人生に行き詰った人間たちへ
ー死にたいー
...人は誰しも、生きていく中でそう感じてしまうことがある。戦いに疲れた?自分の境遇にうんざりした、はたまた拭いきれない感情が渦巻き、死を渇望しているのか...理由は様々だ。だが、その多くは実際、突拍子もない、どうってことのない出来事や思いが発端だったりする。
では、なぜ人は死を望んでしまうのか、その心理を、思いを、紐解いていこうと思う。
人間は。
...時は20xx年、日本。とある街に住む、ごく普通の中学生、ゆうきは、勉強もスポーツも万能。物覚えがよく、一度やったことはすぐにマスターしてしまう天才で、顔も良く、生まれつき体の不自由もなく、学校ではクラスのリーダー的存在だったりする。性格も優しく温厚で、いわゆる、誰もが憧れる、完璧な人間である。そんな彼が、ある日突然、何の前触れもなく、不登校になった。なぜだろうか。思考を巡らせるが、いくら考えても答えは見つからない。不登校になった日、その時、一体ゆうきに何があったのだろうか。恐らく、それは一生知り得ないことなのだろう。だってそれは、本人にもよくわからないことなのだから。
端から見たら完璧な人間。でも実際には、そういう人間のほうが、脆かったりする。ゆうきは、心がよわかった。日常の中の、何気ない一言で、ー死にたいーと渇望するぐらいには。
人間誰しも、完璧ではない。もし、今自分の中に、「完璧だと思っている人」、「自分が何をしても、手の届かない所にいると思っている人」がいるとするならば、今すぐその考えを放棄することをオススメする。ある人間を神格化して、崇め称えたり、鑑みることは悪いことではない。だが、人間は案外、人間が考えているよりも脆い物だ。
例えば、自分から手を伸ばしたとしても、絶対に触れることのできない存在、登録者100万人越えの大人気Vチューバー。もっというと、イエス・キリストや、お釈迦様だって、同じ人間。それは完璧な存在であり、そうでなければ成り立たないものだ。でも、それも私たちと同じ人間。私たちと同じように悩み、思考し、時にはー死にたいーと思うかもしれない。どんなに神格化され、周りから美化されていたとしても、人間であることに変わりはない。
それを踏まえて私が言いたいことは、そんなに思い悩む必要はない、もっと気楽に考えても問題ない、ということだ。もちろん、生きていくうえで、思い悩むことを忘れることは無理に等しいだろう。ましてや混沌極める現代社会以上に生きにくい世の中はないだろう。だが、人は、私たちが考えている以上に、脆く、そして単純だ。ー死にたいーと思っているなら、何かに思い悩み、苦しんでいるなら、もう少し、気を楽にしたっていいのではないだろうか。周りから変な目で見られる?こうでなきゃいけない?こうしないといじめられる?自分を好きになれない?仲間外れにされたくない?自分に素直になれない?何もかもわからない?...もう手遅れ...?そんなことは絶対にない。ここに断言する。
ー死にたいーと思い悩み、苦しみの中でもがいているのは、自分だけじゃない。誰だってそうなんだ。そんな中で、自分の在り方を模索していく。一生模索したままだっていい。わからなくたっていい。ただ、失った時間は取り戻せない。もっと幸せな人生でありたかった。そう後悔してからではもう遅い。今からでもまったく遅くなんかない。
ー死にたいーと思い悩んでいる時間があるのだったら、思いっきり好きなことして、今まで思い描いていたことに挑戦したりして、最後に、笑っていたいものだ。それが、自分の人生の在り方だ。
何もすべてその通りにやれなんてとは言わない。少しづつでもいいから、気楽に生きよう。もっと楽しんでも。気を抜いても、思い悩んでも、後悔しても、最後は等しく訪れる。だったら、笑ってたほうがよくない笑?
それが今の自分の正直な気持ち。ここからどうするか、どうすべきかは誰にもわからない。だって、人生に正解なんてものは、一つもないのだから。




