第5話 「タトラ村の少女」
俺は今、件の少女と並んで歩いている。
彼女はもう泣いてはいない。
叫んでもいない。
にこにこして俺を見詰めているし、白い歯を見せて良く喋る。
どうやら機嫌は完全に直ったようだ。
あの『暴言事件』から俺は言い過ぎたとひたすら謝り、彼女に対して害意が無い事をやっと理解して貰えたのである。
彼女の名はジュリア。
ここから少し歩いたタトラという小さな村の出身で隣村にお使いに行った帰りに、あのゴブ達に襲われたそうだ。
俺も名を聞かれて、勇気トオルと名乗ったら「言い難い」と言われてトールと呼ばれる事になってしまった。
ここは異世界だし、トールという名前は北欧神話のあらぶる神みたいで強そうだからまあ良い。
俺の名前を知ったジュリアは更に機嫌が良くなったようだ。
命が助かった安堵感もあるのだろうし、俺が恩人という事で完全に心を許してくれたらしい。
そんなジュリアに少しは優しくしようと思い、彼女の重い背負子を俺が代わりに背負って歩いて行く。
重いと言ってもチートな俺には全然重くはない。
それだけでジュリアからはとても尊敬されてしまった。
ゴブを瞬殺したのに加えて、見かけによらず逞しい男だと思ってくれたのか?
実は持って行くのが面倒だったので魔道具である収納の腕輪に入れようかと思ったが、いきなりチートなものを見せては不味いと、ささやかな防衛本能が働いたのである。
「トール。あんたはどこへ行こうとしていたの?」
可愛らしく首を傾げて聞くジュリアへ俺は正直に目的地は無いと答える。
これくらいは正直に言っても構わないであろう。
「当ては無いのさ。俺はここからとても遠い国の出身でね。冒険者になろうとやって来たんだ」
「ふうん、事情は知らないけど気楽で良いね。あたしの村は貧しくて生きて行くのさえ必死なんだから」
ジュリアは僅かに眉を顰めながら苦笑した。
お気楽な男に見えたらしい。
そんな会話をしながら約30分道を歩いただろうか、俺達は街道の脇から延びる草を踏み固めたような横道に入る。
更に10分程度歩いて行くと、武骨な丸太を組んだ簡素な防護柵に囲まれたタトラの村が見えて来た。
「さっきみたいなゴブリンとか、怖ろしいオークなんかがしょっちゅう出るからね。ああしないと安心して暮らせないんだよ」
ジュリアが言ったのは村の防護柵の事だ。
やがて俺達はタトラ村の入り口の前に着いたのである。
入り口に立つ門番は村の人間であろうか。
使い古した革鎧を纏い、大きなメイスを腰に提げて武装した男が俺達に声を掛けて来た。
背は俺よりずっと大きくて190cmをゆうに超えているだろう。
髪の毛は茶色で短髪。
がっちりした体格でジュリア同様、真っ黒に日焼けしており精悍な風貌をした40代後半の男だ。
彼の野太い声が俺達へ降って来た。
「ジュリア、こいつは見ない顔だな―――誰だい?」
「ラリー、あたしをゴブから助けてくれたんだ、命の恩人だよ」
「そうか! それは村にとっては大事な客人だ。お前の家に連れて行け」
ラリーと呼ばれた門番の男は改めて左右を見渡すと用心深く門を開いた。
そして俺達が中に入るとさっさと門を閉じてしまったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
タトラ村は俺の持っている資料本の世界では、良く知る中世西洋風の典型的な農村である。
村の中央には土を踏み固めた小さな円形の広場があり、1番奥には村長の家らしい他の家屋よりふた回り程度大きな家が鎮座している。
その傍らにはこじんまりした教会のようなものも建てられていた。
教会?
もしかして?
俺は思わずジュリアに聞く。
「あれって神様を祀っているのかい?」
「トールったら変な事を聞くのね。創世神様とその御子であるスパイラル様に決まっているじゃない」
ああ、邪神、スパイラル様め。
やはり彼は管理者としてこの地の人々に崇められているんだ。
「こっちよ!」
ぼうっとしていた俺の手をジュリアが握って引っ張った。
正直、手を握られるとは思わなかったから少し驚く。
彼女の手は温かいが意外にもごつごつしている。
節くれ立ち、まめもあって華奢な少女の手とは思えない。
いろいろな作業を行うので、そうならざるを得ないのであろう。
暫く彼女に連れられて歩いた先にはいかにも冒険者の宿といった小規模な宿屋があった。
あの宿屋に俺を泊まらせようとするのであろうか?
「入って!」
俺はその『宿屋』にジュリアに促されるまま中に入った。
中は正面にカウンターがあり、恰幅の良い女が入って来た俺とジュリアを見詰めていた。
彼女の視線が俺とジュリアに真っ直ぐに注がれる。
カウンターの脇には簡素なテーブルが3組置いてあり、飲食や休憩が出来るようであった。
女は俺の傍らに居るジュリアを見ると俺の事を無視して彼女へ話し掛ける。
その間もジュリアの小さな手は俺の手を確りと握っていた。
「ああ、ジュリアかい? やけに遅いんで心配したんだよ」
「叔母さん、あたし途中でゴブに襲われたの。但し、隣村へのお使いはきちんとして来たよ」
ジュリアの話を聞いていると、この女性は彼女の叔母らしい。
「お前も荷物も無事だったかい? そりゃ、結構。で、その人は?」
「あたしをゴブから助けてくれたんだ、命の恩人だよ」
「ふ~ん、強いんだね。そうは見えないけど」
ジュリアの話を聞いても女の表情にさほど変化は見られなかった。
こんな事は日常茶飯事なのだろうか?
寧ろ俺を値踏みするようにじっと見詰めて来た。
彼女の視線は俺の顔からジュリアの手を握る俺の手に移って釘付けになる。
女の眉間に僅かに皺が寄った。
「はっ、私はジェマ。ジュリアの叔母でこの宿屋『大空亭』の主人さ。あんたは冒険者のようだが、ジュリアを助けてくれたお礼に安くしておこう。そうさねぇ、通常の半額料金で良いよ。どうする、泊るかい?」
女主人=ジェマさんの物言いと態度は、サービス精神に溢れた日本式宿屋の接客とは程遠いが、この世界ではこんなものものかもしれない。
身内がゴブリンに襲われて命拾いしたのに喜ぶ様子も全く無く淡々としているのには、はっきり言ってドン引きしたが……
俺への礼はともかく自分の姪であるジュリアへ、何の心配もないとは不思議でならなかったのだ。
一応、宿代を格安にするという話が彼女の誠意なのであろう。
まあ良いと俺は思う。
通りすがりの俺には関係無い事だ。
どこかに泊ろうと思っていた俺には渡りに船だから、この大空亭で宿泊する内容と料金を聞く事にした。
「素泊まりは1,000アウルム。朝食付きは1,200アウルムだね。これを半額にしてやるよ。朝食以外の食事代は物によって別途頂くから」
1,000アウルム?
それって、円に換算してどれくらいの金額なんだろう。
スパイラルから貰い、所持している金は果たして使えるのだろうか?
以前読んだ資料本にはこのような時には相手に大金を見せない方が良いと書いてあった筈だ。
「じゃあ、とりあえず1泊朝食付きで、今夜の夕飯も頼みたい、幾らかな?」
「だったら特別に今夜の夕飯もサービスにしておいてやるよ。全部込みで半額の600アウルムで良い。夕食代のサービスは私達の荷物を守ってくれた御礼さね」
俺が客になると知ってジェマさんは初めて愛想笑いを浮かべる。
彼女は本当にクレバーでドライな人だ。
財布を取り出し、相手に中身を見せないように注意しながら、俺は大きな方の銅貨5枚を渡した。
持っている硬貨がどれくらいの価値があるのか試してみたのである。
「600アウルムと言っただろう? 1泊と朝食なら後、100アウルム足りないよ……」
ジェマさんは渋い顔をしていた。
どうやら俺は値切っていると思われたらしい。
直ぐ謝罪した俺は改めてどの硬貨を出せば良いのか聞いてみた。
「100アウルム……その大銅貨1枚がそうだよ……ああ、そうだ、あんたも男だったら女が好きだろう。どうだい、このジュリアに『夜伽』をさせたいんだったら別に25,000アウルム払いな。高いと思うかもしれないが、これは絶対に負けられないからね。見た通り器量はまあまあだし、未だこの娘は処女だからさ」
はぁ!?
いきなり何それ?
ヨトギ? よとぎ?
夜伽って何だっけ?
俺は必死に資料本で読んだ記憶を呼び起こそうとした。
しかしラノベ執筆用の資料本にそんな事は載ってはいない。
いる筈がない。
俺は何か別の本で読んだ僅かな記憶を手繰り寄せた。
ええと、確か……
お客へのもてなしの一種だっけ?
お、女の子が俺と一緒に寝てくれて……○や×をして最後は☆みたいな!?
ってジュリアは処女って……だからぁ、何ぃ!?
混乱した俺は思わずジュリアを見る。
ジュリアは俺の顔をまともに見れないようで真っ赤になって俯いてしまっていた。
でも本人の意思って関係無いのだろうか?
叔母さんの命令は絶対なのか、ジュリアに嫌がっている様子はない。
「さあ、どうする。ジュリアに夜伽をさせるのかい?」
彼女の叔母であるジェマは相変わらず冷静である。
どうやらこの村はそのような慣習があるらしい。
まあこの『○○』と呼ばれる仕事は『地球』では最も古い職業だと聞いた事があるから、この世界にあってもおかしくはないだろう。
「と、とりあえず結構です。またの機会にします」
金はあるのだし、このような時に前世でリア充、女性に対して百戦練磨のモテ男であるならば、こんな機会にはひゃっはーと叫んで迷わずOKしたであろう。
だけどその時の俺はそんな勇気が無いいわゆるヘタレであった。
仕方無いよ、童貞だったしな……
今から思えば自分でも情けないと思うが、俺がそう言うと顔をあげたジュリアは何故か悲しそうな表情をした。
酷く悲しそうな目をして俺を見たのである。
俺はそんなジュリアを見ていられなくて、そそくさと教えられた部屋に引っ込んでしまったのであった。
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