【誰も好んで移住したいわけではない】
織田信長が安土に本拠地を構えた時、
城下で火災が発生したことがありまして
よくよく調べてみますと
城下で暮らす尾張出身の武士が
軒並み
(禁止されていた)
単身赴任であったことを知った信長は
尾張に留まっている家族の家を破却(正しくは焼き討ちに)し、
無理矢理安土に引っ越しさせた。
子供の教育の問題が
今ほどクローズアップされていない時代でありましても
仕事の都合だから
と家族全員が……
となることは無く、
信長の家臣の家族のように
(住み家を雇い主から奪われる)ことでもされない限り
引越しに踏み切ることにはならず。
同じ言葉の通じる地域でありましても。
のちの世に
『イスラム教徒の大移動』
と記されることになるのでありましょうか……。
陸路海路使いまして
治安定まらぬ中東・アフリカ諸国から
安全なヨーロッパを目指すかたがたのニュースが
報道されております。
その出来事のヨーロッパ側の発信源でありますところが
世界史上に名を残す大移動を経験された民族が母体となり、
形作られました国であります
ドイツとハンガリーであることに
少し興味惹かれるところであります。
今回の事案。
アラブ世界からの民族大移動の
根本の原因となったモノは何であるのか?
を振り返ってみますと
まず第一に挙げられますのは
旧ソ連によるアフガニスタン侵攻でありまして
それに対抗するためアメリカ合衆国が送りこみました兵士が役割を終え、
次に向かった先が
元々の雇い主でありましたアメリカ合衆国であった。と……。
で。アメリカは当然
(やられたらやり返せ。徹底的に)
の国でありますので
アフガニスタンに部隊を派遣し、
その余勢を駆りまして次に向かった先が
何故かイラクだった。と……。
イギリスで言う
大ピット小ピットのようなことを
アメリカがやってしまいまして。
当然イラクのかた。怒りますよね……。
しかもアメリカ。
私怨でイラクの
時の政権破壊したあとに
単なる多数決だけで政権運営させようとしましたので
本来、次の国造りに必要な人材となるべく
実務能力のあるかたがたに冷や飯を喰らわすようなことをやってしまいましたので
そうされましたかたがたは
当然、怒ります。
それでも多数派となったかたがたが
きちんと統治出来れば良かったのでありましたが
行政の経験が決定的に不足していた。と……。
こうなりますと揉めます。
しかも能力があるほうが
冷や飯を喰らわされているほう
となりますと
収拾がつかなくなります。
政権側に実務経験が欠けていますので
住民に対し
きちんとした施しが出来ていないため
政権に対する住民の支援を得ることが出来ない状況でありますので。
住民はどちらの味方になるか?
となりますと
(どちらがマシであるのか?)
の選択肢になるのかもしれませんが……。
この時期。イラクとは異なる動きが
北アフリカで発生します。
所謂『アラブの春』。
こちらのほうも
政権を奪ったまでは良かったけれども
そこから先。
何をしたいのか?
が無いかたがたが
国の運営に携わってしまいました上に
これが中国みたいに
こうすれば統治することが出来ますよ。
と言うフォーマットが
長い歴史の中で出来上がっているところや
政権が変わっても
実務が出来るかたがたは
権力争いとは別の位置に居ることが出来る国であれば良いのでありましたが
(……そう言う体制になっているところのほうが
稀な事例なようでありまして)
どうしようもならないから
とエジプトや
地域は異なりますがタイでは
軍が動かざるを得ない事態となっております。
(もっともエジプトの場合は
元に戻ったのでありますが)
その流れの中、
リビアでは内戦が勃発しまして
長い間、国をまとめられておりましたかたが……。
しかもそのかたが敗れる決定的な要因となりましたのが
対となる勢力に
西ヨーロッパからの手厚い支援があったから。
でありまして
その様子を傍観するしか無かったロシアが反発した中、
中学生の落書きがキッカケとなり
泥沼化することになりましたのが
シリア
でありまして
これら地域は
元々は安定していた国々
(ソ連侵攻前のアフガニスタン含め)
であったのでありましたが
外から無理からに焚きつけられました結果。
今のような状況に陥る事態になってしまった……。
その原因となった
本来、忌むべき相手である地域を目指さざるを得なくなった。
よしんば
辿り着くことが出来たとしましても
現地のかたがたからは
冷たい視線を注がれることになる。
その原因を作った地域の人間であるにも関わらず……。
誰も好き好んで移住したいわけではありません。
第二次世界大戦後。
日本に対して施したことが
残念ながら
今のアメリカには出来ないのかもしれませんね……。