第63話 「失われた国の王女」
『反魂香の効き目は長く持たぬ! 早う、妾の言う通りにしてたもれぇ!』
反魂香から立ち昇る煙の中に浮かぶソフィア・ガルドルドは必死な面持ちで俺の魂に呼び掛ける。
魂を呼び戻す反魂香の効力を、ジュリアとイザベラも目の当たりにして驚いていた。
だが、目の前に現れたソフィアの声は念話で俺だけに聞えている。
その為にジュリアとイザベラにはソフィアが何を言っているかは分からなかっただろうが、その身振りで必死さが伝わったようだ。
2人は当然の事ながらソフィアに同情する。
「何か、あの娘、悲壮感に満ち溢れていて可哀想な感じだよ。彼女の言う通りにしてあげよう!」
「そうだね、ジュリアに賛成。トール、あの娘を助けてあげて!」
それにしてもジュリアとイザベラは本当に優しくて可愛い。
ノロケと言われそうだが、我が嫁ながら本当に誇らしいと言える。
2人の言葉を聞いて、自分の味方になりそうだと考えたのか、ソフィアは彼女達を取り込もうとした。
念話でジュリアとイザベラに呼び掛けたのである。
『そこの小娘達! 良い事を言う! さあ、忠実なる下僕となって、さっさと妾の言う事を聞け!』
……これじゃあ逆効果だろう。
案の定、2人の怒りが炸裂した。
「はぁ、下僕って何!? ムカッと来た! トール、前言撤回! 取り消しでこの人、放置しよう!」
「トール、あんな女……成仏させてやればいいのよ!」
うわぁ!
180度変わっちゃった。
しかしこのまま放置も可哀想だし、1回くらいは言う事を聞いてやろうか。
どうせ、これでソフィアとは2度と会う事も無いだろうし。
『分かった、どうすれば良い?』
俺がOKの返事をした時のソフィアの喜びようは尋常ではなかった。
尊大な彼女が噛みながらも、必死に礼が言えたのだから。
『お、おお! や、やってくれるのか? あ、ああ、ありがとう! ま、まず、お前の名を聞いておこう』
『トール・ユーキだ』
『トールか! お前には魔法の素養がある。そしてお前の身体から放つ聖なる魔力波から創世神の御使いと妾は見ておる。これから妾が言う言霊を唱えてくれ。この言霊は実際に口で詠唱しないと効果がないのじゃ』
『ああ、良いよ』
俺は凄い上級魔法は使えないけど言霊――まあ呪文のようなものだろうけど、唱えるくらいなら出来るだろう、多分……
『では、申すぞ! ……人型たる仮初の肉体よ! 我が声に答えよ! 生と死の理に反して永遠の時を今、この手に得たり! ……良いか?』
ようし、1回で覚えた!
さすがにスパイラルから貰った頭脳だ、素晴らしい。
さあ、どんと来いだ!
俺は大きな声で朗々と言霊を詠唱したのである。
「……人型たる仮初の肉体よ! 我が声に答えよ! 生と死の理に反して永遠の時を今、この手に得たり!」
ごとり……
俺の言霊が玄室に響いた瞬間である。
傍らの石壁が音を立てた。
表面に美しい女性が描いてある、いわゆる壁画が動いたのだ。
全員の視線がそこに一斉に集中する。
すると静かに壁画が動き、中は人間が立てるくらいの収納スペースになっていた。
その中には何と見た事の無い独特の衣装を着た、美しい金髪の『少女』が立っていたのである。
「ええっ!? あ、あれは?」
予想外の展開にさすがの俺も驚いた。
あれは……人間!?
いや!
……俺が良く見ると『少女』は人間では無い。
まず魔力波が違う。
生きている者が発する『気』ではないのだ。
そして質感も人間とは微妙に違うのである。
『よよよ、よしっ! でで、でかしたぞ、トール!』
壁の向こうから現れた人型を見て、反魂香の煙に浮かんでいたソフィアの表情は喜悦に満ち、声は興奮で上ずっていた。
どうやら、俺の詠唱は上手くいったらしい。
そして間を置かずに、反魂香から出る煙に浮かんだソフィアの姿が消えると、彼女らしい魔力波がその人型に流れ込んだのである。
その瞬間、人型の碧眼の瞳に光が宿り、身体がぴくりと動いた。
あ、あれは!?
「ア、アモン!? あ、あれはっ!」
俺は思わず叫び、妻達を後ろに下がらせた。
「トール、落ち着け! どうやらあれは自動人形のようだ。問題はどれくらいの戦闘力があるかだが……少し様子を見よう」
そんな俺達の会話を他所にその自動人形らしき者は手足を少しずつ動かした。
俺とアモンはその動きが段々と滑らかになって行くのに驚いている。
やがて……自動人形は大きく伸びをすると段差があった収納からストンと飛び降りた。
ああ、まるで人間のような所作だ。
果たして……どんな行動を!?
俺とアモンは思わず距離を取り、身構えた。
しかし――
「何をしておる! 妾じゃ、ソフィアじゃよ」
え!?
ソフィア?
やっぱり……『これ』がか?
俺が思わず構えを解いた俺を見てアモンは怪訝な顔をする。
そりゃ、そうだろう。
ソフィアと念話でやりとりしていたのは主に俺で、アモンは彼女が何者か知らないのだから。
「トール、彼女は一体何者なのだ?」
眉間に皺を寄せて不審そうに聞くアモンに、俺は彼女の名を伝えてやった。
「ああ、ガルドルド帝の妹で創世神の巫女、ソフィア・ガルドルドと名乗っていたぞ」
「な、に!? ソフィア・ガルドルドだと!」
アモンは、いつもの彼らしくない、珍しく大きな声を出した。
ソフィアの名前に何か聞き覚えがあるようだ。
「ガルドルド帝国皇帝の妹にして類稀なる魔法の才を持つ創世神の巫女……例の大戦の末期に行方不明になったと聞いていたが……」
俺とアモンが話すのを訝しげに見るソフィア。
彼女は改めて俺とアモンを凝視すると大きな声で言い放つ。
「先程から疑問に思っていたが、何故、トールのような神の使徒と悪魔が一緒に居るのじゃ? よかったら妾に理由を聞かせてみい」
人化したイザベラとアモンは外見だけでは悪魔と判断出来ない筈である。
やはりソフィアには俺と同じ様に魔力波が見えて、悪魔だと識別する事が可能なのであろう。
ああ、とうとう俺が神の使徒だとばれてしまったか?
しかしアモンもイザベラも少し驚いたくらいで半信半疑と言う所だ。
だが、そろそろ退散のタイミングだな。
それに……
ここでソフィアとこれ以上やりとりする意味ってあるの?
相変わらず偉そうに命令口調だしね。
俺達はゴッドハルトの依頼通りに彼女の『命』を助けた。
主君であるソフィアの命の安全――多分、これがゴッドハルトが望んだ結果であろう。
それで良いんじゃないか。
「ソフィア、俺達さっきも言ったけどここに留まる理由が無いんだ。お前の『命』を助けたし、もう良いだろう? じゃあな」
俺が踵を返して玄室の入り口に戻ろうとした時である。
「待って! 待ってたもれ! 妾は寂しかったのじゃ」
今迄の驕慢さの欠片もない、その素直な口調に俺は思わず振向いた。
その時、俺は見た。
少女の自動人形、ソフィアが懸命な様子で、俺に向って駆け寄って来たのを。
俺はソフィアの意外な行動に驚いた。
そんな俺にソフィアは懸命に訴えたのである。
「トール! 考えてもみよ。数千年もの間、たった1人きりでこのような陰気な玄室に閉じ込められていたのじゃ。お前のような神の使徒がまさか来るなど奇跡という以外のなにものでもないのじゃ!」
やはりソフィアの身体は人間のものでは無い。
切々と訴える彼女の瞳は美しい宝石で造られていたのであった。
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