猫神様も恋をする 前編
―序章―
昔、昔。遠い昔。
其処には、神様が祀られていた。
気まぐれな猫を何故だか祀った祠、通称「猫神様」。
長い年月を経て寂れてしまったその祠は、今もひっそりと何処かに存在し続けている。
―そう、これは忘れられた神「猫神様」と一人の人間が織り成す、不思議な物語―…。
―1―
外ではびゅうびゅうと激しい音を立てながら、雪風が吹雪いていた。
それを窓越しに確認して、和海はぶるりと身体を震わせた。
「…さむっ」
部屋の中は暖房が効いているが、目から入ってくる情報はやはり強い。
一面の銀世界に変貌した世界。
其処に視界が遮られる程の雪が舞って…いや文字通り吹雪いていて、雪の綺麗さというよりは自然の怖さを物語っている。
「あぁ…今日は買い物行こうと思ってたのに。ついてないな…」
昨日の予報では、今日は快晴だと言っていたのに。
和海は思わずはぁ、とため息を付いた。
折角通っている大学も長い冬休みに入ったというのに、この荒れた天気では遊びに行くことも出来ない。
…まぁ和海には遊びに行くようなお金もなかったが。「こんなことなら俺も残ってバイトすればよかった…」
大学の友人は皆バイトをしていて、和海も一緒にどうだ?と誘われていた。
しかしバイトなんて正直面倒だったし、里帰りもしたかったから断わってしまったのだ。
「…まさかこんな豪雪になるなんて、知らなかったしなぁ…」
和海の実家は、例年ならそんなに多く降る方じゃない。
けれど何の因果か、今年はまるで豪雪地帯のように毎日バカみたいに降り続けていた。
「兄ちゃんも仕事だし…どうするかな…」
家族が出払っている手前、早々家を開けられない。
そう思い、和海は再びため息を付きながら、ぼんやりと外の景色を眺めた。
「…?」
と、真っ白な雪原の中に、ちらりと色が見えた気がして、和海は思わず目を細める。
その正体を確認して、和海は後先を考えず家を飛び出していた。
(あんな所に、猫が…!)
―そう、和海は見てしまったのだ。雪吹雪く雪原の真ん中に踞る、猫の姿を。
―助けなきゃ。
何故だかその時、和海はそう強く思ってしまった。
元々動物は好きだったし、何より特に猫の可愛さに完全にノックアウトされてしまっていたから。
…だから、と、信じたい。他に理由などない、と。
―そう、決してこういう展開を期待してた訳ではない、とだけ弁解しておくことにする。
「―誰じゃ?妾の眠りを妨げるのは…」
信じられない話だが、次の日和海が目を覚ますと、猫は人間(しかも可愛らしい女の子)に代わっていた。
―2―
猫、猫。
確かに昨日助けた時には、少なくとも猫の姿だったのに!
昨日和海が家に連れ帰った猫。
寒さに震える猫を毛布で包んで、温めのミルクを与えてやって。
そして抱えてやって一緒に眠った、はずだ。
―そう、そのはず、だったのだ。
しかし、今目覚めた和海が目にしたもの。
それは、隣ですやすやと気持ちよさそうに眠る「人間」そのものだった。
「――ッ??!」
それに思わず和海は声にならない声をあげた。
だって、おかしいって!
絶対に、おかしい。
和海の隣で未だ眠り続ける(状況証拠的に)「猫」。
朝日にキラキラと光輝く長い銀髪が、華奢な身体に沿って流れるように伸びていて、その頭には髪色より少し濃い色の大きな獣の耳みたいなモノがちょこん、と可愛らしく乗っている。
猫のように丸まって眠るその下半身からは、耳と同じ色の長い尻尾がくるり、と柔らかな弧を描く。
少々日本人離れしたその外見に似つかわしくない着物風の衣装が、少女の妖しげな魅力を増していた。
どことなく猫の面影を残しているが、どこからどうみても人間だ(まぁ普通の人間ではなさそうだが)。
「ん…」
寒そうにぶるりと一つ震えて、少女は寝返りを打つ。
(うわぁああっ!!)
ど、どどど、どうしよう?!
少女が身体を動かしたことによって、その短めな服の裾から艶かしい太股が露になってしまっていた。
所謂、絶対領域と呼ばれるその場所が。
「……」
見てはいけない。
そう思うが、男の性か和海は食い入るように見つめてしまう。
白い肌が朝日に透けて、この世のものとは思えない程の美しさを醸し出していた。
「…って、見とれてる場合じゃない!」
時計を見れば、もうすぐ8時を指す時間だった。
いつも通りならそろそろ兄が起こしにくる時間だ。
だらだらと、嫌な汗が背中を伝う。
…やばい。
この状況は、非常にやばい。
もしかしなくても、これは勘違いされるんではないだろうか…?
「ちょ、ちょちょ、起きてー!」
「…ん…誰じゃ、妾の眠りを妨げるのは…」
思わずユサユサと身体を揺すりながらそう捲し立てると、少女はこれまたえらく古風な日本語でそう呟いた。
驚いたこと、その一。流暢な日本語。
その二。えらく古風。
「―?誰じゃ、お前」
…その三。和海のことを全く覚えていない。
「……」
これには流石に、和海も絶句してしまう。
それは、こちらの台詞だった。
「と、とにかく事情は後で!今は隠れて!」
「?隠れる?何故妾がそんなことしなければならぬ」
少女は不思議そうにそう尋ねてくるが、今の和海にはそんな疑問に答えている暇などない。
『和海ー?朝だぞ、冬休みだからって怠けてんなよー!』
「ひっ…!」
コンコン、というノック音。
そしてドア越しに聞こえてくる兄の声に、和海はビクリと大きく肩を震わせる。
「…?なんじゃ、妾が見つかると何か問題なのか…?」
和海のただならぬ様子に、ようやく少女も理解してくれたらしい。
少し不満げにそう呟いて、くるりと身軽に一回転した。
するととん、と軽やかに着地する頃には、少女は昨日の猫の姿に戻っていた。
『これなら問題なかろう?』
「う、うん…ありがとう」
頭に響く声に、思わずそう返事をする。
しかし猫の方を見ると、ただ大きな瞳でじっとこちらを見つめているだけだった。
―3―
そうして何とか兄を誤魔化した和海は、再び人の姿へと変化した猫と向かい合って話をしていた。
「…それで、君は一体何者なの…?」
和海が一番に気になっていたこと。
それは彼女が一体何者で、何を目的にあんなところにいたのか、ということだった。
「何者も何もない。妾は神じゃ」
「…はぁ?!神ッ?!」
神とはあの、人間や動物、果ては自然まで全てを創った、あの神ということだろうか?
…にわかに信じ難い。
「何も全知全能の神という訳ではない。神にも色々種類があってな。妾は動物が神格化した猫神。そんなに偉いものではない」
「……」
信じられないが、信じるしかないだろう。
自在に猫と人とを行き来する変身能力。
古代を彷彿させる古風な喋り方。
そして何より、現代を「知らな過ぎる」。
彼女は長い間祀られていた祠で「眠っていた」らしいから、きっとその間の時の流れを「知らない」のだろう。
「して和海。妾はお前に頼みがある。これも何かの縁じゃ。聞いてはくれぬかの…?」
仮にも神様が、ただの人間である和海に頼み事なんて。
けれど殊勝にそう尋ねてくる姿は、本当に困っていることが伺える。
元々お人よしな和海は、頼られたらNOとは言えない性格だった。
その所為でよく不幸な目にも合っていたのだが、どうしても困っている人を放って置けない。
これはその延長線なのだろうか…?
「…はは、神様にも頼み事された…僕、もうこういう運命なのかな…」
「?和海、何か言ったか?」
「…何でもない。それより、頼みって?」
猫―基、猫神様は、和海の問いにうむ、と頷くと、ゆっくりと口を開いて語り始めた。
―4―
「……」
その頼み事を聞いた和海は、ぽかん、とバカみたいに口を開いて呆けてしまった。
だって、内容があまりにも突拍子がなさ過ぎたのだから。
「…ダメかの?」
「…う…」
猫神は和海の方をじ、と上目遣いで見つめながら、そう尋ねてくる。
それに和海はちくちくと良心が痛むのを感じた。
うるうると瞳を潤ませてこちらを見つめる猫神は、容姿の端麗さと相まって、殺人的な破壊力を創り出していた。
ただでさえ人の頼みを断れない性格なのだから、もちろん答えは最初から決まっている。
しかし今回は突拍子がなさ過ぎる上に、頼んできたのは最早、人ですらない。
「……」
しばし考えること、数十秒。
じっとこちらを見つめてくる猫神に負けて、仕方なく和海は頷いた。
「…仕方ないな。ただし、色々条件は付けますからね!」
―そう、こんなこと本来、一日だって許されないのだ。
神とはいえ、女の子を家に泊めるなんて!
「本当か?!和海、恩に着るぞ!」
猫神は和海の答えに満足そうに頷くと、満面の笑みでこう言った。
「これからよろしく頼むぞ、和海」
嬉しそうに微笑む猫神に、和海ははぁ、と大きなため息を付いた。
後編に続きます(シリーズ管理します)。