第9話 「狼姫と、ご褒美」
孤高の狼姫、赤堀咲蓮は学校一の人気者である。
それは本人がいない場所でも噂になるレベルで、良い意味で話題に事欠かなかった。
「なあ聞いてくれよ! さっき女子テニス部で狼姫が助っ人をしてたんだけどさ! めっちゃ上手いし可愛かったんだよ!」
「マジで!? うわー見たかった! 何で呼んでくれなかったんだよ!?」
「仕方ないだろ俺だって偶然見かけただけだしさ! それにちょうど試合が終わるところだったし、女子テニス部の練習をガッツリ大人数で覗くわけにもいかないだろ?」
「いーなー、めっちゃ運良いじゃんかよー!」
「クールにコートの中で舞う狼姫……最高だったなぁ」
と、このように見知らぬ男子生徒二人がワイワイと咲蓮の話で盛り上がるぐらいに人気者なのである。
「おいお前たち。下校時間はとっくに過ぎているぞ? 部活や委員会が無いのなら、早く帰らないと怖い体育教師からみっちりと生徒指導の対象になるが、それでも良いか?」
「げっ!? 風紀委員だ!?」
「俺たち、今帰るところでーす!!」
そしてそんな時間を忘れて校内に残る生徒を見つけては声をかけるのが、俺たち風紀委員の仕事だった。
憎まれ役ではあるが、自由で風通しがよく雰囲気も良い校風のおかげか本当に悪い奴はいないのが唯一の救いである。
俺が少し声をかけるだけで二人は蜘蛛の子を散らすように帰っていった。
それだけ風紀委員と言うか、顧問の体育教師が怖いのである。
「さて、これで巡回は終わりか……」
誰もいなくなった廊下で俺は独り言を呟く。
そして向かった先は委員会の拠点がある方向ではなく、それとは正反対の俺が所属する二年一組の教室だった。
「すまん、待たせたな」
「総一郎。ううん、私も今来たとこ」
その理由は、自分の席に座っている話題の狼姫に会う為である。
教室に入った俺が声をかけると、咲蓮はスマホから目を離して俺に視線を移した。
切れ長の瞳がジッと俺を見つめる。俺はその綺麗な瞳にドキッとしながらも、冷静を装って咲蓮の奥にある自分の席に座った。
「風紀委員。ありがとね」
「ん? いや気にすることは無いぞ? 咲蓮は助っ人に呼ばれるぐらい人気者なんだからな」
「うん。人気者は辛い」
シレっと言うが、嫌みが一切なく素直なところも彼女が人気な理由だろう。
咲蓮は良い意味で裏表が無いのだ。
「私も、総一郎みたいにバンバン風紀を取り締まりたいのに」
「時間がある時だけで大丈夫だぞ?」
「……むぅ」
実は、俺と咲蓮は同じ風紀委員に所属している。
しかし部活の助っ人で多忙な咲蓮の代わりに俺が二人分働いていたんだ。
でも咲蓮はそれが不満のようで、小さく唸る。
「総一郎は、頑張り過ぎ」
「それは咲蓮にも言えることだが……」
「私は良いの」
何も良くないが、それでも狼姫はご立腹のようだった。
彼女は椅子をスライドさせながら、俺に近づいてくる。
ギギッと椅子の足が床を擦る音が静かな教室に響き渡り、あっという間に今日の授業で教科書を共有した時と同じ距離になってしまった。
「なので。今日は私が、総一郎にご褒美をあげる」
「なのでって……いや、ありがとう」
「うん。どういたしまして」
咲蓮が俺の右肩に自分の頭を乗せてきた。
さっきまでテニスをしていたと噂で聞いたけど、その灰色セミロングのウルフカットからは汗ではなく甘い匂いがただよった。
これはどっちのご褒美なんだと思ったけど、間違いなく俺へのご褒美でもあるのでありがたく受け取る事にする。
そうすると彼女は満足そうに頷いた。
「今日は沢山、頑張った」
「朝におばあさんの手助けをしたりな」
「ううん。私じゃなくて、総一郎。教科書、見せてくれたし」
「それを言うなら、俺に読む場所を教えてくれただろ?」
「本読むの、好きだから」
「好きこそものの上手なれ、だな」
「そうとも言うね」
放課後。
誰もいなくなった教室で俺は、肩によりかかる彼女のぬくもりを感じている。
こんなの誰がどう見たって、風紀を乱しているのは風紀委員の俺の方だろう。
だけど咲蓮には、孤高で甘えん坊な狼姫には必要なことなのだ。
「総一郎」
「なんだ?」
「隣の席だと、総一郎の匂いの誘惑が凄くて、辛い」
「…………我慢してくれ」
それはそれとして、一々言動と行動にドキッとしてしまうのは勘弁してほしい。
「我慢したら、もっとご褒美くれる?」
「……ほどほどにならな」
「えへへ、やった」
それでも咲蓮は、放課後に与えられたこの二人きりになれる僅かな時間で。
小さく俺にしか見せない笑顔で、静かに可愛らしく、そして幸せそうに笑うのだった。