第61話 「狼姫と、すきのきもち」
咲蓮が俺の顔を抱いて、自らの胸元に押し付けてきた。
突然の出来事にパニックになれど、顔を包み込むのは極上の柔らかさと甘い匂い。
制服とは違うシャツの生地の心地良さと胸の膨らみが相まって、焦らなきゃいけない筈なのに動きたくないと言う矛盾が、俺の中に生まれていく。
「ぎゅー。ぎゅー……」
「っっ!?」
咲蓮はその間も俺の後頭部を抱いていて、逃げる事は不可能だ。
いや、逃げる必要も無いんじゃないかとさえ思ってしまう。
いつもは俺の方から抱きしめている側なのに、逆の立場になるとこうも心地良くて幸せなのかと思った。
甘くて、優しくて、幸せで、安心する。
そのあたたかさに包まれながら聞こえてきた心音は、爆速をかき鳴らしていた俺の胸の鼓動を落ち着かせていくには十分過ぎたんだ。
「総一郎。どうだった?」
そんな刹那の間に永劫続いていたような幸せの時間が突如として終わりを告げる。
咲蓮が俺の顔を抱くのを辞めて、優しく覗き込んで来たんだ。
いつもと変わらない小さな微笑みなのに、それは外で輝く太陽よりも眩しく見えて、直視出来なくなった俺は思わず視線を逸らしてしまう。
「あ、あぁ……凄かった、ぞ……」
「やった。総一郎も、私中毒」
それでも感想を待たれているので、正直に答えるしかなかった。
私中毒という謎の言葉が生まれたけど、確かに俺はとっくの昔に咲蓮に毒されているのだろう。
ただそれを言えないだけで、その間もずっと咲蓮の毒は回り続けているのだ。
「じゃあ、今度は私……」
「お、おぉ……!」
そして攻守が入れ替わったかのように、咲蓮がもぞもぞと下がってまた俺の胸元に潜り込んでくる。
心なしかさっきよりも密着度が増した気がして、本当に抱き枕になったような気分だった。
「今日のご褒美。いつもより、嬉しい」
「そ、そうか……」
「総一郎は、嬉しい?」
「あ、あぁ……。な、何て言うか、咲蓮の気持ちが、分かった……」
「えへへ。やった」
俺の胸元から俺を見上げる咲蓮がとても愛おしく感じる。
綺麗に整えられた細い眉も、嬉しそうに細められた切れ長の瞳も、スラっと高く細い鼻も、小ぶりな唇も、その全てが俺に向けられている。
知らず知らずの内にお互いの足も絡んでいて、まるで咲蓮と一心同体にでもなったかのようで。
こんな幸せな時間を過ごして良いのだろうかとさえ思ってしまう程に、俺は咲蓮に夢中になっていたんだ。
「総一郎は、いつも私をだっこしてくれる」
「さ、咲蓮が頑張ってるからな……!」
「うん。あの時も、そう言ってくれた」
「……あぁ」
昔を懐かしむように、咲蓮の口元がわずかに緩んだ。
それはきっと、俺と咲蓮の秘密の関係が始まった去年の冬の出来事を言っているのだろう。忘れたくても忘れられない、強烈過ぎた雪の日の思い出。
それが今も、俺と咲蓮の中で、大切に残り続けているんだ。
「総一郎」
その時の気持ちをそのままに。
咲蓮はもう一度、俺の名前を呼んだ。
今度は顔を伏せ、俺の胸元に顔を埋めながら、静かに。
「すき」
静かに、そう呟いたんだ。




