第79話 「狼姫と、ホームビデオ」
『すんすん……すぅー……』
『あ、あまり……その、嗅がないでくれ……』
『や』
『やっ!?』
咲蓮が、俺の胸の中で小さく首を振っている。
『今日。会えないと、思った』
咲蓮が、俺のワイシャツをぎゅっと掴んでいる。
『来てくれて、嬉しい』
『……そうか』
『なでなでしてくれて、嬉しい』
『…………そうか』
俺が、咲蓮の髪を手で整えている。
『総一郎』
『……なんだ?』
『いる?』
『……ちゃんといるよ』
『うん』
俺が、咲蓮の背中に手を置き、頭を撫でている。
『疲れてるのに、買い物に付き合わせてごめんな』
『ううん』
俺が、咲蓮を抱きしめている。
『…………』
『……咲蓮?』
『……すぅ……すぅ……』
咲蓮が、俺の胸の中で眠り始める。
『……しっかり休むんだぞ?』
『……うゅ』
俺が、咲蓮の頭を撫でている。
『……あ、充電無くなる。えっと、以上! 咲蓮と総一郎くんのラブラブ映像でしたー!』
カメラの映像がグルっと回って。
俺が見させられていたスマホに、満面の笑みな早霧さんの顔がドアップで映った。
「すみませんでした……」
「良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ良いよ!!」
その映像が終わって、俺は力なくリビングのテーブルに深々と頭を擦り付けた。
顔を上げれば笑顔全開な早霧さんが残像が出来る程の勢いで手を振っている。
見られていたのだ。
俺と、咲蓮の一部始終を。
ていうか、撮影されていた。
「いやー! 総一郎くんなら大丈夫だと思ってたけど、流石に二階から総一郎くんの悲鳴が聞こえてきたら気になって見に行っちゃうよねー!」
「すみません……」
ごもっともだった。
親なら娘のお見舞いに来た親しい男友達の悲鳴が部屋から聞こえてきたら何かあったと見に来るのは当たり前の事である。
「まさかもうそこまで進んでるとは思わなかったから、慌ててリビングにスマホ取りに行っちゃったもん!」
「すみません、本当に勘弁してください、すみません……」
地獄だった。
責められる訳でもなく、ただ俺と咲蓮の映像を咲蓮の母親と一緒に見ながら会話をするこの時間がとんでもなく地獄だった。
「安心して総一郎くん! まだれん……パパには見せないから! 私と咲蓮で楽しむだけだから!」
「……感謝して良いのかどうか分からないです、すみません……」
まだ見ぬ咲蓮の父さんにこの映像を見られたらどうなってしまうのだろうか。
よその家は分からないが、俺の家なら間違いなく死ぬ。父さんに見られたら、本気で俺が死んでしまうと言い切れる。
早霧さんのご厚意で咲蓮の父さんにはまだ見せないらしいが、出来れば咲蓮とも楽しまないでほしいとはやらかした俺の立場では口が裂けても言えなかった。
「じゃあここで、総一郎くんにお願いがあります!」
テーブルの向こう側から早霧さんが身を乗り出す。
俺と会ってからずっと笑顔な早霧さんは、その笑顔のまま口を開いた。
「咲蓮の事、お願いね?」
「すみま……え?」
思わず、気まずさから逸らしていた顔を向ける。
早霧さんは変わらず、だけど静かに、笑っていた。
その微笑みはさっきまでの悪戯な笑みではなく、慈愛に満ちた優しい微笑みのように感じたんだ。
「咲蓮があんなに、私たち以外に心を開いているの初めて見たよ。普段は大人しい子だから、なおさらね」
「それは……」
「もちろん、咲蓮が学校で人気者だって事も聞いてるよ! でも咲蓮、自分から良いも悪いも言わない子だからね。だから咲蓮が好きな人がいるって言った時は、本当にビックリしたし嬉しかった!」
「…………」
「二人の間で色々あるみたいだけど、少なくても私から見て総一郎くんは本気で咲蓮の事を想ってくれているのでとても安心なのです! だから、よろしくね?」
「……はい。あ、あの」
「ううん! 言わなくて良いよ! それは総一郎くんと咲蓮の話だからね! ちゃんと咲蓮に、言ってあげて?」
「…………ありがとうございます」
ありがたさと、申し訳なさが同時にこみ上げる。
見た目はとんでもなく若いが、目の前にいる人は俺よりも人生経験が豊富な大先輩だった。
俺の言おうとした事は全てお見通しで、その言葉に胸の奥が熱くなる。
「いえいえ! 改めまして、咲蓮をよろしくお願いします」
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
十七夜月先輩と言い、朝日ヶ丘先輩と言い、山川や南、そして早霧さんと言い。
俺の、いや俺達の周りには……どうしてこんなに良い人達ばかりなんだろうか?
「…………ところで、ちゅーはした?」
「は、はいっ!? し、してませんよっ!?」
「え!? あの距離感で!?」
「な、何でしてると思ったんですか!? ていうか何で聞いたんですか、今の流れで!?」
「ちゅーはね、それだけ大事なの……! 大事なんだよ……!!」
でも。
良い人と変人は、紙一重だとも思う。
それを今あげた全員が、見事に証明してしまっていたんだ。




