第62話 「狼姫と、狼少年」
あれだけ高い位置にあった太陽が沈み始めている。
一、二ヶ月前ならとっくに夕暮れの時間でも、七月の太陽のしぶとさは目を見張るものがあった。
俺達は電車に揺られて、十分もしない内に最寄り駅へと帰ってきたんだ。
「ん~! 楽しかったぁ~!!」
「こらこら。未来、家に帰るまでがデートだよ」
最初に待ち合わせをしていた駅前のロータリーに出た瞬間、朝日ヶ丘先輩が全身を使って伸びをする。
大声を出したせいかその全身地雷系ファッションのせいか見た目が美少女のせいかは分からないが、やっぱり注目の的になっていた。
「だって……久しぶりのデートで、楽しかったんだもん……」
「ふふ。それはボクも同じだよ」
「莉子ちゃん……!」
人目も気にせず、二人は駅前で熱い抱擁を交わす。
ネットカフェを出てから、先輩二人の距離がやけに近い気がした。心なしか二人とも肌がツヤツヤしているのは多分気のせいじゃないのだろう。
「咲蓮ちゃんと総一郎くんも、お楽しみだったしね……!」
「だ、だからやめてくださいよ!」
十七夜月先輩の胸の中で、視線だけを俺達に向けた朝日ヶ丘先輩がニマニマとネットリとした笑みを向けてきた。
それもこれも、咲蓮と抱き合いながら寝ていたところを先輩に見られてしまったのが原因である。その時、咲蓮は俺に抱きつきながらぐっすりと寝ていた為、俺だけがこうして未来先輩からからかわれていたんだ。
「まあまあ。ボク達にも似たような時期があったんだし、今は二人の事を見守ろうじゃないか」
「……お手柔らかにお願いします」
「ふふふ。咲蓮クンは楽しかったかい?」
「うん。すごく」
「それは良かった」
短く、だけど深く咲蓮は頷いた。
それを見た十七夜月先輩も笑顔で頷きながら、隣に立つ朝日ヶ丘先輩の腕を取る。
「じゃあ今日はここで解散と行こうか。また来週、学校でね。ほら未来、帰ろうか」
「うんっ! じゃあ咲蓮ちゃんに総一郎くんまたねー! 今日聞けなかった事は来週ジットリネットリ聞かせてもらうからぁー!」
「お疲れさまでした。それと、ありがとうございました」
「莉子先輩、未来先輩。またね」
風紀委員長と生徒会長の二人は腕を組みながら、別れの言葉を言って去っていく。
それに俺は頭を下げて、咲蓮は二人に手を振っていた。
俺の記憶が正しければ、先輩二人が向かった方角は家の方向ではない気がしたけれど、深く考えると大変な事になりそうなので考えるのをやめておく。
「総一郎。帰る?」
「ああ。途中まで送るぞ」
「やった」
そんな二人から意識を逸らしたところで咲蓮が俺を見上げ、首を傾げる。
その問いに答えた俺は、朝よりも自然と咲蓮の手を取って帰路へ歩き出したんだ。
◆
しばらく二人で手を繋ぎながら、見知った道を歩いていた。
知り合いに出会ったらどうしようと思っていたが、それも杞憂だったようで何事も無く俺が利用しているバス停に辿り着く。
そこで俺は、繋いでいた咲蓮の手を離した。
「着いちゃった」
繋いでいた手を、咲蓮は見つめる。
いつもと変わらない淡泊な言い方だが、その短い言葉には色々な感情が込められていると思った。
「だな。……まあ、バスの時間はまだだが」
「! じゃあ、一緒に待つ」
「……ありがとな」
「うん」
時刻表を見るとバスが来るまでは十五分ぐらいあった。
それを咲蓮に伝えると分かりやすいぐらいに表情が明るくなる。まあ、そう入っても小さな変化なので、気づける人は少ない。
それだけ咲蓮は、学校では上手くクールに立ち回っているんだ。
「今日、楽しかったね」
「……あぁ」
「また、行こうね」
「……だな」
「えへへ」
だからこうして、咲蓮の方から話を振ってくれる事すら珍しい。
俺の前ではずっとこうだけど、普段の咲蓮はずっと物静かだから。
「……なあ、咲蓮」
「なに? 総一郎」
少しだけ、ほんの少しだけ会話に間が生まれた。
けれど今回はネットカフェの時よりも早く、俺は口を開く。
するとネットカフェと同じように、咲蓮は俺の顔を見上げたんだ。
「…………さっきの、事なんだが」
いざ、口に出そうとして、一瞬だけ言葉に詰まる。
結果的に名前を呼んだ時よりも長い間が生まれてしまったが、俺は言葉を続けようとした。
「その」
「総一郎は」
だけど咲蓮は、そうなると分かっていたかのように。
もう一度、俺の名前を呼んだ。
俺をジッと見上げ、見つめて。
「総一郎は。私の事、好き?」
そして真っ直ぐ、そう聞いてきた。
ネットカフェの時と違い、胸に顔を埋めずに、俺の目を見て。
「……俺は」
その顔に、見惚れてしまった。
真剣なその顔は、俺に無い、俺の憧れそのものだったから。
「……変わらないよ」
だから俺も、咲蓮の顔をしっかりと見つめて言葉を返す。
これは決して目を逸らしてはいけない事……だから。
「……前にも、言っただろ?」
また一瞬、言葉に詰まった。
それだけ、咲蓮への想いが強くなったんだと思う。
「……出会った時から、俺は、ずっと」
だけど、言わなくてはならない。
そうしないと、全部……嘘になってしまうから。
「……ずっと。咲蓮の事が、大嫌いだ」
この気持ちが、言葉が、既に嘘だったとしても。
それが、咲蓮と誓った約束だから。
「うん」
そんな俺の、文字通り、心無い嘘に。
「知ってる」
咲蓮は、心の底から嬉しそうに微笑んだんだ。




