曖昧で不確かな関係のふたり3
キーケースを取り出して鍵穴に差し込むときが、一番好きだったする。
「あーあー、また片付けもせずに出て行って」
俺がいつ来るかわからないというのに、部屋着やらなんやらを脱ぎっぱなしにして仕事に出かける。玄関を開けて、奥の部屋に脱ぎ捨てられたそれらを見てため息をついた。
買ってきたばかりのスーパーの袋をキッチンに置いて、上着とネクタイをするりと外して、俺が持ち込んだハンガーに掛けて、まずは部屋の片づけから始める。部屋着を集めて洗濯籠に突っ込む。
……あいついつから洗濯してないんだ?
溢れんばかりの籠の中身に、ガサツなあいつの性格がモロ出ていて苦笑した。
洗濯機を回して、ようやく夕飯の準備に取り掛かった俺。ホント、主夫してんよなぁ、って。
こんなに尽してんのに、どうしてあいつはこうも変わんねぇの。機械しか詰まってねぇ脳みそにどうにかこうにか隙間を作ってるつもりなんですけどー。
俺って健気だよなぁ、と一人自分を慰めて、これも惚れた弱みっつーんだろうよ。といつもの考えに落ち着く。
とりあえずは、あいつを餌付けして離れらんないようにするのが先決。
あいつの好きな魚介類をふんだんに使ったレシピばっかりが頭の中に詰まってる俺も、俺だけど。
全ての支度を終えて、時計を見てもまだきっと帰ってこない。
一人で食べるつもりは毛頭ない。帰ってくるまで待つつもりで、いつものごとくベッドに横になる。
――男が自分のベッドに寝てても、興味なしだもんなぁ。あいつ。
ベッドの匂いって、あいつの匂い。思考が全てそっちに引きづられる。男ってつくづくバカな生き物だよな、と実感する。
あー、寝たいのに眠れない。
何度も寝返りを打って、打つたびに舞い上がるあいつの香りに、悶えて悶えて。
結局、玄関のキーが回される音がするまで、眠れなかった。
「また来てるし」
玄関から、声が聞こえる。その声に反応しちゃう正直な俺に、へこみながら目を閉じて寝たふりを続行する。
そのうち、鼓膜を震わすのはシャワーの音。
ぎゃー! 考えるな考えるなっ!
耳を塞いで、身体を丸め、外界の情報を一切遮断したかったのに、またも香しい俺を惑わすいい匂いで、ベッドから飛び起きた。
…………メシの準備しよ。
意図的に、シャワーの音を聞かないように聞かないように、と温め直して、テーブルに並べた。
「今日は帰りません」
帰るかど阿呆。
だいたい、俺が女の子にストーカーされるほど間抜けなことするかっ! ちっとは察知しろっ!
確か、こないだ置いてったままの俺の服があるし、準備万端なんだよ、こっちは。
そこまで思って、冷静になると泣きそうになる。……俺って、彼氏の家に泊まりに来る女の子みたいじゃね?
「あたしは寝るけど」
そりゃ、ベッドに横になって、布団も半分掛けてりゃ、言われずとも見ればわかる。
シャワー浴びたし、俺も寝るだけ。もちろんそこしかねぇだろ。指差してにっこりと笑う。
そーいや、昔からこの顔に釣られんよな。こいつ。
「あたしがここで寝るんですけど」
困ったように、眉を下げて。俺の言葉に、今度は首を傾げた。こらこら、そんな隙ばっかじゃ喰われるぞコラ。
「いい、けど狭いじゃん」
お前なんか、すぐに喰われていいように扱われんのがオチだって。ここまで、どうやってのうのうを生きて……、俺のおかげ。俺が頑張ってたんだって。狼の群れに放り込まれた迷える子羊ちゃんを身体張って守ってますって。
男と女、ってホントわかってんのかこいつ。今日は帰らん、と俺が言った時点で感づいてもいいんじゃね? もうちょっとアンテナ張ってろよ、頼むから。
この機械オタクにレンアイの二文字を刷り込むのは手間がかかるだろうなぁ、とわかっちゃいるけどね。ちょっとやそっとじゃ理解しないあんぽんたんにはストレートに言うのが一番、ってわかってるんです。わかってるんですって!
ここまで付き合いが長いと逆に言えないんだって。
男友だちとしか思ってないこの魔性の女めっ! いいの? って立場が完全に逆転してんの気付いてるのか? もしかして、俺はいいようにこいつに扱われてんのか?
「狙ってんのそれ?」
そうだったら、お前最悪の女だな。それに従う俺は、……本当に、健気だよな。
「あのなぁ、いいの? って普通男が訊くもんだろ? なしてお前が言うの」
俺が、言ってみたい。お前に、いいのか? って。――――――無理か。無理だろ。無理だよなぁ。
「……はい、寄って寄って。俺も寝るから」
部屋の電気を真っ暗にして、ベッドが狭いことをいいことに、隙間を埋める。
「あのね、俺は男女間の友情は信じない主義なわけ。だから、お前が俺を仲のいい一番の男友だち~って思ってても、んなわけあるか! と反旗を振りかざします」
頼りに出来るのは、声と身体で触れる反応のみ。気配から、戸惑いしか読み取れない。……こいつは、俺を何だと思ってるんだ。イイヒトで終わらせてんじゃねぇぞ。
「あのなぁ……お前のこの機械ばっかり詰まってる脳みそはレンアイの入る余裕はないのかっ! コラッ!」
分かってるけどね。悲しくなるんです。こんなにちっこい頭の中は機械のことしか入ってねぇんだよな。俺のこと入ってんのか?
「…………ない、こともない、と思うけど」
あれ?
意外な反応にようやく闇に慣れてきた目が、首をねじってじっと俺を見ている目を捉えた。
「あれ? ようやくわかった?」
「…………たぶん、」
いじらしいじゃねぇかよ、このやろう。
これ以上ないくらいに隙間をなくすためにぎゅーっと抱きしめる。あー、さっきまでの思考に囚われる。このまま落ちてしまえばいいのに。
鼻をくすぐる生の匂いと、どこを触っても柔らかい。――――じゃなくてっ!
「今日はお前をこってり絞ってやるって決めてたんだ」
「え?」
「とぼけんなよ、転属ってなんだ? この、言い逃げしやがって」
突き放して、睨みつける。こいつも俺の目が見えてるんだろう、怯んだ。
「十分に説明するまで、寝かせん。吐けっ! 転属ってなんのことだ? あっ?」
「ガ、ガラ悪くない?」
「うるさい、なしてこのタイミングで転属? お前、希望出してたわけ?」
「あはは、…………ここ2、3年出してた」
「どこ」
愛想笑いで答えを避けようとするようすに、苛立って右手で両頬をつかむ。ぎゅっと力を入れて答えろ、と。
ゆがんだ口元からこぼれた地名に思わず動揺してしまう。いやいや、確実そのままサヨナラコースでしょ、これは。
「なして。…………そうだよな、そうだよ。お前はそういうやつだよ。レンアイよりもオイル塗れに生きがいを感じる女だよ」
ここまで尽しても、俺って報われねぇよ。
2人で横になったベッドは狭くて、身動きすると簡単に落ちてしまいそうになる。背中側が心許ないのは重々承知しているけれど。
もぞもぞと、寝返りを打ってこいつに背を向ける。寝ろ、と伝えて自分の片腕を畳んで枕に見立てて目を閉じる。
「ねぇ、……もう寝たの?」
同じように、寝返りを打ったらしい。布団がどんどんあいつのほうに持っていかれる。腹の前で組んでいた腕に、細い指先がつつーっと辿る。その仕草は背筋をゾクゾクさせるほど、俺の意志を惑わすってことわかって、……るわけねぇよな。
手の甲に重なった、華奢な手をぱちりと叩く。
「寝なさい、」
「このど阿呆!」
乱暴に寝返り打って、壁を向いたあいつがぎゅっと身体を丸めて、その反動で突き出たお尻に、俺はベッドから転がり落ちるしかなかった。
「あんたは、床で十分! おやすみっ!」
いやいや、泣きたいのはこっちなんですけど。
もうちょっと、早めに行動をすればよかったと後悔だけは、絶対にしたくなかった。
前2作の時間軸を明確にする男視点のお話
間が空いてすいません、情けない男の心の声に笑ってやってください。