってもらえればいい」
その声に、どこか聞き覚えがあると思いつつも、俺は端的な結論に飛びついた。これはやっぱり夢なんだな……なんだ……力が抜ける。夢だったらエロい展開が希望なんだが、娘と同じくらいか、それより下のお子さんには、性的な欲求なんて何も感じないしな……。そんな事を夢の中とはいえ、ぼーっと考えていたら、この神様が、とんでも無い事を言い出した。
「妾は、神として、そなたが心の底から願っている、ノンビリとした生活を実現させてやろう。さぁ、今すぐ引っ越しじゃ! そこは、海と山のそば、景色は最高だ。そして、何と今回、特別に費用はいらぬ。引っ越し代無料、家賃無料、ついでに光熱費も無料じゃ!」
あー、いいねー。無料っていうのがいい。
「場所はどの辺りだ? 暖かい所がいいなー。ハワイのワイキキ辺りで無料で住めたら最高なんだが……」
「そうじゃな、とりあえず、これを見ろ!」
少女はホワイトボードをバン! と叩く。途端、ホワイトボード上に黒い文字が浮かび上がる。
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優良物件! 海と山のそば! 賃料、管理費、光熱費 永久無料! 異世界徒歩0分、間取りは住み慣れた3LDK! 仔細、応相談。
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ふーん……ん? 異世界? 徒歩0分って事は異世界そのものだよね。
あー、この夢、異世界転移もののプロローグみたいな設定なんだ……俺もとうとう、こんな事を無意識に考えるようになったのか。末期症状だな。
趣味は読書で年甲斐にもなく好物はライトノベルを読み漁っている。「異世界転移」の話も、いくつも読んでいるのが、夢にその影響が出たんだろうな。現実逃避したい。異世界転移、本当だったらいいなぁ。
「その条件だったら、いいか……な?」
「そうじゃろ! よし決まった! 引っ越し決定じゃ」
気がはやいな。
しかし、つまらない夢だ。どうせなら、すでに引っ越してますくらいの設定で始まってくれた方が嬉しかったんだけどな。とりあえず、そろそろ、起きるか……
手に持っていた発泡酒を一気に飲み干す。うん、うまい……うまい? あれ、夢ってあんまり味がある事は無いよな。まぁ、いいや。
そしておもむろに机に頭を打ち付ける。
ガン!
……痛い。痛い! 全力でやったので痛いぞ!
夢なのに、なんで痛い??
「……言っておくが、これは夢じゃ無いぞ。」
夢じゃない。それはどういう事だ?
ちょっと待て、俺は異世界に引っ越しなんてしないぞ。
家族も……仕事………はしたくはないが……ある!
「キャンセルでお願いします。夢じゃ無いというなら、今すぐ元の世界に戻してください」
「何を言っている? もう引っ越しは完了したぞ。戻すのは無理じゃ。あと言い忘れたが、引っ越しはそなただけではない。そなたの家族も全員一緒じゃ」
家族が同時に転移って奴か……たが、それでも困る。
「頼む、元に戻してくれ。子供たちも学校はあるし、俺にも妻にも親がいるんだ」
「その辺は全部、因果をいじっておいたので、問題ない。最初から、そなたち家族はいなかった事になっているので、誰も、気がつかん。それに、もうすでに、そなたの家族は納得して、引越し先で待っているぞ」
なんだと。
あいつら、何から釣られたか?
「どうする? 特別に、そなただけ戻してやってもいいが……」
「……いい、家族がすでに同意しているのなら、俺だけ戻るという選択肢は無い」
これで出口は塞がれてしまった。こいつの言っていることが本当かどうかは解らないが、家族が引越しを了承したという以上、自分だけが元の世界へ戻るなんてありえない。
「解った。納得はしないが理解はした。ただ、このまま放り出されても困る。強制的に移住させられるのであれば、ある程度、条件面で融通を利かせてくれ」
「贅沢じゃな。まぁ、良い。お前の家族もそれなりに条件を出していたようだしな。してお前は何を望むのじゃ? 応相談の範囲内で対応してやるぞ」
「家族が決して離散しないように、安全な住居、安定した収入、身分の保障、移住先に関する基礎的な知識と言語力は最低限、神の力を使って何とかしてくれ」
「わかった、なんとかしよう」
「それとなぜ俺たちなんだ? 転移先で何かする必要があるのか?」
「選んだのは全くの偶然じゃ。無作為抽出の結果。運が良かったな。引越し先でやってほしいことはあるんだが……それは、現地に着いてから使者が赴く事になっているので、それまではノンビリしておいてくれ」
使者? やって欲しい事? とりあえず、後回しだ……
「それと、チート的な力をくれ!」
「残念、時間切れじゃ。それにの、過分な力を持つというのは、決して幸せなことでは無いぞ。それじゃ、頑張ってくれ!」
「おい、ちょっと、ちょっと待て!」
突如、世界が暗転した。
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気が付けば、座っているのはいつもの食卓。
食卓には、いつもの定位置に妻と子供たちが座っていた。
「俺、眠っていたか?」
「ううん、そうじゃないわ」
妻に続いて娘がベランダの方を指差す。
「パパ、外を見て」
そこにあるべき隣のマンションはなく、拡がるのは広大な青い海。
「こうして僕らの異世界生活が始まった……ってナレーションが入る場面だね」
そう言ったのは、足下に座り尻尾を降っている我が家の可愛いトイプードルだった。