報われない
暗いです。
「ありがとう……ごめんね」
俺の言葉にそう返した君は、微笑んだ。
『前と後ろ、どっちがより言いたい言葉だと思う?』国語教師の質問が聞こえてくる。あれはいつの授業だったか。
俺はこう答えた。
『後ろです。』
ああ、俺はどうしてこんな時に、下らない授業の内容なんて思い出してるんだろう。
「彼女出来たんだって?」
「…誰から聞いた」
小学校から付き合っている友達――周りは俺らを親友と呼びたがる――が、何の気無しに呟いた誰何に、思わず低く訊いた。
「んだよ、何キレてんの。喧嘩中?」
刺々しい俺の言葉にも苛立たず、やんわりと俺の苛立ちの原因を訊く。良い奴だと思う、が、俺は聞いていなかった。
「……あいつ、か。」
あれしかいない。当たり前だ、他には話していないし――
――彼女が自分から話す筈がない。
彼は、ふぅ、と息を吐いてから、ぱらっと笑って言った。
「自分の兄をあいつ呼ばわり?」
「あんなの兄じゃないし、あの人とは付き合ってない」
「付き合ってない?佑磨さん、お前に彼女が出来たって」
「あれの名前出すなよ、血の繋がりあるだけで不愉快だ」
「……お前、前から嫌ってたけど……今は憎んでるって感じだな。佑磨さんのこと」
眉間に力が入る。
その通りだった。
「……嫌いだ、いなくなってほしいくらいに。変に干渉するくらいならいなくなってほしいんだよ、本当に」
死んでほしいと言わなかったのは、奴が死んでも何も変わらないから。それだけだ。
奴が死んで何か好転するなら、そうなってほしい。
「………大丈夫か?」
眉間に皺を寄せた彼は、何故か俺にそう尋ねた。
半年前、あいつは彼女を家に連れてきた。わざわざご丁寧に、俺だけがいる時間に。
『付き合ってんの』
そう言った奴の顔が、未だに忘れられない。心底嬉しそうな……何かを潰したような、壊したような眼をしていた。
その眼だけでよくわかった。あいつは彼女のことなんか好きじゃないし、あいつは俺を壊したくて付き合ってるだけなんだと。
「秋磨、おかえり」
ひどく優しい声。だが、帰宅して最初に聞いた声がそれであったことが不快で堪らない。耳を洗うか、いっそ切り落としたい。
「しゅーまぁ」
耳につく。気持ち悪い。
その声が優しくて、甘えるようで、真っすぐに好意をぶつけられているのが分かる。から、嫌なんだ。
そんな声で篭絡したんだろ、彼女を。
リビングを抜けて階段を上がろうとしたら、手首を掴まれた。
「離せ…」
「秋磨、ただいまくらい言えよー」
「良いから離せ!」
ああ、まただ。
この人を前にすると、感情の抑えが効かない。つい叫んでしまう。あいつを喜ばすだけと分かっていて。
「何怒ってんの?あ、カノジョのこと?」
「カノジョなんかじゃない、付き合ってない」
怒ってんじゃなくてあんたが嫌いなだけなんだ。あんたに消えてほしいだけなんだ。
「えぇ、でもデートしてるし。お前に付き合ってくれって言われてオッケーしたんでしょ、百合は」
「お前が、名前で呼ぶな」
さも自分の彼女のように。
さんざ傷付けて、傷付けて、遊んで、棄てたくせに。
「あ、ごめんごめん。お前の彼女だもんな、今は」
「彼女じゃねぇっつってんだろ!」
叫んで、振りほどいて逃げようとした。
が、読まれていたのか、急に力が強くなって、ただ暴れただけになった。
「いって……」
「秋磨が暴れるからだろー?なんだよ、逃げたくなった?」
その通りだったけれど、その言葉をこの人に使われるのが無性に恥ずかしくて嫌だった。
「ちがっ……」
言いかけたのを遮って、手首をぐいと引き寄せられる。耳元に顔を寄せて、囁いた。
『付き合ってないって言うのはさ、あの女がまだ俺のこと好きだから?』
「ッ……!」
泣きそうだった。
全部、全部全部分かってて、この人はこんなことを言う。全部、仕組んだのは自分のくせに。そして、こんな風に微笑む。
「ごめんね、秋磨はずっと前からあの子のこと好きだったのに」
「―――!」
無理だった。
もう無理だった。
いつの間にか解放された手首を押さえて、階段を駆け上がった。
部屋のドアを閉めて、しゃがみ込むと、声を殺して泣きじゃくった。
あいつはいつも俺が無理だと思った瞬間に解放することに、気付かないでいたかったと思いながら。
少しして涙が止まってから、ようやくのろのろと制服を脱ぎ始めた。ハンガーに掛けた時、ポケットの精密機器に気付く。
インフォメーションランプが赤く点滅しているのを見て、メールメッセージが来ていたことに気付いた。学校にいる時にサイレントに設定して、そのままだったから気付かなかった。
折り畳まれたそれを開いて、弄る。
メッセージの送り主は、
『百合さん』
「あ……」
思わず急いでメッセージを開く。
『一昨日は楽しかったです。うちに手帳の忘れ物があったのに今朝気付いたんですが、いつ渡せますか?』
なんてことない内容。必要だから、といった具合の。
それでも嬉しい。
そして、悲しい。
「好きだ」
呟いてみても、遠くの君には届かない。
――そう考えた自分に呆れ、苦笑する。
近くにいたって、キスしたって、届かない。距離よりも、もっと遠いものがある。
「好きだ、好きだ、好きだっ……」
あなたの傍にいたいのは俺の心なのに。俺の望みで、欲望で、願いなのに。
あいつに優しく目隠しされて、俺は俺の心がよく見えない。よく分からない。そんな中で、彼女を好きだと思う気持ちだけはちゃんと見えた。だから、大切な想いだった。
絶対に壊されたくなくて、あいつには隠していた。
だから、あいつが彼女を連れてきた時、本当に壊れそうだった。
なんでばれた。
なんで。
誰にも、
友達の一人にも
もちろん家族の誰にも
一言も言ってない。
彼女のことを
話したこともない、
のに。
なんで。
そんな俺の目の前で、あいつは彼女を痛め付けて棄てた。俺の目の前に。
欲しけりゃ拾えば?
そう嘲笑うかのように。
悔しくて、恥ずかしくて、辛くて、それでもぼろぼろの彼女を放っておけなくて――本当はそれだけじゃない。欲しかったのも、本当。
もしかしたら、欲しかったのが本当、かもしれない。
それでも。
「………好きなのに」
好きなのは本当で。
触れたいと思うのも。
隣にいたいと思うのも。
全部全部本当、なのに。
『ありがとう……ごめんね』
ねぇ、俺が優しい人に見えた?
兄に遊ばれた人を見捨てておけなくて、同情で好きだなんて言うと思うなんて。
あんた、馬鹿じゃないの。
好きだから好きだと言った。
隣に居たいから居る。
なのに、あんたは全部それを同情だと思ってるんだ?
可哀相な人。
可哀相な俺。
ありがとうと言われる度に、ごめんねと微笑まれる度に。
それだけ傷付けられてもまだあいつが好きなあなたが悲しい。
そうなったのは俺が好きになったせいだと思わされて苦しい。
俺のことは恋愛対象でないと言われているようで痛い。
可哀相な人たち。
誰一人報われない。
好きになったって、大切にしたくたって、救いたいと願ったって――悲しいことは悲しいままだし、あなたはそんな風に微笑んだままだ。
誰も報われない、かなしいせかい。
枕に突っ伏しても、もう涙は出なかった。
言いたいから言うんだ。
居たいから居るんだ。
それを否定してしまう君から受けた傷がじくじくと痛んで、傷んで、悼んで。
悲しいままに悲しいままに。
君は微笑んだままで。
(お題配布「揺らぎ」様/http://hp.xxxxxxx.jp/flickerss/test01/)
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