第111話 「契約締結」
「これで良いか?」
マティアス・エイルトヴァーラは自ら作成した契約書にサインして差し出した。
このような大事なものはある程度、多めの人数で見て確認した方が良い。
何か契約上の漏れが無いか、複数の判断や視点で念の入った確認が出来るからだ。
契約書の発案者であるアマンダが父から受け取った書類にさっと目を通すと、経緯を見守っていたジュリアに差し出した。
数度頷き、納得して渡した所を見ると先程、依頼した内容はちゃんと反映されているようだ。
受け取ったジュリアが手にとって内容を目で追いながら同じ様に頷いている。
続いて、イザベラがチラッと見て笑顔になり、最後にソフィアがチェック……
そのソフィアが「問題無いと思うぞ」と呟きながら俺に渡して来た。
俺が受け取るといきなりヴォラクが脇から覗き込んで来る。
奴もクランの一員として内容を確かめたいのであろう。
少々ウザイが、奴の勉強にもなるしまあ仕方が無い。
俺は嫁ズとは対照的に契約書をじっくりと読み込んで行く。
約束通りに、フレデリカ救出の項は生死に係わらず謝礼をする事、そして依頼が成功した暁にはこの街での商取引で全面的にマティアス個人が協力する旨が書かれていた。
う~む……ちょっと足りない。
少し条項を追加して貰おうか、な。
「マティアスさん!」
「何だ? 不満があるのか?」
「いや不満じゃあないが、更に2つお願いしたい」
「この上、追加かぁ?」
俺の要望にマティアスは眉間に皺を寄せた。
こいつ、ずうずうしい男だ!
という表情である。
しかし俺の要望は彼の為でもあるのだ。
「ああ、1つ目は行方不明になった貴方の息子の捜索の件だ」
「な、何!?……ア、アウグスト……か。お、お前は奴の事も探してくれる……のか?」
「ああ、フレデリカ――さんと同じ契約条件を適用してくれるならな」
「……わ、分かった。ぜ、ぜひ! よ、よ、宜しく頼む!」
マティアスはあっさりと了承した。
魂を鬼にして切り捨てた愛息だが、俺が遺体でも見つければ御の字で、遺体でも見付かれば供養でもしたいと思っているのかもしれない。
「後は、何かあの迷宮の情報があったら教えて頂きたい。俺達には少しの情報と手書きの地図しかないのです」
「何!? 手書きの地図?」
俺は情報屋のサンドラさんから購入した迷宮の地図をテーブルの上に広げた。
地下10階まで書いた地図だが、地下6階から先のしっかりした情報が無いのだ。
「あ、あああ……こ、これはっ!?」
広げられたサンドラさんの地図を見てマティアスが驚いている。
「アマンダ、こ、これはミルヴァの……字だぞ!」
「ミルヴァ母様……」
驚くマティアスの反応と対照的に、アマンダは醒めた視線を地図へ投げ掛けていた。
は!?
ミルヴァ、母様?
もしや!
そ、その名前は!
俺はある女性の魔力波から知った彼女の本当の名前を思い出していたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そう!
俺が会った情報屋のサンドラさんの本名はミルヴァ。
彼女は何と……アマンダの母親だった!
マティアスは軽く息を吐いて興奮した気持ちを落ち着かせると、思い切り身を乗り出して尋ねて来る。
「トールよ。お前はこれを一体どこで手に入れたのだ?」
マティアスから聞かれて俺は大いに迷っていた。
すなわちミルヴァさんの居場所を教えるか、教えないかで、だ。
いくら元恋人だからといって、情報屋の素性って、簡単に言って良いのかな。
ミルヴァさんみたいな情報屋のツテは仲間内じゃあ極秘らしいから。
守秘義務ってこの世界でもありそうじゃあないか。
でもマティアスの表情は真剣そのものだ。
当然の事だろうが、昔別れたミルヴァさんの事が気になるらしい。
多分、彼女の事が忘れられないのであろう。
こうのような場合、女性は直ぐに切り替えが利くらしい。
逆に男はずっと昔の彼女の事を引き摺ってしまうようだ。
格好良く言うのなら……女は今の現実の中に、そして男は過去の思い出の中に生きているのだ。
「まず、理由を聞かせて下さい」
俺はそう言うと情報屋へ繋ぎをつけたヴォラクを振り返った。
ヴォラクは俺の言う通りだといわんばかりに頷く。
「俺はこの地図をある人から手に入れたのですが……貴方がその人の事を知りたがる理由教えて貰えますか?」
一瞬、考え込んだマティアスではあったが、意を決したように口を開いた。
「……この地図を描いた者は多分、私の元の恋人だ。そしてお前の妻であるアマンダの母親なんだ」
「えええええっ!?」
驚いた俺はマティアスにサンドラさんの容姿を伝えてみた。
マティアスはその通りだというような表情で頷く。
やっぱりそうだ!
情報屋のサンドラことミルヴァさんはアマンダの母親だったのだ。
そう言えば俺はアマンダの生立ちを聞いている。
確かマティアスが迷宮で出会ったデックアールヴと恋に落ちてアマンダが生まれた。
待てよ……迷宮って言ってたな。
迷宮!?
そうか!
この地図を描いた冒険者って、ミルヴァさんか!
彼女の実体験から迷宮の地図が描かれていたんだ。
という事は一緒に居た冒険者って……
俺の考えている事は直ぐマティアスに分ったようである。
「そうだよ、ペルデレの迷宮で出会い、何とか脱出して地上に出たのは私とミルヴァなんだ……」
――30分後
俺は追記した契約書、そして迷宮の地図の追記及び補足説明と引き換えにサンドラさんの居所と合言葉をマティアスに教えていた。
彼の望みというのは、昔別れた恋人を相手に分からないようにそっと見守るという、ささやかなものであった。
但し、念の為俺はマティアスとしっかりと約束をする。
彼女に無理に復縁を迫ったり、絶対暴力を振るわない事だ。
マティアスは何度も頷いて約束してくれた。
俺はつい魔力波で確認してしまったが、彼は嘘をついていなさそうだ。
意外だったのはアマンダである。
いつもは優しくて聡明なアマンダが母親の話になるとそっぽを向いていたからだ。
間違いなくアマンダと母親の間には親子の確執がある。
何か理由があるのだろうが、俺はアマンダを問い質すつもりはない。
ふと思い出したが、俺はもうひとつマティアスに聞きたい事があった。
「最後に聞きたい。迷宮で得た宝物に関してです。あの迷宮はイエーラの領土内にあるじゃあないですか」
ガルドルド魔法帝国の遺産……
ソフィアは俺達がゲットすると言っていたが、現在この土地を支配しているのはこのアールヴの国イェーラだ。
案の定、マティアスの説明は俺達の期待したものではなかった。
「基本的にはまず発見者に所有権が発生するが、その後冒険者ギルドに必ず届け出て貰う事になる。専属の魔法鑑定士の判断でイエーラに必要なものだと判断されれば、強制的に適正価格で買い取られる事になるな」
マティアスの話を聞いてあからさまな不満を見せたのが、ソフィアである。
「馬鹿な事を申すな! ガルドルド魔法帝国のものは帝国の所有物に決まっておろうが!」
「ガルドルド魔法帝国? あ、ああ遥か昔に滅びたあの国か。もう生き残りなどいないし、現在この地はイエーラの領土だ。最終所有権はイエーラにあるぞ」
きっぱりと言い切るマティアスに、ソフィアは思わず反論しようとした。
「滅びてなどおら……うぐぐぐぐ」
俺は慌ててソフィアの口を塞いだ。
駄目だって!
悔しいかもしれないが、お前の存在はアンタッチャブルなんだから。
暴れるソフィアを見たマティアスは訝しげな表情だ。
「……その娘は何かガルドルド魔法帝国に関係があるのか?」
「いや、無いぞ。全く無い。だが彼女は考古学を学んでいるのだ」
俺の苦し紛れの嘘をどうやらマティアスは信じたらしい。
「ほう! 成る程な。……それなら納得だ、考古学者は正義感に溢れたロマンティストが多いからな」
マティアスはそれ以上何の疑いもしなかった。
そしてアマンダと依頼の事を頼むと、深く深く頭を下げてから、辞去して行ったのであった。
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