第73話 「狼姫と、お見舞い」
「静かだ……」
学校を出て、閑静な住宅街を俺は歩いていた。
目的はもちろん、咲蓮のお見舞いに行く為である。
学校を出て、いつもの通学路を通り、大通りの歩道橋を抜けて、俺が使っているバス停を……スルーした。
そこからは同じ街でも、新世界だった。
普段歩かない道、知らない家々、並ぶ木々と、雰囲気。
それも咲蓮が毎日使う道ともなれば、より特別感が増していた。
咲蓮が隣にいないのに咲蓮を隣に感じてしまうのは、先ほど風紀室で朝日ヶ丘先輩との問答があったからだろう。
俺は、咲蓮が好きだ。
その気持ちを、言葉にした。
ただ一言、それだけ。
しかしそれだけでも、俺にとってはとんでもなく重要な事だったんだ。
「…………」
つまり、緊張している。
そう俺は今、緊張しているんだ。
だって初めて行く家に、好きな人の家に、俺は単身で向かっているのである。それで緊張しない男なんていないだろう。
この緊張は、小学生時代に親の躾が厳しかった事を知った担任の先生が親身になってくれて、急遽家庭訪問という形で三者面談が始まった時よりも遥かに上だった。
「公園だ……」
だから。
スマホに表示されているマップを頼りに歩いている途中で横に見かけた何の変哲もない小さな公園でさえも気になってしまう。
遊具はなく、それなりに大きな木の下にある長いパイプ製のベンチが一つ置かれていた。
朝日ヶ丘先輩がくれた住所のメモが間違っていなければ咲蓮の家は近いし、もしかしたら子供の時にここで遊んでいたかもしれない。
なんて妄想と現実逃避を無意識にしてしまうぐらいに、俺は緊張しまくっていた。
「ここは……左か」
夏らしさ全開にうるさく鳴くセミ達の声を聞きながら歩いていると、住宅街を通る道から丁字路に差し掛かる。スマホのマップではここを左に曲がるらしく、顔を向けると緩やかな坂道が伸びていた。
……上り坂だ。
まるで今の俺の心境みたいだな……なんて馬鹿な事を思いながら坂を上り、上り切った先に現れた曲がり角をさらに曲がる。
大通りからどんどんと離れているせいか、静かな住宅街を歩いているせいか、周囲の音が全て消え、俺の心臓の音だけが響いているようだった。
「……赤堀」
そしてついに、着いてしまった。
表札から間違いなく、ここが咲蓮の家だろう。
二階建ての、立派な一軒家だった。
外装に比べて赤い屋根が新しく綺麗なので、張り替えたのかもしれない。
そんな見てすぐに感じた事をいくら考えたところで、何も始まらないのは分かっていた。
「……よし」
覚悟を決めた俺は、震える手をインターホンに伸ばす。
酷い震えだ。
お見舞いに来たのに、俺の体調が悪くなっているのかもしれない。
たかがボタン、されどボタン。
このインターホンのボタンを押せば、咲蓮に会える。
――ピンポーン。
そう思ったら、自然とボタンを押していた。
俺の心とは正反対な、明るい音が鳴り響く。
あっと思った時にはもう遅く、ドタドタと軽快な音が近づいて……軽快?
「はーい!」
そんな疑問が生まれた瞬間に玄関の扉が勢いよく開く。
だけど現れた人物は、咲蓮ではなくて……。
「あれ?」
その人物は、女性は、首を傾げて俺を見た。
考えればすぐに分かる事だが、こんな立派な家に咲蓮だけ住んでいる訳がないのである。
出迎えたのは、咲蓮の家族だろう。そう直感的に思えるぐらいには、見た目というよりは身に纏う雰囲気が似ていたんだ。
腰まで伸びた白い髪。
咲蓮よりも色白な肌で、咲蓮よりも感情豊かな大きな瞳や表情をしている。
ダボダボのTシャツの上にエプロンを羽織っているが、母親と呼ぶには……見た目がかなり若く見えた。
咲蓮の、姉さんだろうか?
「えっと、あの……」
だけど咲蓮に兄弟姉妹がいるなんて話、俺は聞いた事がなかった。
そのせいで頭の中が真っ白になり、俺が何を喋れば良いか悩んでいると……。
「……あーっ!!」
「は、はいっ!?」
その女性は、淡い色の瞳をこれでもかと見開いた。
そのまま俺を思いっきり指さして。
「総一郎くんだっ! あー、なるほどね! 未来ちゃんそういう事かぁ! 咲蓮のお見舞いに来てくれたんでしょ? 入って入って!!」
「えっ? ちょ……えぇぇっ!?」
初対面の筈なのに俺の名前を呼び。
有無を言わさず、俺の腕を掴んで家の中へと引きずり込んだんだ。




