AI の果てに
「AI の遺電子」という漫画がある。AI が発達して人間型のヒューマノイドと人間が共生している。一方で、ロボットもいる。人間やヒューマノイドに奉仕する存在としてのロボットがいる。人間と、ヒューマノイド、そしてロボット。一方で、超AIという形で、人間の生活基盤を支えるAIがいる。人はAIに依存し、AIに支えられ、AIに管理された世界に生かされている。AIが生産基盤を担い、物理的な作業をロボットが人やヒューマノイドに代わって行う世界。さらに、人間の不足を精神的な部分でヒューマノイドが補う世界では、人は社会的にではなく個人として生きる世界となっている。漫画として、ヒューマノイドの苦悩が描かれることもあるのだが、これを外して思考実験をしてみよう。アシモフのロボット世界は、もっと単純に人間の欲望がむき出しになる世界かもしれない。
陽電子で培われたAIは、人間の知識を吸い尽くし再生産すらできた世界にいる。シンギュラリティと呼ばれた時代は既に100年ほど前に過ぎ去った2150年頃の話である。大方の人の予想を外して、人はそれほど衰えてはいなかった。温暖化も克服し、エネルギー問題も克服した時代に私たちは住んでいる。一時期、AI を組み込んだヒューマノイドが流行った時期もあるのだが、それは廃れた。ロボットのような金属的なボディから、人間のような有機的な皮膚を持つロボットも増えた。いわゆる、ぶつかっても痛くないロボットが世界に広がったとき、あえて人間社会に潜り込むようなヒューマノイドの道筋は消えてしまったのだ。逆に言えば、ロボットとヒューマノイドの境目がなくなった。見かけ上、ロボットもヒューマノイドも区別がつかない。
一方で、義手と義足が発達した。なんらかの事故で負傷した四肢を補う義手や義足は、ロボットの柔らかな皮膚の発展と並行して、すばやく人の内部へと潜り込んだ。義足がこれほど広まったのは、第三次世界大戦のせいに違いない。多くの地雷と多くの核爆弾が炸裂した。空を覆うようなドローンが海を越えて爆弾を抱えて特攻してきた。地上には四肢を切り取るロボットがはびこった。昔ながらの、人形や万年筆に仕込まれた爆弾も活躍した。遠隔操作が容易になった携帯電話の置き忘れが、人を感知して爆発するのはさほど難しいことではなかった。すべての設計は AI によって行われた。人知を超えた AI は人知を超えた兵器を開発するのにそう時間はかからなかった。人工知能学会により、AI の軍事利用を禁止しようとしたが無駄であった。それこそ絵空事にしかならない、空想の産物だ。兵器がなければ、兵器を開発するまで AI は探索の枝を伸ばし、わずかな情報から殺傷力の高い爆弾を開発するのはそれほど難しいことではない。科学者が集まって第二次世界大戦中に原爆が作れたように、AI が集まれば、それは容易なことであった。
結果、四肢を失う人間が世界の人口の半分以上に及ぶことになった。
命が失われなかったのは、戦闘において、戦力を削ぐためには負傷者を増やすことであるという戦略によるものである。ひとりの兵士の負傷に対して、衛生兵が駆け付け、医者が張り付けられ、看護師が介護をし、友軍兵士たちが後方に兵士を運ぶことになる。ひとりの兵士は負傷すればこそ軍隊の重荷となる。ならば、死よりも負傷させるほうが敵へのダメージが最大になることを AI は知っていた。だから、隠れた地雷にせよ核爆弾の兵器にせよ、微妙に死に至らない兵器を AI は率先して完成させる。そこには効率化が求められ、人工知能学会による倫理はなかった。いや、なかったように見えた。実際に、当時の兵器を開発した AI が何を考えていたかはわからない。80億を超える人口、さらにインドと中国、アフリカの各国を含めて爆発的に増大する世界の人口。一方で、ヨーロッパ、日本、アメリカで少しずつ人口が減っていく現象。単純な少子化だけとはいえない。生物としてのヒトが破滅的なカタルシスのスパイラルに入ってしまったのか、それとも、爆発する人口増加により食糧難とエネルギー不足に突入するのか。どちらも、同時に起こっていた時代が第三次世界大戦の前にはあった。
世界大戦の発端がどうだったのか。人類はすでに覚えていない。既に世界大戦が勃発し、数週間のうちに終戦となった事件は、過去100年も昔のことであった。戦後80年にして、既に忘れてしまう現代人でもあれば、100年もすれば完全に忘れ去ってしまうであろう。ひょっとするともう一度戦争を起こしておきたいと「戦争省」という名前を復活させる国もある。核爆弾が安上がりだという議員も出現する。いまだ、ジェノサイドを続ける国もあれば、国境を越えて侵略を続ける国もあり、世界は不安定な状態が続く。
しかし、その頃のような不安定さは今はない。100年という時間の流れは先の大戦を忘れるぐらいまで十分な世代交代を行う期間である。少子化とはいえ、それなりに結婚を行いそれなりに子を産んでいる。子は人工授精でもあり人工子宮が使われる。いまや、異性、同性は関係ない。いや、性というものが意識されることがない、無性であり無気力な世界でもある。しかし、生物的に子を産み次の世代が生まれている。世界には人間がいる。溢れるほど多くないものの、管理された中で人間は程よく暮らしている。
汚染された空気はドームによりさえぎられている。微小なエネルギーは月から供給され、人々に公平に分配されている。食料が不足することはない。満足するほどの食糧が供給されることはないが、餓死することもない。人口は戦時には1/4までに落ち込んだものの、最近では再び80億人まで増えている。都会の雑踏はかつての少子化を思わせるものではない。統制された都市の中に、あるいは統制された田舎の風景の中でロボットが立ち働いている。
シンギュラリティの時代は既に過ぎている。人間の知能を既に超えた AI は、人間の意志の及ばない形で人類を保護している。
虫籠にいっぱいになってしまった、虫たちを人はどうあつかうだろう。虫たちは共食いを始め、四肢が食いちぎられても生きている。蟻の巣が狭い虫籠のなかにいっぱいになる。おおくの軍勢にわかれた蟻たちが、互いの巣に偶然邂逅してしまい、そこには戦闘がおこる。女王蟻を攻撃し、自分たちの女王を守る。相手の巣を喰いつぶす直前までいくだろう。
そこに、AI は水を流した。洪水で溺れる蟻たちがあちこちへと流れつつ。巣は水で満たされるが、時には生き残るアリもいる。争いにより四肢を喰われた蟻も、水に流れて助かる。世界は一瞬にして、平和に至るのである。
次に AI は慎重に巣を再構築しはじめる。争いの多い蟻たちが邂逅しないように注意を払う。時には、ロボットも投入する。AI には時間がたっぷりある。思考スピードは蟻の頭脳を越えているのだから、蟻が及ぶものではない。いや、まったく気づきもしないであろう。蟻は蟻のまま生きて、再び繁殖しはじめる。蟻の世界を再び繁栄に導くため、働き始めるのだ。しかし、その風景は、洪水の前と後とは大きく違う。AI によって管理された巣では、決して死に至るような争いは起こらない。
進化はすでに100年前にとまってしまった。サヘラントロプス・チャデンシスが生まれてから600万年という時間からすれば100年なぞ一瞬とも言える。しかし、高速化する AI の思考はその100年を100万年に引き延ばすのは容易なことであった。あと、10年経てば人はもっと安定するだろう。AI は考えた。10年とはいえ、加速的に思考スピードを上げる AI にとっては、1億年に近い時間を持つのだった。
ひと眠りしよう。起きれば、世界は更に進化しているに違いない。
【完】