第67話 「ジュリアの体調不良」
「どうじゃ! 妾の素晴らしい魔法は!」
えっへん!という擬音が今にも聞こえて来そうな表情で、偉そうに胸を張るソフィア。
……今、俺達はコーンウォール迷宮地下1階に居る。
ソフィアが発動した魔法により、迷宮内の『隠し転移門』とやらが開放され、何と俺達はそこから一気に地下1階へ戻って来たわけなのだ。
「やっぱり妾は有能であろう? ほれ、トールよ、大きな声で言ってみせい!」
「……ああ、分かった。有能だよ、うん」
「はぁ、相変わらず、そのとってつけたような言い方をしおって! 何が気に入らないのじゃ!」
俺の冷たい言葉に、とうとうソフィアの我慢の限界が来たらしい。
彼女はいきなり平手で、俺を思い切り殴ろうとしたのだ。
驚いたのは、自動人形のせいなのか、分からないが人間離れした速さな点だ。
しかし!
俺の異常とも言える動体視力から見れば、この怖ろしい速さのビンタも避ける事など容易い。
常人には捉える事が難しいと思われるソフィアのビンタではあるが、俺は簡単に彼女の手を掴んで防いだのだ。
逆に吃驚したのはソフィアである。
彼女はまさか手を掴まれるとは思ってもみなかったのだろう。
「くううっ!?」
「ほらっ、いきなりそんな無茶をするなよ。だが俺も言い過ぎた、悪かったよ」
手を掴みながら謝罪する俺を、大きく目を見開いて見詰めるソフィア。
その瞳は真っ青な宝石の筈なのに人間の瞳のように感情が篭もったように見える。
「は、放してたもれ」
「あ、ああ……」
――そんなこんなで俺達は絆亭に帰って来た。
迷宮を出る時に俺はソフィアにお願いをした。
クランの人数が増えていると、迷宮の入り口に詰めている衛兵から余計な突込みを入れられ、痛くもない腹を探られる。
元々、俺達のクランは迷宮からの生還を勝手に賭けの対象とされている。
つまり必要以上に注目されてしまっていたのだ。
加えて、ソフィアはガルドルド魔法帝国の巫女という独特の衣装からして、とても目立つ。
この娘は一体どこの誰だ!? という取り調べに近い事が絶対に行われるのに決まっている。
もし取り調べを受けたとしたら……
いくら旧ガルドルド魔法帝国の最新技術を使った自動人形と言っても、必ず人間ではないと気付かれてしまうであろう。
俺は今回の一件で大人しくなったソフィアを説得して、収納の腕輪に入って貰う事にした。
少し渋ったソフィアだったが、俺が頭を下げて理由を説明すると意外にも素直に腕輪の中に入ってくれた。
ソフィアは王族であり創世神の巫女という女性だから、知性だって持ち合わせている。
ただ価値観が俺達と全く違い、帝国再興の意思に沿って動いているだけだ。
宿の部屋に入って腕輪から出されたソフィアは部屋の狭さにも文句は言ったが、以前のような我儘ぶりは何故か消えていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺達クランがコーンウォール迷宮から、同キャンプを経てジェトレ村の絆亭に帰った日。
ゆっくり眠った翌日の朝の事、『異変』は起こった。
……何とジュリアが高熱を出して寝込んでしまったのだ。
彼女の身体は硬直し、起き上がるどころか満足に手足も動かせない状態である。
そう、15歳の誕生日を迎えたジュリアに例の竜神族の覚醒って奴がとうとう来たのだ。
アモンによれば1週間程度の寝たきり状態が続くらしい。
それを聞いた俺は一瞬考え込んだが、直ぐにイザベラとアモンに申し入れをした。
イザベラの姉の婚礼の日までもう残り少ない。
タイムリミットが迫っている。
『賢者の石』と『オリハルコンのレシピ』を少しでも早く悪魔王国に持ち帰らないといけないのだ。
イザベラの姉の輿入れの際に、嫁入り道具として必要なオリハルコン製のティアラと短剣の製作には時間も掛かるだろうから。
俺達のやりとりをじっと聞いていたジュリアが、苦しい息の下から呻く。
「はぁはぁ……ト、トール……わ、私は絆亭で休んでいるから……イ、イザベラと」
俺に悪魔王国に行って納品して来て欲しいという事だろう。
しかし俺の魂は既に決まっていた。
「イザベラ、アモン……悪いが、先に出発してくれ。俺はジュリアに付いているから」
実の所、俺の魂の底にはアモンに対しての深謀遠慮もあった。
俺が腕相撲の勝負に勝ってから、毒舌を吐きながら俺の面倒を何かと見てくれたアモン。
スパイラルがそれはアモンの友情だという台詞を吐いていたが、最近は俺も彼に友情を感じていたのである。
しかし俺はアモンの婚約者であるイザベラを嫁にした事実が、心の奥底でずっと引っかかっていた。
強い奴が勝つのだから、そんな事は気にするなという悪魔の論理と、普通の人間であった頃の良心が俺の中で激しく葛藤していたのである。
俺はイザベラの事を決して愛していない訳ではない。
当然、凄く可愛い嫁だと思っている。
だが悪魔王国においてアモンの立場はとても微妙だ。
一応外身はひ弱な人間の俺にみっともなく負けた上に、国王の娘である自分の婚約者だったイザベラまで寝取られたとあっちゃ……下手すると死罪になるくらい、やばいかもしれない。
ここで何もなかったかのように悪魔王国に戻り、家出したイザベラを連れ戻して、オリハルコンを持ち帰れば、彼はお咎め無しどころか、一躍『英雄』となるだろう。
しかし!
イザベラはこんな時に異常な勘が働くのであろうか?
断固として出発を拒み、ジュリアが回復するまで自分も絆亭に残ると宣言したのである。
それを聞いて尚更、吃驚したのがジュリアだ。
俺が残るのでさえ難色を示していたのに、イザベラまで残ると聞いて戸惑いと嬉しさが入り混じった複雑な表情をしている。
「あううう……だ、駄目だよ、イ、イザベラ……」
「ジュリア! 何、言っているの? 私達は仲間というか、夫を同じとする妻同士じゃないか! つまり家族だろう? 助け合うのは当り前だよ」
「あうううう、トールゥ、イザベラ~」
「オリハルコンはもういつでも渡せるんだ。姉上にはもう少し我慢して貰うさ」
こうなったらアモン単独で帰国するのは絶対に無理となるから、イザベラはそれを見越して、姉にオリハルコンを渡すのは先になると言っているのだ。
……イザベラの真意は俺にも分からない。
ジュリアの為と言いながら、帰国したら、俺とはもう2度と会えないと感じたのが理由かもしれない。
念話で密かに聞いても構わないが、それは彼女を完全に信じていない意味となってしまう。
ここは素直にジュリアの為と受け取っておこう。
そうと決まれば、絆亭の女将であるドーラさんには、ジュリアが『風邪』をひいたという事にして延泊を頼む。
下手に医者を頼むとジュリアの素性が探られる可能性もあり、やめた方が良いとアモンには忠告されたのだ。
じゃあ、治療に関しては? と問い質すとさすがに他部族の事などで詳しくないと言いながらも、一応アドバイスしてくれた。
竜神族の覚醒の症状は様々だが、高熱が出る、食欲不振、下痢、眩暈、倦怠感等々らしい。
有効な薬も無い為に、例えば熱が出たら冷やすとか等のいわゆる対処療法的な事を行うしかないようだ。
寝込んでしまい、苦しそうなジュリアを見た俺は、彼女がとても可哀想になってしまった。
彼女の夫として身の回りの世話をしっかりやると魂に決めたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジュリアの『覚醒』が始まってからもう4日が過ぎた。
俺は今、ジュリアが寝ている部屋で彼女の世話をしている。
アモンから、7日ほど経てば覚醒に伴う体調不良は収まると聞いたので、もう峠は越えたと思っていいらしい。
「おおい、ジュリア。汗拭いてやるからな」
「トールゥ!」
俺はベッドに横たわったジュリアの服を脱がせると、優しく汗を拭いてやる。
そんな事だけでも、ジュリアは余程嬉しいのか直ぐに涙ぐんでしまう。
「馬鹿だな、泣く奴があるか」
「だってぇ……」
基本、俺がジュリアの世話をして、買い物や雑用とかはイザベラとアモンに頼んでいる。
2人とも有り難い事に、とても協力的だ。
そしてソフィアはというと……単にあてがわれた部屋でぼうっとしているだけだ。
俺はイザベラに頼んでソフィアの背格好にぴったりなフード付きの法衣を買って来て貰った。
ソフィアには適当な場所で着替えて貰い、遠方から来た商人仲間と言うことにする。
法衣を着込んでフードを深く被れば、ソフィアが自動人形とは、簡単にばれないであろう。
商人仲間であればドーラさんも異存は無い。
あっさりと絆亭に部屋を取ってくれたのである。
但し、相部屋になどすると煩いので、当然個室だ。
俺が色々と世話をしていると、ジュリアが何か思い出したらしくて真っ赤になって俯いた。
「は、恥ずかしい……あたし……それにおしっことか、ええと『あれ』とかって……汚いよ」
実はジュリアは今、1人ではトイレにも行けない状態だ。
なので……いわゆる『おしめ』をしている。
おしめの取替え、付着した排泄物の処理、きれいに洗濯して乾かす事も、この俺の仕事なのだ。
「他の人には絶対にやらせられないだろう? こんな時の旦那だぜ、遠慮なく使ってくれよ」
「だ、だって……こんな事やってくれる優しい旦那なんて……絶対に居ないよ。そ、それを……か、考えたら……あたしって……とても幸せ者なんだなぁって……あううううう」
ジュリアはまた泣き出してしまう。
無理もない、いくら『覚醒』の際の体調不良とはいえ、不安で堪らないだろうから。
その時、ドアがノックされる。
この魔力波は……ソフィアだ。
俺は一応確認してみる。
「誰だ?」
「妾じゃ」
「ああ、入れ」
最近、ソフィアは俺がジュリアの事を世話しているのを、じいっと眺めている。
特に邪魔をしたりしないので、例の『おむつ』以外の時は自由にさせている。
俺は今度はジュリアの顔の汗を拭いてやる。
彼女は満面の笑みを浮かべて、とても幸せそうだ。
それを暫くじいっと見詰めたソフィアはいかにも面白く無さそうに首を振ると「はぁっ」と大きな溜息を吐いたのであった。
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