第96話 「狼姫と、爆弾発言」
綺麗な海が広がっていた。
青い空、白い砂浜、遠くまで続く広大な海が。
夏の爽やかな潮風を全身で感じながら目を閉じる。
せせらぐ波の音と潮の香りに身をゆだねる心地いい時間だ。
いつもはただ暑いとだけ感じていた太陽の日差しも今に限ってはとても素晴らしいもののように感じる。
そんな柔らかな温かさを注いでくれる眩しい日の光に……。
俺はそっと、手で影を作りながら目を開いた。
「空が、青いなぁ……」
「現実逃避は遅効性の毒でございますよ」
「うおわぁっ!?」
すると突然目の前に巨大な影が差す。
視界に広がっていた青い空を覆うように広げられた巨大なパラソル。
その内側で、中性的な銀髪片目の美貌が至近距離から俺を見下ろしていたんだ。
「い、斑鳩宮さんっ!?」
「加えて、過度な日差しもまた肌に毒でございます」
「え、あ……ありがとう、ございます……」
十七夜月先輩の専属女執事である斑鳩宮さんは涼しい顔をしながら巨大なパラソルを俺の隣の砂浜に突き刺す。
執事らしく、暑そうな燕尾服を着こなしながらだ。
青い空、広い海、白い砂浜。
隣には中性的で綺麗でカッコいい女執事。
一見するとミスマッチな組み合わせだが、海で遊ぶ事自体も初めてな俺にとってはどちらも幻想的でとても絵になっていた。
「お嬢様達はまだお着替えの途中ですので、もうしばしお待ちください」
「あ、はい……!」
そんな幻想的な存在の一言が、一気に俺を現実に引き戻す。
それは『お着替え』という言葉があったからだ。
そのたった四文字の単語で俺はつい先ほどの事を思い出してしまう。
コテージの一室で起きた、あの勘違いの悲劇を……。
「お部屋は特殊施工により木製でも防音が完備でございますが、オートロック機能はらしさを損なうという理由からついておりません。申し訳ございませんが情事に及ぶ際はお手数ですが自らの手で施錠を」
「ち、違いますからねっ!?」
「ええ、存じております」
「…………」
心臓に、心臓に悪い!
斑鳩宮さんなりのジョークなのか、俺を気遣ってくれる淡々とした言葉が胸の奥をかき乱していく。
それもこれもつい先ほど、俺がベッドの上で咲蓮の服を脱がしている状況を朝日ヶ丘先輩にバッチリ見られてしまったからだ。
俺からしてみれば咲蓮の水着を見る為に、咲蓮のお願いを聞いただけ。
しかし傍から見てみればそれは男女の営みに至るアレコレにしか見えず、それも妙な思考と恋愛脳と欲望が直結している朝日ヶ丘先輩に見られたのだからパニックもパニック……大パニックだった。
「ご安心を。お嬢様より、お二人のお話はある程度伺っておりますので」
「はぁ……」
ある程度、とはどれぐらいだろうか。
どの程度であれ、俺がコテージについて早々に咲蓮の服を脱がしていたという事実は変わらないのだが……。
「お隣。失礼いたします」
「え? あの、はい……?」
「郷に入っては郷に従え、でございます」
巨大なパラソルの下。
日陰になった俺の隣の砂浜に、斑鳩宮さんが執事服のまま、膝を三角に曲げて体育座りで腰かける。
何故隣に――。
服が汚れ――。
色々と言いたい事はあったが、そんな事一切気にしていなさそうなその綺麗な横顔に俺の言葉は消えていく。
「私は、お嬢様の事を性的にお慕い申しております」
「…………はいぃっ!?」
それどころか何の脈絡も無くノータイムで出てきたその爆弾発言によって、やらかした俺の気持ちさえも、どこかに消し飛ばされていってしまった。




