3:ことの始まり
ことの始まりはキッポなのだった。
キッポは自分と同じフォクスリングの部落を探している。詳しいことはまだよく知らないけど、それは一人前のドルイドとして認められるためにどうしても避けては通れないことらしい。
わたしがキッポやルカスと出会ってからだいぶ経つけど、こうして考え直してみると、2人の生まれたところや今まで住んでいた街さえわたしは知らない。
いや、訊くには訊いたんだけど、そのどちらもわたしにとっては知らないも同然の、耳にしたこともないような名前だったのね。師匠の元にあった地理学の本にすら、載っていないような。
こうして3人で旅を続けて来て、ある村で初めてフォクスリングの消息を得ることが出来た。村に一軒しかない酒場兼宿屋で、しかも酔っぱらったルカスが最初に聞いてきたことだったので、わたしなんかはずいぶんと疑わしく思ったんだけど、キッポはそれでもとても喜んだ。
今こうして、森の下草に腰を下ろして改めて思うと、キッポがたとえ確かでない情報であっても、手放しで無邪気に喜んだのはムリもないことだなあと言う気がする。
森の民であるフォクスリングがどのように歳をとるのかは、わたしもルカスも知らないけれど、どう考えてもキッポはわたしと同じくらいか、それよりも歳下だろう。そんなまだまだあどけない小さな少年が、手掛かりなんか全くないも同然で、広いこの世界を旅しなければならないんだもん。どんなにか辛く、心細いことだろう。
わたしも事情があって、今となっては両親と兄妹のいる故郷に帰れない。両親には会いたいなんてこれっぽっちも思わないけど、兄さんや妹には、どうしてるかなあって時々すごく会いたくなる。いろんな街とかで、
『ああ、自分はこの街の人にとってみれば、全く関係のない、ただ通り過ぎていくだけの人なんだなあ』
と思う時なんかは特にそうだ。キッポだって同じなんじゃないだろうか。兄弟がいるって話を聞いたことがあるし(どうやら末っ子らしい)、両親にだって甘えたいだろうと思う。
だからキッポが嬉しくなってはしゃいだのが、わたしにはすごくよく分かる。わたしとルカスという、一緒に旅をする仲間は出来たけど、わたしとルカスは人間であって、キッポと同じフォクスリングじゃない。もちろんわたしは(恐らくはルカスも)そんなふうには考えないけど、厳密に言えば仲間ではなく、人間やその他の種族が作る社会の、
『ただ通り過ぎて行くだけの人』
と同じなんだから。
そこまで考えかんがえ、つっかえながら話していたら、なんだか胸の中がすっと冷たくなって、鼻の奥がつうんとしてきた。
ルカスは無精髭を手の甲でざりざりやりながら、小さく何度かうなずいた。
「お前の言ってることは正しいな」
そこで一旦、ことばを切った。胸元の涙滴型をした、ルカスのお守りらしい青い宝石のペンダントが、静かに揺れているのが見て取れた。続けて、
「でも、それだけじゃ、きっと」
「うん」
「寂しいからな。――誰もが生きてるんだ。隣にぬくもりが欲しい時もある」
鼻をすすって、わたしはそのことばに、またこくりとした。
いつものような皮肉もなく、ぶっきらぼうだったけど、ぽつりぽつりとしたことばは、とても真っすぐに響いた。噛んで含めるような言い方をしないでいてくれたところが、わたしにルカスはやっぱり歳上の大人なんだなあ、と思わせた。
フォクスリングの部落が、この村の近く、森の中にある。
キッポと同じかそれ以上に、わたしはこの情報が本当であったらいいなあとココロから思った。
はやる気持ちを抑えて、森へ向けて出発しようとしたその翌日、村の人がちょっとイヤな情報を付け加えた。
ここ数日の間、森に薪や山菜を採りに行ったまま帰って来ない者がいる。昨日も探しに村の若い衆が10人ほど森に向かったが、2人帰って来ていない。合わせて5人も行方が分からなくなった……。
わたしたちが顔を見合わせていると、村の代表らしい老人がやって来てこう言った。
『わしが生まれてこのかた、こんなことは一度もなかった。森は広い。何か恐ろしい獣が住み着いてしまったのかもしれぬ』
そこでことばを切って、老人はちらりとキッポを見た。
『キツネの童子(フォクスリングのことらしい)が、もしかしたら何かご存じやも。あまり関わりはないが、この村からも時折、草や石のことを教わりに童子の元へ行くことがあるよしに』
もう一度老人はことばを切った。
わたしは、村の誰かが案内について来てくれるのかと思った。でも、老人の口から出たのは正反対のことばだった。
『分かりやすい地図を作らせておきましたので、どうかこれで……。申し訳無い。お察しくだされよ』
要するに、これ以上村から行方知れずを出したくはない。見ればあなたたちは長剣を携えた強そうな御仁、さらには魔道士とキツネ童子の若人までいらっしゃる。そちらの目的の次善でけっこう。どうかいなくなった者を探してはもらえまいか……。老人特有の回りくどい言い方はそう伝えたいらしかった。
わたしは、
『何か恐ろしい獣が……』
のところで、すで怖くて逃げ出したい気持ちだったのに、ルカスは、
『ご厚情痛み入り……』
とか、
『心中お察し申し上げ何とかかんとか』
なんて相手に合わせてうだうだ言ってるし、キッポに至っては状況が分かっているのかいないのか、ずっとにこにこしっ放しなんだもん。
キッポのためにも、フォクスリングの部落には行きたいけど。
けど、恐ろしい獣って何なのよ!
話し終えたわたしは、ルカスを見た。
「あの鎧とナタの持ち主が、『何か恐ろしい獣』の犠牲者かもしれない、ってことも考えられるわけなのね……」
ルカスは、また無精髭を抜くと、
「その通り。しかも死体が無い。オレが見て来た血の跡も、途中でぷっつり途絶えてた。もしかしたら……、おう、キッポ。ずいぶん採って来たな」
ルカスの声を聞いて、わたしは涙ぐんだことを隠そうと、目元を手の甲で急いで拭い、キッポの方を振り返った。見ると、両手いっぱいに浅葱色の草を抱え、かなりムリな格好でハルバードをつかんでる。あの重たさの物を片手で持てちゃうんだから、やっぱりキッポは男の子なんだ、なんて改めて思った。
「群生してたよ。しばらく行ったところに、小さな沢もあったし。水を補充して行こうよ。そろそろみんな、からっぽでしょ?」
そう言われれば、昨日の夕刻から補充していない。もっと森に分け入るなら、必要になって来るだろう。
「オレはもうからっぽだ」
「ルカス、のど渇いてた?」
「『酔い覚めの 水飲みたさに 酒を飲み』
ってな」
「何それ?」
キッポが目パチしてから訊いた。わたしは、
「要するにルカスは、お酒好きの酔っ払いってこと」
解説。ルカスはお酒が好きなくせに、後先考えないから。こんなことになるのよ。
「酒があってこその人生だ。文句言うな。――そうだ。ちょうどいい。キッポも加われ。さっきの話の続きだ」
「いいよ。ちょっと待っててね」
言いながら、薬草の束を器用にまとめると、キッポのバックパックに詰め込んだ。入り切らなかった分が、ぴょこぴょこ出てる。これじゃまるで薬売りだ。ハルバードが無ければ、キッポのことをそんな風に誤解するだろう。『旅に役立つ!フォクスリングの万能薬草』なんて銘打って。
「お待たせ。なあに?」
「この鎧の主さ。オレがたどったところ、血の跡はある地点を境に、ぷっつりと無くなってた。おかしいと思わないか?」
風が少し出て来た。わたしの前髪をくすぐる。
「確かにそうね……」
「食べちゃったなら、もっと血が出るよね。お弁当用に、持って行かれちゃったんじゃない?」
――キッポ。いい加減、食欲から離れなさい。しかしながら、
「それだ。お弁当にはしてないだろうが、死体そのものに用があったんじゃないか?」
思わずルカスのことばに、身震いした。
「ちょ……。ヤなこと言わないでよ」
背中が急に心もとなくなる。何かの気配が無いかと、振り返ってしまった。――ササヤブが茂ってるだけ。大丈夫。でも、
「死体に用があったなんて、不謹慎なことを言わないでよ、ルカス。――だけど。だけどもしかしたら、めったに聞かないけど『死を弄ぶ者たち』がいたとしたら……」
ルカスは重々しくうなずいた。
「それも考えられる、ってこった」
「死体を食べちゃうの?」
きょとんとしているキッポの問いかけに、
「食べないだろうが、切り刻んだり血を絞ったり……。もう止めよう。リムノが貧血を起こしそうだ」
正直、その通り。血の気が引いて、視界が暗くなって来た。わたしには刺激の強すぎる話だもの。――『死を弄ぶ者たち』は、闇の世界にいると言う魔族と契約を交わすため、死体や、それどころか生きてる者の血まで欲すると言う。残忍な殺し方をすればするほど、魔族は喜ぶ。引き換えに、強力な闇魔道や不死とも言われる秘魔道などを、伝えてもらうのね。
以前、どこかの王国で、王の誕生日を祝うために多くの人間が集まったところ、潜んでいた『死を弄ぶ者たち』によって、会場の扉は閉められ、全員が苦しみもがきながら息絶えるように、闇魔道が使われたと言う。師匠の元で、そんな書物を読んだ覚えがあった。
ふっ、と視界が真っ暗になった。このままじゃ倒れる。そう分かってるんだけど、カラダが言うことを聞かない。わたしは後ろに倒れそうになった。
とっさにルカスが、背中に手を当ててくれたようだ。少し甘えて、体重を預ける。血の気が引いたアタマに、ゆっくりと温かい血液が戻りつつあるのが分かった。ちょっと目を開けてみる。うん、見える。心配そうなキッポの顔が。
「平気か?」
背中を支えてくれながら、ルカスが言った。
「うん……。ごめんなさい。ありがとう」
血液がめぐり始める。キッポも、
「大丈夫? リムノ?」
とやさしく訊いてくれた。小さな目に心配そうな光をたたえて。
「うん。――もう平気。ゴメンね、貧血起こしちゃうなんて。だからギルドに、なかなか登録されなかったんだろうなあ。戦うたびに倒れてたら、足手まとい以外の何でもないもの」
「最初は『光』の魔道だったな」
ルカスが起こしてくれながら言った。出会ったころのことだ。『光』の魔道で、闇の粘着生物、ダークスライムを追い返した時。この相手は、鉄製の物を溶かしてしまう特性があるので、ルカスの長剣もキッポのハルバードも、使えなかったからだ。キッポは、
『初めてだよ! すごいなあ、魔道は。ボクもドルイドの魔法を早く使えるようにならなきゃ』
と、大いに驚いてくれた。
あ、ちょっと補足。わたしのような魔道士が使うのは『魔道』と呼び、大ざっぱに黒魔道・白魔道・灰魔道と分けられてる。黒魔道のもっとすごいのが、闇魔道。白魔道のもっとすごいのが、秘魔道。灰魔道のもっとすごいのが、真魔道。
一方、ドルイドたち(キッポとかね)なんかの、魔道士じゃない者が使うのを『魔法』と呼ぶの。わたしは白魔道と灰魔道の、まだほんのちょっと、一部しか使えないんだけどね。あと、わたしは会ったことが無いんだけど、いろいろな神に仕える僧侶も、魔法を使える人がいるんだって。それは『祈り』と呼ばれている。ウソかホントか知らないけど、死んじゃった人を甦らせることも出来るんだって! ――アヤシイけどね。それがホントだったら、今ごろ大騒ぎになってるわよ。
おっと、脱線。以上、師匠の書庫にあった本からの知識より。