1:キッポとルカスとわたし
あんまり空が青すぎて、晴れ上がっているのになぜか空が一瞬黒く見えた。
見渡す限り、空一面、まばゆいオヒサマ以外何にも無し。木々の間から、恐ろしいくらいに真っ青な空を見ていると、なんだか目の奥がヒコヒコしてきて、急にくしゃみが出てしまいそう。
――なんて思っていたら、わたしの隣でキッポがちっちゃなくしゃみをした。
ははは。キッポもおんなじだったみたい。
空気もカラッカラに乾いていて、今日は朝から気持ちのいい秋晴れ。まわりの木々はまだ色付いてないけど、やわらかい陽射しをいっぱいに浴びて、小さな葉っぱの一枚いちまいまでが輝いている。
低い丘だとは言え、朝早くからずっと斜面を登り降りしてだんだんと山の中に分け入ってきたわたしたちにとって、暑くも寒くもないこの気候と清々しく澄んだ透明な風と空気は、何よりの恵みだった。胸いっぱいに深呼吸をすると、体の隅から隅までがキーンとなる。
人里で暮らしていたわたしでさえ、生まれ変わったような気持ちになるんだから、森の民としてドルイドを目指すキッポにとってみれば、懐かしさと心地よさとが入り交じった安らぎを感じているんじゃないかなあ。たぶんだけど。
そう。キッポは難しく言うと、半獣半人。森の奥深くで、普段は生活しているらしい。全身にはやわらかい枯葉色の短毛が生えていて、首から上はかわいらしい子ギツネのアタマ。正三角形の耳がチャームポイントかな。オトメのわたしに言わせると。でも、初めて話した時は、思わず驚いちゃった。失礼だけど、
『ちゃんとしゃべってる〜!』
って。
そんなことを思って隣のキッポを見たら、鼻をぴくぴくさせながらかがんで下生えをがさごそやっていた。
「何かあったの?」
一人前でないドルイドだとしても、さすがに森の中で生活していた時間が長いだけあって、キッポは植物や鉱物のことなんかにけっこう詳しい(でもそのかわり、街中のことは信じられないくらい非常識)。また、それはキッポがわたし、リムノのような人間とは違う、なかばキツネ族の血を持つフォクスリングという種の一員であり、その種の持つ特性が役立っているのかもしれないな。
おかげで食べられる木の実や、切り傷なんかを和らげる薬草なども、森の中ではちょくちょく見つけてくれる。キッポと出会った最初のころは、頼りないけどなんか憎めなくって、ついかばってやりたくなるヤツ、なんてわたしは思っていたんだけど、近ごろは、逆にそんなキッポに助けられることが多くなってきたような気がする。
「この間と同じ、ほら、傷に効くやつがあったから。ほんとは新芽がいいんだけど」
キッポは手にした薄い浅葱色の草の束を見せてくれた後で、ちょっと困ったような顔をして、わたしを上目使いに見た。短い毛の生えた正三角形の2つの耳が、落ち着きなく動いている。どうしたの? って訊く前に、キッポが答えた。
「イヤなもの見つけちゃった……」
そのことばにわたしは思わず一歩引いた。キッポがイヤなものというからには、よほどスゴいものに違いない。なんせ、おなかがすけばガの幼虫だろうがまるまる肥えたネズミだろうが、おかまいなしに食べてしまう(それもおいしそうに!)キッポだ。もう一人の旅の仲間、ルカスは、
『さすが畜生の血が半分入ってるわけだ』
なんて、ひどいことを言っていたけど……。
わあ、やだやだ。何か知らないけど、そんなもの見たくないし、知りたくもない!
もう一歩わたしは引いて、後ろをきょろきょろと探した。キッポはわたしにそのイヤなものを見せようと下草をガサガサさせているみたいだけど、冗談じゃない。そういうのはキッポとルカスの役割だ。でも、こんな時に限って、
『ちょっと先を見に』
行ってるはずのルカスが見つからない。声をあげてルカスを呼ぼうとしたら、当のルカスの声が真後ろ(キッポのいるところ)から聞こえてきて、わたしは飛び上がって驚いた。
「村のヤツのだろうな。刀の代わりに薪割りナタを持って、鎧がないから樹の皮を重ねて着けて……、か。涙ぐましくなるな」
驚きのあまりとっさに振り向いてしまったわたしは、キッポとルカスが背の低いヤブをかきわけて見下ろしている、イヤなものの正体を見た。
黒いもののこびりついた、使い込まれたナタと、元はきつく重ね合わせてあったらしいぼろぼろに崩れた厚い樹の皮の破片が、やはりこれもどす黒いものをまとわりつかせて、草むらの中にころがっていた。ルカスのことばから、誰かの死体──それも血まみれになった──を、わたしは想像していたんだけど、予想に反してそれは見当たらない。
「これ……」
そう口を開いたままことばが出ない。しゃがみこんで検分していたルカスは、ちらっとわたしを見てから口の端で少しだけ笑った。
「どう思う、リムノ? 優秀な魔道士の頭脳での推理はどうだ?」
わたしはカチンときた。たしかにわたしは魔道士だけど、やっとギルドに認めてもらったばっかりの、駆け出しのひよっこだ。優秀な頭脳を持ってないことぐらい、自分が一番知っている。わたしたち3人の中で最年長のルカスは、誰よりも旅と冒険の知識と経験があって、そんなこと全部知ってるはずなのに、時折こういった皮肉を言う。そして、その皮肉にすぐにカーッとなってしまうわたしは、後で悔しくて情けなくて、自分がイヤになってくる。
ルカスにとってみれば、わたしのそんなココロの動きぐらい簡単に解ってしまうんだろう。ちょっと言い過ぎたと思ったのか、耳たぶまで熱くなって何か言おうとしたわたしをさえぎるように、
「まあ、優秀って言っても得手不得手はあるからな。得意分野の力を発揮してるのを見たのも、一度や二度じゃないし」
涙が出そうなのをひっしにこらえ、熱くなったアタマの隅で、あのことかな、とわたしは思った。
(ルカスやキッポと出会ったばかりで、覚えたての魔道を使って……)
「――オレは魔道についてはからきし分からん。コイツみたいにドルイド系の知識もない」
アタマをポンポンされたキッポはきょとんとしてルカスを見た。そんなあどけないキッポの表情を見ていたら、数年来会っていない妹のことを思い出して、懐かしくて哀しくて思わず吹き出してしまった。
「だからって、ドルイド流にコレを味見で考えよう、なんてするなよ」
ルカスは今度はキッポを見やった。キッポは、半泣きで笑ってるわたしと、ふざけ顔のルカスをきょとんと見渡して、
「味見でわかるのは薬草だよ」
まじめな顔でルカスに答えるのを見て、わたしはまた笑ってしまった。