第22話 「狼姫と、欠乏症」
「総一郎成分が、足りない」
「は? おいちょっと!?」
俺が咲蓮に腕を掴まれ連行されたのは、体育館での片づけが終わる直前だった。
時刻は既に放課後。
他の生徒はテスト期間なのでほとんどが学校から帰っていて、後片付けを一緒にしていた他の風紀委員も全員先に風紀室に戻っているので本当に誰もいない状態で。
咲蓮は俺の腕を掴み、体育館の壇上の裏に引っ張っていったんだ。
「ぎゅー」
「さ、咲蓮!? どうしたんだ急に!」
壇上の裏。
そこは薄暗く倉庫のようになっていて、今日の委員会活動報告会で使われたマイクや演台がしまってある。
そんな埃っぽい場所で咲蓮は俺の胸元に顔を埋め、背中に手を回して抱きしめてくる。埃臭さはすぐに消えて、咲蓮の甘い匂いが灰色の髪から漂ってきた。
「最近忙しかった。もっと構ってほしい」
「!?」
俺の胸元から顔を上げ、直球過ぎるお願いをしてくる。
最近のスキンシップに慣れてきたつもりだったが、不覚にもドキッとしてしまった。
「し、仕方ないだろ? 最近は風紀委員の見回りも強化されてたんだし、テストも近づいてるんだから……。それに、教室ではいつでも近づけるようになっただろ?」
「やだ。総一郎から来てほしい」
「……っ!」
思わず声が出そうになった。
何だこの可愛いわがまま姫は。
見回り強化のせいで朝と放課後のご褒美の時間が減ったにしたって、この可愛さは破壊力が凄まじかった。
「総一郎。総一郎。総一郎」
「ちょっ、やめっ……!」
――ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
俺の胸元に顔を埋めた咲蓮が何度も顔を押し付けてぐりぐりと擦って来る。
凄いくすぐったい。でも、凄く嬉しかったのも事実だ。
「すー、はー。総一郎の匂いは、万病に効く」
「効かないが!?」
密着し抱きしめられているので、咲蓮が深呼吸するのも身体の動きで分かってしまった。
息を吸い、胸が膨らむ。
息を吐き、吐息がくすぐる。
風紀は守られていても、その代わりに咲蓮の我慢が限界だったようで。
「そんな事はない。私が生徒会長になったら、全校生徒に総一郎の匂いの良さを演説したい」
「止めてくれ!」
「でも。そうすると総一郎の匂いの素晴らしさ、皆に気づかれちゃう」
「聞いてくれ!」
暴走した咲蓮が、俺達の隣に置かれた演台を見ながらヤバい企みをする。
止めようにもこんな事は初めてで、どうすれば良いか分からなかった。
「むぅ。総一郎はわがまま」
「…………」
どっちが。
とは言えなかった。
咲蓮はジト目で俺を見上げてくる。
綺麗な顔だ。
こんな不満げな顔は、俺にしか見せないだろう。
このままずっと見ていたいけど、状況が状況だった。
なるべく早く戻らなくては、風紀室で待つ十七夜月先輩に勘繰られてしまう。
風紀委員長の彼女は、いつも俺達風紀委員が全員見回りを終えるのを確認するまで絶対に帰らないのだ。
「良いか咲蓮、よく聞いてくれ」
「……むぅ」
俺は必死に咲蓮を説得しようとする。
少し拗ねているけれど、さっきよりかは聞いてくれそうな雰囲気だった。
「俺は、生徒会長に似ているらしい」
「…………?」
突拍子もない俺の言葉に咲蓮は首を傾げる。
俺も自分で何を言ってるんだと思うけど、首を傾げたって事は俺の話が耳に入っているって事だった。
「さっきの挨拶を見ただろう? 朝日ヶ丘生徒会長は、誰からも人気だ」
「うん。凄かった」
「だろう? その理由の一つは、活動報告会中しっかりと聞いていた生徒たちをちゃんと偉いと褒めたから……そうは思わないか?」
「思う」
咲蓮はノータイムで即答する。
もちろん生徒会長が人気な理由は他にも沢山あるけれど、咲蓮に一番共感してもらえるのは褒めるという事だった。
「だからこの騒動が終わるまでちゃんと我慢出来たら、俺も咲蓮の事をめいっぱい褒めたいと思う」
「ほんと?」
咲蓮の瞳が輝いた。
「ああ、本当だ! これでもかってぐらい抱きしめて、褒め倒してやる!」
「これでもかって、どれぐらい?」
「咲蓮が満足するまで良いぞ!」
「……満足するまで。私が」
間を空けて、謎の倒置法。
咲蓮の瞳はキラッキラだった。
「どうだ? もうちょっとだけ、頑張ってみないか?」
「やる!」
今までで一番力強い返事だった。
咲蓮は俺を抱きしめるのを止めて離れていく。
でもその姿は、これから散歩に行く直前のワンコそのものだった。
「総一郎。私、頑張る。頑張って我慢して、風紀の犯人も捜す!」
「……ああ。その前に、まずはテストを頑張ろうな?」
「うん!」
風紀の犯人は俺達だから、絶対に見つからないとして。
学生の本業である期末テストも、明日に控えていた。
風紀委員、不純異性交遊、ご褒美に我慢に期末テスト。
二年生最初の期末テスト期間は、前後含めてとんでもない波乱を呼びそうだった。




