第82話 「狼姫と、いかく」
「総一郎。お待たせ」
「お、おぉ……今日は早いな」
放課後の教室で。
俺は咲蓮といつもの待ち合わせをしていた。
今日はこれからの事を考える大事な話をする為、十七夜月先輩に頼み込んで風紀委員の見回りを軽くしてもらった。
そのおかげで心の準備が出来るかと思いきや、俺が教室についてすぐに咲蓮も現れたのだった。
「うん。この前学校を休んでから、みんな気を遣ってくれる」
「……そ、そうか。部活の助っ人も大変だろうからな、良かったじゃないか」
「ううん。そっちじゃないよ」
「え?」
「もっと。総一郎との時間、楽しんでって」
「よりにもよってそっちか!?」
ぽわぽわとした雰囲気で嬉しそうに咲蓮が語る。
悲しいが、それを咲蓮に嬉々として言っている運動部女子達の顔が目に見えるようだった。
「それで総一郎。大事な話って?」
「あ、あぁ……。と、とりあえず、座ってくれ」
「うん」
俺は咲蓮といつもの席に座る。
隣り合った席で椅子だけを向き合わせ、対面した。
正面に座る咲蓮は期待に目を輝かせているように俺を見上げていて、正直これからどう話そうかと胸が痛くなる。
授業中も休み時間も、何回もシミュレーションした筈なのに頭の中はもう真っ白になっていた。
「そ、そのだな……。こ、この前の……き、キス……あるだろ?」
「うん。みんな驚いてた」
「あ、あぁ……俺も驚いた」
自分でも分かるぐらい俺の声が震えている。
あの日以来、咲蓮からキスはされていない。
一次的な感情の高まりだったのか本当にお礼だったのか純粋な好意だったのかは分からないが、それが逆に俺の胸の中をモヤモヤとさせていたんだ。
「ちゅー。嫌だった……?」
「い、嫌じゃないぞ!? む、むしろ嬉しいぐらいで……だ……な……」
「良かった」
「…………」
駄目だ。
思ってた事がまるで話せない。
それだけ俺の胸が、心臓がドキドキしっぱなしだ。
今も無表情ながらに一喜一憂している咲蓮に心を乱されっぱなしでいる。
……キスの話は一端横に置いておこう。
本題は、ここからだった。
「それでだな……最近、その、ご褒美の時間以外でも、少し……距離が、近いと、思うんだ……」
俺はめちゃくちゃ言葉の歯切れが悪くなる。
何故なら少し控えてほしいと思う反面、嬉しいとも思ってしまっているからだ。
「うん。総一郎が、好きだから」
「すっ……!? お、俺は嫌いだ……」
「うん。知ってる」
「…………」
不意打ちの好き。
毎日放課後に抱き合ってはいるが、こうして真剣に話すのは久しぶりなので完全に不意打ちだった。
そんな俺の苦し紛れの反撃さえも咲蓮は嬉しそうに受け流す。
終始完全に咲蓮のペースだった。
「み、南や山川達は良いと言ってくれているが。やはり人前では少しそういったスキンシップは控えるべきだと……俺は思う。俺も咲蓮も二年生で、少なくても下級生には刺激が強すぎるかもしれないし……」
「未来先輩みたいに、隠れてなら良いの?」
「そ、そうは言ってないが……そうかも、しれないが……」
「?」
言ってる事は間違っていない。
だけどそこであの欲望に忠実な生徒会長こと朝日ヶ丘先輩を引き合いに出すのは、変なノイズが入ってしまいとても危険だ。
ただでさえ咲蓮は朝日ヶ丘先輩と幼馴染で次期生徒会長としても可愛がられていてその影響をモロに受けやすい。
咲蓮が朝日ヶ丘先輩なみに直接的になったら、俺はすぐに負けてしまうだろう。
「総一郎。困ってる?」
「困っては……いや、すまん……」
「ううん。総一郎、好きだもん」
「…………」
「言わないの?」
「……俺は、嫌いだよ」
「えへへ……。やった」
ずっと心臓が苦しい。
咲蓮の優しさがすごく伝わってきているからだ。
「総一郎は。どうしてそこまで、してくれるの?」
「え?」
「私の事。いつも考えてくれてる」
「それは……」
見透かすような瞳だった。
無表情ながらに切れ長の瞳は透き通っていて、真っ直ぐに俺を見つめる。
半分は自分の為だと言っても、咲蓮は納得しないだろう。
だから俺は、正直に話す事にしたんだ。
「……咲蓮は、か、可愛いから」
「え? やった、褒めてくれた。嬉しい」
「だ、だけどそれは……咲蓮が今まで頑張ってきた、狼姫の姿とは真逆の姿でもあるんだ。その努力を、積み上げてきたものを、俺と一緒にいる事で崩してしまうのが申し訳ないと……思ってしまうんだ……」
咲蓮は最初から、孤高の狼姫と呼ばれていた訳ではない。
それこそ最初は凄い美人な一年生がいる、という噂から始まった。
そこからその噂以上に咲蓮がみんなの為に頑張って、模範的な姿を見せて、努力してきたからこそ作り上げた今がある。
その憧れを、俺なんかが壊して言い訳が無いんだ。
「狼姫の、私?」
咲蓮はキョトンとする。
俺にだけ見せるその可愛らしい仕草も、他の生徒は誰も知らない。
「あぁ……。誰もが憧れて目標にする、カッコいい、狼姫だ……」
「カッコいい、狼姫の、私……」
そしてその憧れは、俺の憧れでもあった。
他人の評価を気にせず、されど腐らずに我が道を進んで研鑽を重ねた姿。
そんな咲蓮が、俺は誰よりも――。
「分かった」
「え?」
不意に、咲蓮が立ち上がる。
「お邪魔します」
「さ、咲蓮っ!?」
有無を言わさず、椅子に座る俺に正面から跨る。
「総一郎」
「えっ、あっ、なっ」
息と息が触れ合う距離。
目の前には、夕暮れに照らされた咲蓮の顔が広がって。
「がおぉ。食べちゃうぞー」
「…………は?」
咲蓮は両手を広げて大きく口を開け……威嚇のような何かを、俺にしてきたんだ。




