第4話 三日突破で始まる手洗い革命
三日坊主――それは全人類の大敵である。
ミリアーネも時にその敵と戦うことがある。
実際に毎週会う婚約者との顔合わせも
「面倒だな」と思う時もあるし、気分や予期せぬ事態によって三日の悪魔は確実に忍び寄ってくる。
実際何度もミリアーネは無理な計画倒れにより、三日の悪魔に屈しそうになった事も数知れず。
ミリアーネの前世は、東京在住・実家暮らしのごく普通の OL。
のんびり資格を取りつつ、社会人になってからタスク管理の重要性を痛感し、やがて「毎日を習慣化する女」に進化した――そんな経歴を持つ。
──そして今。
その彼女の前に山のような石鹸が積み上がっていた。
「本当に困ってるんですぅ〜!」
リュクスハイム伯爵領の商都〈シュヴァルツレーベン〉――の倉庫街。
昼下がりの陽光を遮る大屋根の下で、色とりどりの石鹸箱が壁のように積みあがっていた。
その前で、若き女商人――金髪ドリルの巻き髪が特徴のルルア・ブロワは泣きべそ顔で絶叫した。
彼女はリュクスハイム伯爵家の御用商人であり、
何故かミリアーネの意見を無下にせず、こうやって明け透けなく相談してくれる実に公正な商人…とミリアーネは評価している。
「この 1 か月、石鹸をいくら出してもサッパリ売れなくてぇ~!」
石鹸は衛生意識の高い貴族には鉄板商品。
庶民にも手が届きやすいように、領主たちは衛生向上の旗印として積極的に投資している。
――はずだった。
しかし都市の識字率も衛生観念も、前世の日本ほど高くはない。
「毎日手や体を洗う」習慣自体が希薄なら、石鹸は棚の肥やしになる。
「試しに無料で配ったんです。ところが皆さん大体三日くらいで使うのをやめちゃって……」
ルルアは深いため息を漏らした。
「ふむ……使い続けたくなる仕組みに改善が必要ですわね」
扇を静かに畳み、彼女は微笑んだ。
「“三日坊主”が敵なら、こちらは“三日突破”の仕掛けを用意いたしましょう」
群青色の瞳がきらりと光る。
――《習慣モード》のスイッチが入った合図だ。
ルルアは思わず背筋を伸ばした。
習慣家令嬢が動き出せば、望む結果は時間の問題。
石鹸の山を前に、ミリアーネは手帳を開き、軽快にペンを走らせる。
「まず“試供ミニ石鹸”を3個セットで配布し、1個1日で使い切れる大きさに。
それから井戸に案内板を設置し、スタンプ台の場所を示す目印を設置して…」
――三日坊主退治は、ルーチンを愛する令嬢にとって好敵手。
石鹸の山は、彼女の手帳の前で静かに運命を変え始める
数十分後、
ミリアーネはメモを書き終えて、ルルアに突き出した。
その場で書き上がったミリアーネのメモは、わずかな物だが、ルルアは思わず見入ってしまう。
①〈お試し石鹸〉+スタンプカード
・直径3センチの丸形×3個
・1個=1日で使い切り、“減りゆく実感”を演出
② スタンプ台を10カ所に設置
・パン屋/魚屋/薬草店 など
・カード三マス達成で《ご褒美クーポン》
・甘いパン ・薬草茶 ・石鹸5%OFF
③ 香りが日替わりで変化
一日目レモン → 二日目ミント → 三日目ローズ
④ 見本洗い実演隊
・季節ごとに衛生講習を実施し“結果”を可視化
「こ、これを実施するんですか?」
見たことのない施策にルルアは首を傾げる。
「……ええ、とてもシンプルですわ。あとは続けるだけ」
一週間後
--商都〈シュヴァルツレーベン〉市場の片隅
店近くのスタンプ台に子どもから大人まで列をなし、スタンプを押してもらっていた。
子どもA
「見て! 3つたまった! 甘いパンの引換券だ~!」
ご婦人
「1日ごとに香りが変わるって聞いて、昨日より楽しみでねぇ」
「わ、わずか1週間で……!」
ルルアは口をあんぐり。石鹸の山は見る間に減り、追加発注の準備まで始まっていた。
ブロワ商会の総合スタンプ台も、
小さな行列が朝から絶えず、子どもから老紳士まで、スタンプカードを握りしめ、楽しそうにスタンプを押してもらっている。
ポン ポン ポン
「よしっ、3マス目!」
「パン屋のおまけ券、わたしは薬草茶!」
「次は七日王だ!」
と、三日分のスタンプを押し終えた途端、
用意しておいた〈ご褒美クーポン〉を嬉々として交換していく。
•配布ミニ石鹸 3, 000セット → 初日で完売
•3日連続使用率 68%(領都平均の三倍)
•手洗い回数(井戸利用統計)前月比+210%
どの数字も、ルルア商会の帳簿に載ったことのない“跳ね方”だった。
--見本見習い隊
市場の一角では、吟遊詩人がリュートを鳴らしながら――
♪ 手をゴシゴシ つけるはバブル
バイキンなんぞは さようなら~ ♪
子どもが覚えやすい節で「手洗いの歌」を拡散。
横では“見本洗い隊”のお兄さんが白い泡をたっぷり見せ、
「ほら! 真っ黒だった手がこんなに綺麗に!」と実演。
野次馬は拍手、子どもは目を輝かせ、
店近くの井戸で手を洗い、スタンプ台で押してもらう――という流れが出来あがった。
--ルルア商会
「……こ、これは“商売”というより“文化”では!?」
納品書の山を前に、蒼ざめる経理係。
在庫はゼロ、次回ロットの原料はいくら仕入れても足りない。
しかしルルアの頬は緩みっぱなしだ。
「損して得取れとは言いますが、
これは“得して得取れ”ですねぇ……!」
そこへミリアーネが静かに入ってきた。
手帳には、次なるページがすでに開かれている。
「ふふふ、次は月間MVPを決める催しを開催しますわ…!」
その視線はすでに次のページ――〈月間MVP・七日王決定戦〉 へ向けられていた。
「習慣が1週間続けば “癖” になりますわ。
次はシュヴァルツレーベンの祭で《七日王》を選出いたしましょう」
その宣言を聞いた瞬間、見本洗い隊の(何故か)後方支援に駆り出されていた婚約者フィリップは蒼白になる。
「ま、待て! 俺石鹸を運びすぎて筋肉痛なんだけど
――!」
「問題ありませんわ。毎日やれ ですもの♡」
こうして “三日突破” を果たした習慣プロジェクトは、
さらなる高み――“七日王” へ向けて加速してゆく。
石鹸の香りとともに、シュヴァルツレーベン――日常は静かに、しかし確実に――変わり始めていた。