第2話 ミリアーネは転生者である
――七歳の冬、記憶が戻った。
それは、寒さが厳しくなりはじめたある朝のことだった。
ミリアーネ・フォン・リュクスハイムは、いつも通り薄明かりの寝室で目を覚ました――はずだった。
「……チェックリストが、ない?」
少女は起き抜けに違和感を覚え、無意識に“今日のタスク一覧”を思い浮かべようとして、頭を抱えた。
そこに流れ込んでくるのは、前世の記憶。
ブラック企業と戦い続けたOL時代の思い出、毎朝5時起きでストレッチをし、夕方には英会話と筋トレ、夜は日記とログ管理……そんな「チェックリスト中毒者」の記憶だった。
「そう、私は……“習慣でしか生きられない人間”だったのですわ!」
ミリアーネは一人、ベッドの上で拳を握りしめた。
家族も侍女も知らないところで、習慣家は目覚めたのだった。
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その日から、彼女の行動は変わる。
起床→白湯→ストレッチ(仮想)→呼吸瞑想→自己肯定アファメーション。
「自己肯定感、今日も高めでいきますわ」
彼女の部屋の壁には、なぜか「7:00 起床」「7:15 鳥に挨拶」など書かれたスケジュール表が貼られはじめ、侍女たちをざわつかせた。
「お嬢様……お目覚め早くなりましたね?」
「昨日の倍の本をお読みになっておられます……」
それもそのはず、記憶が戻ったミリアーネのモットーは――
「毎日やれ」
「やるなら、記録しろ」
「朝は資産」
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ときに、父が寝坊すればこうなる。
「お父様、今朝のルーティン『食前1分間黙想』を飛ばされた件、次回の習慣進捗会議にてご報告をお願いいたしますわ」
「なんだその会議は!?」
「続ける思考」にもとづき、家族すら巻き込む習慣家ぶり。
なお、母はすでに「ミリアーネ・メソッド」を取り入れて朝が快調らしい。
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あまりの激変ぶりに、家族は医学と神学の双方から診立てを受けることにした。
呼び寄せられたのが――
ジョエル・アルバ=シオン
辺境を放浪する 不良司祭と聞く。
灰色の法衣に葡萄酒の匂いをまとい、老人はリュクスハイム邸に現れた。
「娘のこと、どうか診ていただけますか」
ジークフリート伯爵が頭を下げると、ジョエルは笑った。
「ほっほっほ、もちろんじゃよ。ではお嬢さん、見せてもらおうかの」
ジョエルはまじまじと少女を見つめ、「ほぉ」と呟いた。
「お嬢さん――自分の“好き”を毎日磨くがよい。
それがやがて世界をも磨くやもしれん」
意味深な言葉だけを残し、老人は葡萄酒をあおって去った。
その背を見送りながら、伯爵は首を傾げ、ミリアーネは静かにほほ笑んだ。
(やはり“毎日やる”しかありませんわね)
そしてこの時期から、彼女は毎日欠かさず“日記”をつけ始める。
そのスタイルはすでに完成されていた。
•黒:事実(行動ログ)
•青:他人の言葉
•紫:自分の感情
「本日、メイドのルイーゼが言いました。“お嬢様、なんだかお元気そうですね”。→ 青インク記録完了。」
「本日、自己肯定感:80(昨日比 +5)。→ 紫インク記録完了。」
この徹底ぶりは、もはや趣味ではなくライフラインだった。
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数ヶ月後。
例の「顔合わせ」がやってくる。
このときミリアーネはもう、完全に「転生者」としての覚悟を決めていた。
社交? 礼儀? 当然こなす。
だが、それ以上に大切なのは――**「習慣は歯磨きレベルでやれ」**という自らの信念。
婚約相手がどんな人間であれ、彼女はこう誓っていた。
「私は、今日もやりますわ。ルーティンの記録、そして自己の最適化を。」
その決意の先に、まさかの“ツッコミ体質”フィリップが現れるとは、
このときのミリアーネはまだ、知らない




