第97話 「狼姫と、大切な秘密」
ざざん、ざざんと白い砂浜に波が上がる。
遠くで鳴いている海鳥の声がやけに響く一瞬の静寂の中で、俺は聞き間違えたのかと思って隣を向いた。
「えっと、あの……」
「私は、常にお嬢様を邪な目で見守っております」
「一言で矛盾していませんか!?」
俺の隣に座る女執事、斑鳩宮さんが微笑む。
長い銀色の前髪は顔の半分を隠しているが、今、俺達が入っている巨大なパラソルを照らしている快晴の空のように曇り一つない笑顔だった。
「そうですね常には言い過ぎました。私も人間ですので、就寝中は妄想のお嬢様と」
「そっちじゃありませんが!?」
「……はて?」
下唇に人差し指を当てて、斑鳩宮さんは小さく首を傾げる。
中性的な美人がするその仕草は普段のカッコよさから可愛らしいというギャップを生み出すが、俺の心はそんなドキドキよりも何かヤバい事を言い出すんじゃないかというドキドキの方が強かった。
しかも質が悪いのは、その瞳に嘘やからかいの色が見えないという事。
船の中で俺をからかっていた時とは違う、完全の素の状態の斑鳩宮さんを見た。
この感覚を俺は知っている。
このドキドキは渦中の十七夜月先輩に俺が振り回されている時の感覚だ。
「お嬢様は朝と夜に非常に弱く、夕食後から入浴睡眠、起床から歯磨きに洗顔、朝食の補助にお着替えまで全て私がお世話をさせていただいているという晴れ晴れと煌びやかなお話をご所望でしょうか?」
「現実の話でも無くて! っていうか言って大丈夫なんですかそれ!?」」
「お嬢様の可愛らしさは全人類、いえ、全生命が認知するべきだと思ってますので」
スケールがとんでもなくデカい。
どうやら十七夜月先輩は、好意的解釈をすると子供のように早寝早起きのようだ。
その後のアレコレは聞かなかった事にする。
確かに可愛らしくはあるが、聞いちゃいけない一面な気がしたからだ。
「宇宙に輝く星々のような、漆黒に輝く長い黒髪の内に隠れたお耳が……お嬢様の性感帯でございます」
「…………」
全生命と言ったからって、地球を飛び出さないでほしい。
そして願わくば親しくお世話になっている完璧な先輩の先輩の性感帯を本人の知らない所で俺に教えないでほしい。
この後、俺は十七夜月先輩をどういう目で見れば良いのか。
ていうかどうしてそれを斑鳩宮さんが知っているのだろうか。
とても気になるが、同時に知ってはいけない事のような気がしてならない。
「……そ、それを、どうして、俺に?」
だから、話を横に逸らす事にした。
最近はこんなのばかりで、話をズラすスキルだけが磨かれている気がする。
ズラせているかは別問題だが。
「私と柳様は、同類だからです」
「……同類?」
「えぇ。仕事柄、他者を見る目は養われておりますので」
「仕事柄……」
それはきっと斑鳩宮さんが十七夜月先輩の専属の女執事だからだろうか。
今日のこのフェリーや無人島に専属女執事と、十七夜月先輩の家がとんでもなく大きな家だと言葉ではなくこの目でこれでもかと思い知らされている。
言葉通りのお嬢様、ご令嬢だからこそ。
その隣でお世話をしている斑鳩宮さんが、十七夜月先輩に近づく人を見る目は必然的に養われているのだろう。
「はい。私がお嬢様を見るように、柳様が咲蓮様を見る目が同じでしたから」
「んなっ!?」
「愛する方への、慈愛の瞳でございます」
「それ、は……」
心臓が跳ねた。
何かを言い返そうにも頭の中ではそれを否定しきれない。
先ほどのコテージで咲蓮のズボンを脱がせていた現行犯はともかくとして、それを語る斑鳩宮さんの言葉には茶化す事の出来ない想いが込められているように感じたからだ……。
「お互いに苦労しますね」
「……え?」
「その瞳には、言葉に出せない気持ちが溢れ出ております」
「…………」
ジッと。
半分隠れた美貌が、隣から俺を見上げる。
十七夜月先輩が全てを見透かすような漆黒の瞳だとしたら、斑鳩宮さんは全てを照らして映し出す星のような瞳だった。
その瞳に見つめられて俺は息を呑む。
それと同時に、お互いに苦労しますねという言葉が胸の奥で引っかかっていた。
その言葉だけは執事として礼節ある言葉遣いではなく。
斑鳩宮さん本人の心からの言葉のように聞こえたからだ。
「……それを、俺に言って良かったんですか?」
だからこそ、俺はこう返す事しか出来なかった。
さっきと同じようで、違う問い。
同じように見えたからと言って今日あったばかりのほとんど初対面な俺に、そんないつから抱いていたか分からない秘密を打ち明けて良かったのだろうか。
「はい。それも、柳様と同じでございます」
そう言って静かに、斑鳩宮さんは立ち上がる。
執事服のでん部についた白い砂を後ろ手に払う動作すらも様になっていた。
「最も大切な、誰にも言えない本当の秘密は――」
斑鳩宮さんが大きく一歩、砂浜を進む。
大きなパラソルの影から身を乗り出し、振り向いて。
「――この胸の内に、隠してありますから」
そう笑う、斑鳩宮さんの中性的なその美貌は。
夏の青さとは正反対なぐらいに白くて、寂しそうに見えたんだ。




