第19話
「……どうして、お前がここにいる」
ひび割れた唇から、掠れた声が漏れる。
ガルドは砕けた大剣を杖代わりに身を支え、血走った目で俺を睨みつけた。
遠くで魔物の咆哮が反響し、湿った風が腐敗臭を運んできた。
ここは最深部の一角。常に構造が変化し、罠と魔物が無作為に配置される死地だ。
俺は手元のランタンを少し持ち上げ、周囲の地形を脳内のマップと照合する。
彼らが通ってきたであろう痕跡は、無惨なものだった。罠を力任せに突破しようとして失敗し、無駄な戦闘を繰り返して物資を消耗した跡が至る所に残っていた。
「仕事だからだ」
俺は淡々と答えた。感情を乱す必要はない。ただ、目の前の状況を冷静に処理するだけだ。
俺の装備は泥一つ跳ねておらず、息も全く乱れていない。極限状態にある彼らとは対照的だった。
「あんたたちが最深部を目指して迷走している間、俺はギルド公認の救助業者として開業した」
俺は静かな声で、事実だけを並べていく。
「中層で遭難した新人からベテランまで、確実なルートで次々と救出してきたよ。迷宮は進むよりも帰る方が圧倒的に難しい。その事実を理解していない連中が、毎日山のように遭難しているからな」
ガルドの顔が、わずかに引きつる。
「おかげでギルドじゃちょっとした騒ぎになっていてね。帰還ルートを提示するだけで、莫大な救助費用を喜んで払ってくれる顧客が山ほどいる。俺の知識が正当に評価された結果だ」
「ふざけるな……お前みたいな、後ろに隠れているだけの臆病者が……!」
ガルドが砕けた大剣を振り上げようとするが、その腕は力なく震えている。極度の飢餓と疲労が、彼の自慢の武力を完全に奪い去っていた。
彼は信じたくないのだろう。自分たちが命を懸けて潜ってきた迷宮を、かつて無能と切り捨てた男が、まるで裏庭を散歩するかのように悠々と歩いてきたという事実を。
「現実を見ろ、ガルド」
背後から、ひどく冷え切った声が響いた。
盾役のギルバードだ。彼は泥にまみれた盾を杖代わりにし、かつてのリーダーを氷のような目で見つめている。
「俺たちは最深部で飢えと魔物に怯え、地獄を見た。お前が案内人を追い出したせいでな」
「ギルバード……てめえ、誰に向かって……」
「もう終わりだ。お前の命令に従っていても、死ぬだけだ」
ギルバードは吐き捨てるように言い、俺の後ろへと回った。完全にガルドを見限った動きだった。
その横で、治癒士のミレーヌが両手で顔を覆い、すすり泣いている。
「私が……あの時、追放を止めていれば……。アレンさんがいなければ、私たちは何もできなかったのに……」
彼女のローブはボロボロに引き裂かれ、自己嫌悪と絶望で肩が震えていた。
魔術師のエルマも、虚ろな目で壁にもたれかかっている。彼女の得意な策謀も、飢えと恐怖の前では何の意味も持たなかった。
かつて俺を見下していた彼らは、案内人の不在がもたらした絶望を骨の髄まで味わっていた。
仲間たちの裏切りに、ガルドは言葉を失う。
俺は彼から視線を外し、足元の苔をナイフで削り取った。帰還ルートの安全を確保するための、重要な素材だ。
ガルドは以前、この行動を「戦闘を避けるための臆病な癖」と嘲笑していた。だが今、その苔が彼らの命を繋ぐ唯一の手段となっている。
「お前たちを助けに来たのは、ボランティアじゃない」
削り取った苔を小袋にしまい、再びガルドに向き直る。
「あんたたちのスポンサーであるバルバロス卿から、ギルドに直接依頼が舞い込んだんだ。パーティを失えば、家の威信も投資も全て失う。だから、領地の資産を担保にしてでも助けてくれとな」
ガルドの目が大きく見開かれる。
「報酬は言い値でいいそうだ。俺の能力の価値を証明するには、最高の舞台だろう?」
俺は自らの知識と準備を駆使し、悠々とこの最深部までやってきた。道中でレア素材を回収する余裕すら持ち合わせながら。
ガルドの膝がガクンと折れ、冷たい石畳に崩れ落ちた。
自慢の武力が全く通じなかった現実。そして、無能と追放した男に命を握られているという屈辱。
彼が頭を下げたのを見届け、俺は懐から赤い羊皮紙を取り出した。
「これが命の値段だ」
俺は冷徹な声で、契約の条件を淡々と読み上げる。
「救助費用はバルバロス卿の資産に加え、あんたたち個人の全財産。さらに、今後の冒険者報酬の九割を永続的に徴収する。支払いが滞った場合は、俺の指示する場所で労働に従事してもらう」
「……そんな奴隷同然の条件、誰が……」
ガルドが呻くように反論する。
その時、迷宮の奥から濃密な瘴気が吹き出してきた。
肌を刺すような冷気が漂い、新たな魔物の群れが接近する気配がする。
「決断の猶予はない。サインしないなら、俺は帰るだけだ。安全が確認できないルートは通らない主義でね」
死の恐怖が、ガルドの最後の抵抗をへし折った。
彼は絶望に顔を歪めながら、自らの血で契約書にサインを刻む。
全員の署名が揃った赤い羊皮紙を懐にしまい、俺は踵を返した。
「契約成立だ。それでは帰還ルートをご案内します、お客様」




