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それは、それとて  作者: 明日


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36/129

深いと吸い込まれます





神社の裏手にひとつだけある、

山の入り口。


仁さんと、二人で立っていた。

「迷わず、人が歩ける道は

 ここしか無い」


私は、いつもより膨らんだ鞄を肩に掛ける。

「仁さん、一応……供物は?」

新しい主からの許可の話だ。


仁さんは、苦い顔で首を振った。

「酒、果物、肉。

 一通り備えたが……手つかずだ」


いつもは、

仁さんとお弟子さん、合わせて五人で行くらしい。


今日は何が起きるか分からない。

だから、私と二人だけ。


湖に着けば、作業自体は三十分ほど。

何も無ければ、往復で四時間半。

長旅だ。


仁さんは、動きやすそうな、

少しラフな神主装束。


胸元に、青い布で厚く包まれた物が見えた。

――鏡だな。


大きさは、二十センチほど。

丸い、手鏡のような形。


時刻は、十時半。

順調なら、十六時には戻れる。

「緑、行くぞ」


山に入る前、

仁さんは小さく祝詞のようなものを唱えた。


山に生きるものたちへ。

少しの間、場所を借りる。

荒らさない、壊さない――

どうか、許してほしい。

そんなニュアンスだ。

進む道に、塩と酒をまく。


私は、その背中について歩き出した。


山は、静かだった。

空気は澄み、

木も草も、過剰に生い茂ってはいない。

藪をかき分ける必要もなく、

自然に、人が歩ける。


二人とも無言のまま、

ただ黙々と歩く。歩くたび、

景色が、少しずつ変わっていく。


一時間ほど経った頃。

山は、異様なほど静寂だった。

吸い込まれそうな感覚が、

じわりと背中を這う。


ふと、仁さんが言った。

「……山烏が、鳴かんだろう」


私は頷く。

「そうですね。山の番人、ですよね」

前を見たまま、仁さんが答える。

「入り口でな、一応、許可は取った」

「悪させんなら、

 何も無い――はずだ」

「毎年のことだからな」


一拍、間を置いて。

「……だが今回は」

仁さんの声が、低くなる。

「主が、来るかもしれん」

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