第17話 「狼姫と、おまじない」
「大変な事になったな……」
「そうなの?」
時刻はもう下校時間ギリギリに差し迫っている。
十七夜月先輩に風紀室で説明を受けた俺と咲蓮は、誰もいない自分たちの教室にやってきていた。
窓から完全に暗くなった外が見える教室の中。
いつもの席に座った俺たちは明日からの事を話し合っていたんだ。
「突然偽装カップルになれって言われても……なぁ」
「でも、莉子先輩はそれが大事って言ってた」
「それも一理……いやもっとあるんだが……」
十七夜月先輩の言い分はこうだった。
その一。俺と咲蓮が偽装カップルもとい、仲の良い男女として生徒の模範になるように心がける。
その二。咲蓮も俺も有名だから、そんな二人が規則の中で仲睦まじくしている姿を見せれば他の生徒達も参考と基準になる。
その三。もしそれで自分たちも大丈夫だと油断した不純異性交遊をしている生徒が見つかれば良し。見つからなくても俺と咲蓮と言う基準は作られるので風紀が乱れる事は無くむしろ正常化される。
『それに、キミたちにとっても悪い話じゃないんじゃないかな?』
そう言った十七夜月先輩の笑みが、忘れられないぐらい怖かった。
俺と咲蓮の秘密の関係はバレていないと思うが、まるで全てを見透かされているようだった。
「総一郎。昨日から、疲れてる」
「ん? ああ……まあ、そりゃな……」
俺と咲蓮の一部始終が町の人に目撃されて、それが不純異性交遊だと疑われた。
しかもその犯人を見つける為に俺達も所属している風紀委員が総出で見回りをするようになり、その上で風紀委員長である十七夜月先輩に風紀を乱さない為に偽装カップルとして生徒の模範になってくれとお願いされる。
うん。
精神的に疲れない方がおかしい。
「任せて」
「ああ、任せ……ん?」
俺は一度、大きな溜息を吐く。
すると咲蓮は隣の席から立ち上がった。
そのまま、椅子に座る俺に背後から腕を回して――。
「ぎゅー」
「さ、咲蓮っ!?」
――後ろから、抱きしめてきたんだ。
肩と首にかかる咲蓮の重みと柔らかさ。
近づけばいつもふわりと香る甘い匂いが、今日も俺の鼻孔をくすぐった。
「元気。出た?」
「い、いや急にどうしたんだ!?」
「お母さんが、こうしたら元気が出るおまじないだよって教えてくれた」
「お母さん!?」
咲蓮のお母さんはいったい何を教えているのだろうか。
元気になるけど、むしろ元気にならない理由が見つからないけど……。
異性に後ろからよりかかるように首に手を回して抱きしめるなんて、本当に何を教えているんだお母さん!!
いつもは俺から咲蓮を抱きしめる。
それも正面から。
でも今日は咲蓮が、後ろから俺を抱きしめていた。
それだけなのに、この胸の高鳴りはなんだろうか?
座っているせいで身長差が逆転したからか?
そもそも向きや抱きしめる側も逆転しているからか?
それと不純異性交遊の犯人を捜している時にこうして抱きしめられているから背徳感があるからなのか?
答えは分からないが、凄くドキドキしてたのは間違いなかった。
「総一郎。元気になって」
「げ、元気だぞ!?」
「でも。今日は元気の無い匂いしてる」
「元気の無い匂いってなんだ!?」
咲蓮独特のワードセンスが光る。
確かに昨晩はこれからどうしようかと、のぼせるぐらい長風呂をして対策を考えていたりしたけれど、その違いを理解できるとしたら相当凄いぞ?
……いや、咲蓮は最初から凄いんだけどな。
「げーんーきー。げーんーきー」
「な、なった! なったから!」
耳元で囁くように。
咲蓮が元気元気とリズムカルに歌ってくる。
最近いつも絡んでくるバスケ部男子が他のクラスメイトとASMRの良さについて語っている理由が少し分かったような気がした。
「うん。じゃあ、わしゃわしゃー」
「こ、今度はなんだ!?」
俺の必死な言葉に納得した咲蓮が離れていく。
かと思えば今度は俺の髪を後ろからわしゃわしゃと両手で撫で始めた。
それはまるで、シャンプーをされる犬のような気分だった。
「私の元気が無い時。お父さんもお母さんもよくしてくれる。くすぐったいけど、シャキッとする」
ふんすと、大きな鼻息が聞こえた。
どうやら咲蓮は頭をわしゃわしゃされるのが好きらしい。
確かに咲蓮のきめ細やかな良い匂いのする灰色のウルフカットをわしゃわしゃするのはとても心地よさそうだ。
……今は、俺がわしゃわしゃされてる側だけど。
「シャキってしてる総一郎が、一番カッコいい」
咲蓮は満足そうに、俺の頭から手を離した。
一方俺はこの数十秒間で沢山の事が押し寄せて何が何だか分からなくなっていた。
好きな人に後ろから抱きしめられて囁かれながら応援されて、かと思えば髪の毛をわしゃわしゃされて……。
こんな幸せな事が、あって良いのか?
「じゃあ。次は私」
「……え?」
「今日のだっこ、まだだもん」
ワクワクと。
ご褒美を待つ子犬のように期待の視線を俺に向ける。
その純真無垢な瞳に、俺は何だか自分だけ悩んでいるのが馬鹿らしくなった。
それと同時に自分が咲蓮にかなり元気を貰っているのだと、改めて理解する。
難しい事は、明日になってから考えればいい。
「……咲蓮」
「うん」
「本当に、ありがとうな」
「ふふん。どういたしまして」
だって俺にとって最も大事な事は。
いつも一人で頑張っている咲蓮に、元気になってもらう事だから。
気持ちを新たに、俺はだっこを待つ咲蓮を正面から優しく抱きしめた。




