第116話 「ペルデレの迷宮④」
「な、な、何をするのよ! アマンダ!」
「アマンダ? 妹が姉の事を呼び捨てはいけません! 姉さんと呼びなさい!」
フレデリカに鋭い視線を投げ掛けるアマンダはなおも言う。
いつもは本家筋のフレデリカに気を遣って呼び捨てにさせていたアマンダも今回ばかりは腹に据えかねたようだ。
「いけない妹へは姉として『お仕置き』をします。これはお父様の気持ちが分からない不出来な妹への躾だと思うことね」
「躾? 貴女みたいな汚らわしい生まれの女が私の姉なんて言わないでよ」
むきになったフレデリカが、アマンダに打たれた頬を押さえながら言い放った瞬間である。
びしっ!
「ぎゃう!」
鋭い音と共にフレデリカのおでこの真ん中があっという間に赤くなった。
「「え!?」」
アマンダとフレデリカの侍女ハンナの驚きの声が重なった。
今度は俺がフレデリカのおでこに『デコピン』をしたのである。
「な、な、な、何をするのよぉ!」
姉ではなく『赤の他人』の俺にまで『お仕置き』されたフレデリカはデコピンの痛さに涙目になりながらも必死に抗議した。
しかし俺は妻である姉のアマンダを侮辱されて黙っていられなかったのだ。
「いうに事欠いて実の姉に汚らわしいとは何事だべぇ。おいたが過ぎる、はねっかえりの妹に優しい兄としてのお仕置きだべぇ」
「お仕置きだべって!? それより兄? 兄さん? 私が貴方の妹!?」
「ああ、俺はアマンダと結婚したべぇ。だからお前の兄だべぇ。それから俺の事はお兄ちゃんと呼ぶのだべぇ!(萌えるからな!)」
「…………」
これは、だいぶふざけた物言いでの無茶振りだったであろうか?
フレデリカが口を真一文字に結んで、不満そうに黙ってしまったのだ。
仕方なく俺はふざけた口調を改める事にした。
「それからここに居る女性は全員俺の妻だから敢えて言えばお前の姉のようなものだ」
俺の紹介に嫁ズは余り表情を変えずに軽く手を振っている。
「…………」
「はい! 私はトール・ユーキの妻です。間違いありませんわ」
「「「「そうそう」」」」
アマンダがにっこりと笑って同意の口火をきると嫁ズも全員が頷いた。
俺はそれでも煮え切らないフレデリカにとうとう発破を掛ける。
「フレデリカ! 返事はどうしたっ! 俺の事を真っ直ぐに見て、しっかりお兄ちゃんと呼んでみろっ!」
「おおお、お兄ちゃん!」
怖い顔をした俺に促されたフレデリカは少し顔をあげると慌てて返事をした。
またデコピンをされるのが嫌だったのであろう。
「よし! 盛大に噛んでいる様だがまあ、良いだろう。さて今後の事だが、俺は迷宮の探索を続ける。お前自身はどうしたいのか、まず聞かせて貰おう」
俺はフレデリカの肩を優しく掴んで一気に彼女の顔を覘き込んだ。
フレデリカはここまで男の顔を間近で見た事がないらしい。
身体を強張らせながら、驚いて大きく目を見開いた。
「ひ! ひいい……い、い、い、一緒に……い、行きたいです……お兄ちゃんと一緒に……」
やはり、混乱していても兄アウグストを捜したい気持ちは堅いようだ。
俺はフレデリカの肩を掴んだまま大きく頷いた。
「よ~し、分かった、妹よ! だが条件が2つあるぞ」
「じ、条件が2つ?」
「ああ、まずアマンダに対しては姉としてちゃんと接する事。さっきみたいな考えを持ったり、物言いをしたら今直ぐここから帰って貰う! どうだ?」
フレデリカは目を大きく見開いて呆然としたまま、こくこくと頷いた。
「よし! では早速アマンダに謝ってくれ」
「は、は、はい!」
俺はフレデリカを放し、アマンダの方に向いて貰った。
改めて姉妹がお互いに正対する形となる。
「ア、アマンダ……ね、姉さん、ご、御免なさい。もうあのような言い方はしません」
「よしっ! 偉いぞ、フレデリカ。もうひとつだが、父親のマティアスとしっかり向き合え。地上に戻ったらちゃんと話してみろ。相手がお前をどんなに愛しているか、分かる筈だ」
「う、うん……分かったわ」
俺に促されたフレデリカは父親のマティアスに関しても話し合うと約束してくれた。
「よしっ! 良い娘だぞ、フレデリカ!」
俺は素直になったフレデリカに手を伸ばした。
俯いていたフレデリカはまたデコピンでもされると思ったのか、身体をびくりと震わせて硬直する。
俺はフレデリカの頭のさらさらの金髪に手を置いて優しく優しく撫でてやった。
アールヴ特有の小さな頭に両脇からぴょこんと飛び出た尖がり耳が可愛い。
そして俺が撫でる際にちょっと神力を込めたのは内緒だ。
「「「え!?」」」
今度はフレデリカ当人、アマンダ、ハンナの声が重なった。
アールヴの貴族令嬢であるフレデリカの頭をよりによって人間の男が撫でる。
後から聞いたら、たいへんな侮辱に相当するらしい。
ハンナの顔色が真っ青になっていたから、冗談抜きで本当にヤバイのであろう。
他の嫁ズはというと俺がフレデリカの頭を撫でるのを羨ましそうに眺めている。
「あうううううう……」
神力は悪魔であるイザベラやヴォラクには毒みたいなものだが、元々神の眷属で妖精族のアールヴには気持ちいいのではと思ってやってみた次第だ。
フレデリカは余程気持ちが良いのか、目がとろんとして口は半開きになっている。
予想通りの結果に加えて神力は何と別の効果も生んだのだ。
何とフレデリカの痛みを取り去ってしまったのである。
「お、お、お兄ちゃん! 頬とおでこが痛くないの! もう痛くないのよぉ!」
「おお、良かったな!」
思い切り口調が変わったフレデリカに俺は片目を瞑った。
萌え系になった彼女の中でいきなり何かが変わったようだ。
「お兄ちゃ~ん! だから! ……もっと! もっと撫で撫でしてぇ!」
頭を差し出し、甘えるフレデリカの要望に応えて俺は頭を撫でてやった。
「あううううう~ん」
甘い声を出して切なそうに悶えるフレデリカ。
やはり凄く気持ちが良いらしい。
今度は目の焦点が合っていないくらいだ。
その様子を俺とフレデリカ以外の者は呆れたように見詰めていたのである。
――30分後
俺達は再び、フレデリカ主従を加えて出発した。
侍女のハンナは一連の出来事に未だ納得がいかないらしい。
歩きながらずっとぶつぶつ言っている。
「あの人間の卑しい下民めが、よりによってフレデリカ様を呼び捨てにして、暴力を加えた上に、また失礼な行為を……」
びしっ!
その瞬間、肉が打たれる音が軽快に迷宮で鳴り響く!
「ぎゃう!」
真っ赤になったおでこを押えて痛がるハンナに、今度はフレデリカが悪戯っぽい笑みを浮べていたのであった。
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