第85話 「狼姫と、かみかみデイズ」
咲蓮に首筋を噛まれて、またほっぺたにキスをされた。
そして咲蓮は俺のことが好きとも言ってくれている。
だけど唇へのキスは、俺が咲蓮に好きと言うまで我慢らしい。
それは至極当然な答えで、だからこそ俺は頭を抱えている。
咲蓮の事は好きだ。
大好きと言って良い。
咲蓮は俺の憧れそのもので、高校に入ってから何度も咲蓮に魅せられてきた。
冬のあの日から今の関係が始まった事で、憧れだけではなく咲蓮の弱さも知って、咲蓮がより輝ける為に隣で影ながら支えていこうとも思っていた。
そう、思っていた……。
咲蓮の隣にいればいる程に咲蓮の事が好きになっていく。
嬉しい事にそれは咲蓮も同じようで、ついには俺への好意を隠さなくなってきた。
だからこそ、辛いのである。
今の俺が、過去の自分の言葉を曲げてまで咲蓮に想いを伝えられる存在なのか。
それをずっと……悩んでいたんだ。
「どうした柳? 授業はもう終わってんのにいつまで難しい顔してんだ」
「なっ! や、山川!?」
頭上からかけられた声に俺はハッとする。
見上げてみればそこにはバスケ部男子の山川が首を傾げていた。
慌てた俺は山川を一瞥しつつも隣に視線を向ける。
俺の隣の席、そこに咲蓮は座っていなかった。
「おおっ!? お前そんな驚くなよ俺まで驚いたじゃんか」
「あ、あぁ……すまん」
「ちなみに狼姫なら、しおり達と一緒に出ていったぞ。多分トイレじゃね?」
「な、何故それを!?」
「いや休み時間だし、そんな露骨に狼姫の席を見てたら何考えてるかぐらい分かるだろ……」
呆れたように山川が俺を見る。
男のジト目なんかに興味は無いが、今はその冷ややかな視線が逆に俺の心を落ち着かせてくれる気がした。
「つーか柳、どうしたんだ?」
「い、いやちょっと……考えごとをな!」
「いやそっちじゃなくて、首。今日ずっと片手で押さえてるじゃん。寝違えたか?」
「…………そんな、ところだ」
「そっかぁ。分かるぜキツいよなぁ。俺も寝違えた時にバスケして反射的に振り向いた時はマジでこの世の終わりかと思った!」
山川は一人で納得して笑う。
思わず俺は苦笑いをしながら視線を逸らした。
教室一番後ろの窓側の席からは、青い空が良く見える。
そしてその手前の窓には席に座る俺がうっすらと、右手で右の首筋……咲蓮に噛まれた部分をずっと押さえている姿が映っていたんだ。
◆
「いただきます」
お行儀よく、咲蓮が手を合わせた。
「かぷっ」
「っ!」
放課後。
向かい合い跨り座った、俺の膝の上で。
そして今日も首には甘くあたたかく、そしてくすぐったい感触が広がった。
今日も二人きりの教室で、咲蓮は俺に抱きつき、跨り、首を噛む。
そんな新しいご褒美の日々がもう……三日は続いていたんだ。
「総一郎。好き」
しかも、その後に耳元で好きと囁いてくれる天国で地獄なサービス付きで。
その抑揚のない声が、俺の頭をこれでもかと揺らしていた。
「ちゅー」
とどめと言わんばかりに、頬に柔らかな感触。
咲蓮が、キスをしたんだ。
ここ最近、咲蓮が編み出した俺への必殺ご褒美コンボである。
「……き、きき……きらい、だ……」
そして、俺の心を乱しに乱す必殺悩殺即死技でもあった。
「うん。知ってる」
でも咲蓮はそんな瀕死の俺の抵抗に、嬉しそうに笑う。笑ってくれる。
それはこの言葉が、俺と咲蓮の秘密の関係が始まった事に起因するからだろう。
もちろんそれを今思い返す余裕なんて存在しない。
湧きあがる好意と良心と罪悪感と興奮に、全力で負けないようにしてるからだ。
「明後日。楽しみ、だね」
「あ、明後日……?」
日常になりつつある必殺ご褒美に満足した咲蓮は、俺の肩に頭を乗せながら呟く。
その間も座りながら制服越しに触れ合う身体のあたたかさと柔らかさは継続しまくっているが、猛攻を耐えた俺なら何とかギリギリ耐えられた。
「うん。莉子先輩と、未来先輩と、総一郎と、海」
「あ、あぁ……。もう、そんな時期か」
「お泊り。その後、夏休み」
咲蓮の言葉で俺も思い出す。
七月の初めに十七夜月先輩から、夏休み前の三連休を利用してプライベートビーチへ泊りがけで行こうと招待されていたんだ。
それが俺たちの今後を左右しかねない重大なイベントであるのは間違いない。
だってお泊りだ。
しかも咲蓮だけじゃなくて、この世の全てを見通していそうな風紀委員長の十七夜月先輩と、欲望に忠実な生徒会長の朝日ヶ丘先輩がいる。
……何も起きない筈がない。
でもそれを前にして咲蓮の体調不良だったりお見舞いだったり、好きと言われて教室でクラスメイト達が見ている中でキスをされたり新しいご褒美だったりと、咲蓮に関するイベントがありすぎたせいで完全に忘れていたんだ。
「うみ。うみゅ。うみゅぅー……」
ゆらゆらと。
咲蓮は俺に跨り抱きつきながら嬉しそうに揺れる。
正直な話、外でろくに遊んだ事が無い俺も海に行くのはとても楽しみだ。
だけどそれ以上に、今のこの状態と関係でするお泊りには、期待と同じレベルで不安しかないのも事実だった。
◆
「どうしたんだい柳クン。話、聞こうか?」
そんな俺に。
次の日の昼休み、廊下で。
突然二年生の教室がある階の廊下に現れた三年生の十七夜月先輩が、嬉々として話しかけてきたんだ。




