第98話 「狼姫と、可愛らしい狼様」
「――と、決め顔を作った後に次のシーンへ移れば良かったのですが。現実は映画のようには行きませんね」
「え、えぇ……?」
斑鳩宮さんが寂しげな表情で振り向いたその僅か数秒後。
ふっと表情を戻した彼女は、何事も無かったかのようにまたパラソルの下に入り、俺の隣に座った。
『最も大切な、誰にも言えない本当の秘密は――』
『――この胸の内に、隠してありますから』
そんな意味深な言葉を、言った直後にだ。
感情が、感情が追い付かない……!
「お嬢様には、内密にお願いいたしますね」
「そ、それはもちろん……」
「去り際を作った筈なのに、お嬢様達をお待ちしていた事を失念していたなんて事実……私にとって一生の不覚ですので……!」
「そっちですか!?」
こぶしを握り締めて、これでもかと眉間にしわを寄せている。
さっきまでの寂し気な顔が夢のように思える程、お手本のようなぐぬぬ顔だった。
いや、想像以上に表情豊かだなこの人……!
「お嬢様の事を想っていたが故にお嬢様の事を忘れてしまう……こんな恥は高校入学当時の初々しい学生服お嬢様をオカズに耽り盛大に寝坊してしまった時以来です!」
「恥の上塗りじゃありません!?」
温度差がとんでもなかった。
さっきまでの人には言えない秘密とは違う意味で聞いちゃいけない秘密が、今度は斑鳩宮さん本人の口から暴露されようとしていた。
良い意味でも悪い意味でも、俺の周りの女性は性に奔放過ぎである。
「……失礼いたしました。私の夜の事情については興味ありませんよね」
「…………」
正解は沈黙。
何を答えても間違いな気がしたからだ。
良い意味でも悪い意味でも、俺の周りの女性は美人と美少女ばかりである。
それがもっぱらここ最近の、俺の贅沢な悩みになってしまっていた。
「お嬢様達を待っている間、しりとりでもしましょうか?」
「急に会話下手くそになってませんか!?」
「むっ。失敬な。こう見えて広辞苑並みに単語を覚えておりますので」
「しりとりの話じゃないですよ!?」
いや、沈黙なんて無理だった。
斑鳩宮さんは咲蓮とは違うタイプの天然なタイプだ。
きっと彼女はしっかりしているように見える面もふざけたり抜けているように見える面も、その全てが素の性格なのだろう。
だからこそ、先ほどの寂し気な顔も本当なんだと思った。
だけどそれを蒸し返す訳にもいかないので、俺も調子を戻して斑鳩宮さんのツッコミに徹する事にする。
「では、砂浜な事を活かして棒倒しでもいたしましょうか?」
「普通に待ちましょうよ……っていうか斑鳩宮さん、結構わんぱくなんですね……」
「幼い頃は、駄菓子屋の頂点でしたので」
駄菓子屋の頂点って何だろうか?
確かに中性的な見た目から、もしかしたら子供の時の斑鳩宮さんを見た人は、俺と同じように彼女を男の子と勘違いしたかもしれない。
出会った当時はそう思わなかったが、この短時間話をしただけで半袖半ズボンで外を駆け回る小さな斑鳩宮さんのイメージが付くようになってしまった。
「時に、柳様」
「何ですか?」
「その可愛らしい狼様を、よく見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「……はい? はいぃっ!?」
隣に座る斑鳩宮さんの視線が俺の顔から下方へ落ちていく。
一瞬何を言われたのか分からず反応が遅れてしまったが、その視線が俺の下半身に注がれていると気づいた時には時すでに遅かった。
「失礼いたします」
「い、いいっ……斑鳩宮さんん!?」
「ふむ。デフォルメされながらも気高く月に吠える、可愛らしくも雄々しい狼様でございますね」
「か、海パン! 俺の海パンから手を離しませんかっ!?」
この砂浜で一番ドキドキした。
今の俺は、咲蓮に選んでもらったハーフパンツタイプの海パン姿だったからだ。
水着ながらに半ズボンのようにゆったりとした海パンのすそ部分を、斑鳩宮さんがつまんで伸ばす。それにより俺が履く海パンが引っ張られ、プリントされた狼のイラストをガン見されていたんだ。
下着に近しい水着を異性に引っ張られるという経験はとんでもない衝撃だった。
俺に身を委ねて衣服を脱がせようとしていた咲蓮の凄さが、嫌という程身に染みた瞬間である。
「素晴らしい狼様です。狼、広い定義でのイヌ科。イヌは良いです。古来より人の隣に仕え、狩猟や生活の手助けを担う誇り高き種族に、私は尊敬を覚えます」
「分かりました! 分かりましたから! とりあえず俺の海パンから手を離してくださいっ!!」
「……失礼いたしました。あまりにも誇り高く、可愛らしい狼様でしたもので」
俺の必死な叫びがようやく届いた。
斑鳩宮さんは申し訳なさそうに、俺の海パンのすそをつまんでいた手を離す。
こんなに至近距離から女性に下半身を……いや水着をガン見されたのは初めてで、俺の心臓は爆発寸前で――。
「うん。狼も、総一郎も、可愛い」
「っっっっっぁ!?」
――むにゅっと。
俺の背中に大きく柔らかな感触と、首の前に回される細い両手。
そして耳元に囁いてくるように、咲蓮の小さな頷き声が響き渡った。




