第44話 「狼姫と、待ち合わせ」
今日は土曜日。
デート当日になった。
「マジか」
午前九時三十分。
待ち合わせ、一時間前である。
「マジかぁ……」
人通りが多い駅前のロータリーで、俺は大きな溜息を吐いた。
あっという間にデート当日になってしまったという焦り。
そして、これから咲蓮を含めた女子三人と一緒に水着を買いに行くという事実にである。
「十七夜月先輩は何を考えてるんだ……」
お願いしたのは俺だが、そんな恨み言も漏れてしまう。
友人と学校外で遊んだ事が無い俺が、一番最初に経験する交遊がデートで、ダブルデートで、水着を買いに行く。
確かに今は七月で、これから夏休みに入ったらそれこそ咲蓮と一緒に遊ぶ事も増えるだろう。そうなればきっと、水着を着るようなイベント……川や海にプールと言ったレジャー施設に行く事を考えれば今日のプランはとても合理的だ。
それでも学外交遊初心者の俺にはハードルが高すぎる。
今日だけで、階段を何段飛ばしで進んでいるのだろうか?
「それにしても、人が多いな……」
本屋に行く程度でしか使わない駅前の人通りの多さに驚く。
夏の暑さに比例してか、行き交う人々がとても多かった。
俺と同じように待ち合わせをしているであろう若者。
既に集まってこれから何処へ行こうかとスマホを眺める女子グループ。
部活の遠征か、大きな荷物を抱えるジャージ姿の学生達。
休日でも働いて世界を支える、死んだ顔つきをする早歩きのサラリーマン。
そして、そんな有象無象をかき分けるようにして現れた、絶世の美少女。
「総一郎」
そう、咲蓮だ。
「お待たせ。待った?」
「――――」
その咲蓮の姿に、俺は見惚れてしまった。
灰色セミロングのウルフカットは、今日も太陽の光に照らされて輝いている。
細い眉につり目がちな瞳も、デート当日だけあって少し楽しそうに緩んでいた。
スラっと高い鼻、小ぶりだけどいつもより鮮やかに見える唇、そしてそれをひとまとめにした美貌も、学校で会う時より柔らかい印象に見えた。
しかし服装はそれとは対照的だった。
胸元のボタンを緩めた薄手の白シャツは夏らしさを感じる。そしてその下に履かれた黒のロングパンツはヘソより高い位置まであるんじゃないかってぐらい高く、咲蓮のスタイルの良さをこれでもかと強調していた。
誰がどう見てもモデルだと見間違える程に足が長く見え、学校指定の制服を着た凛々しさとは違うカッコよさを感じるコーディネートだった。
だと言うのに咲蓮は、俺から見たらいつもより表情が緩んでいて可愛らしい。
普段と違う恰好、いつも通りだけどゆるゆるな咲蓮。
その二つのコントラストが、俺の情緒をこれでもかとバグらせていた。
「総一郎?」
「――おっ、おうっ!?」
そんな咲蓮が、いつもの距離感で俺を覗きこむ。
そこでようやく反応出来たけど、心臓が爆発しそうだった。
可愛さとカッコよさの共存。
ファンクラブが、学校中が、咲蓮を狼姫と呼ぶ理由がよく分かった気がした。
「おはよう。暑いね、はい」
「あ、ありがとうな……」
咲蓮は肩にかけていた、やけに小さなハンドバッグからハンカチを取り出して俺に手渡してくる。
優しい。
流石の咲蓮も公共の場所では学校みたいに自分から俺の汗を拭く事はしないようである。
……あれ、学校も公共の場所の筈だが?
「ふふ。早いね、総一郎」
「さっ、咲蓮もな……」
咲蓮は俺がハンカチを受け取ったのを確認すると、口元を緩めた。
その笑顔がまた俺の心臓をかき鳴らしている事には、気づいていないだろう。
「学校じゃないから。不思議、だね」
「だ、だな……その、よく、似合ってる……」
「え?」
「い、いや! ふ、服が……カッコいいのに、可愛くて、だな……」
「やった。えへへ、ありがと」
「…………おう」
助けてくれ助けてくれ助けてくれ。
咲蓮が、咲蓮が何をしても可愛すぎる。
そして俺が情けなさ過ぎる。
言わなきゃ言わなきゃと勝手に気持ちが先行して呟いた言葉はしどろもどろになってしまった。
そんな俺の言葉に咲蓮は喜んでくれて、俺を見上げて微笑んでくれる。
これを好きになるなと言う方が無理だろう。
いや元から惚れていた訳だが、好きになると言う事に上限は存在しないのかもしれない。
「総一郎も。いつもより、カッコいい」
「ら、ラフなだけだぞ……」
「うん。そっか。総一郎はいつでもカッコいいもんね」
「――――」
今日、俺は死ぬのだろうか。
咲蓮は俺を殺すつもりなのだろうか。
心臓の鼓動が鳴りやまない。
ご褒美を与える秘密の放課後とは違う、いたって健全な関係なのに、今日の方がドキドキしてるんだが何だこれは。
何なんだこれは。
「……あ、後は十七夜月先輩と朝日ヶ丘先輩だけだな!」
この気持ちの答えが分からなくて、つい俺は話題を逸らしてしまう。
「うん。そうだね。私達、早く来ちゃった」
それに咲蓮も乗ってくれた。
視線を逸らすようにスマホを除けば、まだ待ち合わせ時間までは三十分以上ある。
「まあ、いるんだけどね」
「うおおおおおおおぉっ!?」
「あっ、莉子先輩」
そのスマホを覗き込むように、にゅっと十七夜月先輩の黒髪が俺の手元にフェードインして来て。
人々が行き交う駅前で、情けなく俺は悲鳴をあげたのだった。




