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第五話 夜が明けて

 早朝、まだ朝日が地平線をゆっくりと押し上げ始めたころ――。


 極東エリアを統括する神聖監理庁の最奥、騎士団長室では緊迫した報告が交わされていた。


 そこに座するのは、まだ年若い黎明騎士団アウローラ・ヴァンガードの騎士団長。


 そして、その目前に起立した三人の騎士――黒衣に身を包んだ智天使騎士団ケルビム・オルドの精鋭たち。


 しかし、今――その精鋭の騎士たちすら、深刻な面持ちで報告を行っている。

 報告の内容は、この街を揺るがす重大な危機についてだった。


 この街は、神聖監理庁が統括する極東エリアの要である政庁が設置された場所である。


 いわば城下町。


 各エリアの要人や巡礼者が訪れ、教会と政庁が一体となり運営されるこの都市は、極東エリアの秩序と安定を司る中心地でもあった。


 それほどまでに重要な場所であるにもかかわらず――、


 短期間のうちに複数の教会施設が何者かによって破壊されるという異常事態が発生していた。


 しかも、その被害は単なる破壊に留まらない。


 そこで起きたのは――虐殺。


 最初に襲撃されたのは、教会が運営する孤児院。


 この施設は、神の名のもとに孤児たちを保護し、修道女や神父が生活を共にしながら支援を行っている場所だった。


 しかし、そこにいるのは戦闘能力を持たぬ者たちばかり。

 非力な神父や修道女、そして何の力もない幼い孤児たち。


 当然のことながら、警備も薄い。


 それゆえに、監理庁としても単独の襲撃であればここまで気にすることもなかった。


 だが――問題は、もう一つの襲撃だった。


 二つ目の標的は、"街の象徴"とも言える存在。

 騎士団の屯所が設置された大聖堂のある教会。


 この聖堂は、まだこの地が教会と結びつきが薄かった時代から存在する歴史的な建造物の一つであった。


 それは、大星災後の荒廃したこの島国に残る、数少ない旧時代の遺産。


 長い年月を経てもなお、荘厳な姿を保ち続けていたはずのその場所が――たった一夜で半壊することとなった。


 しかも、それだけではない。


 その惨状の中で、主任司祭アルバス・プロディ・ティオと、上級修道女クレアレを含む四十名もの犠牲者が発生したのだ。


 彼らは全員、無惨にも虐殺されていた。


 犠牲となったのは、神父、修道女、そして当時屯所に駐在していた騎士たち。

 騎士団員十名を含む、計四十名の命が奪われた。


 その無残な死の跡は、単なる暴力では説明がつかないほどのものだった。


 事件の捜査にあたっていたのは、本部騎士団の一角を担う智天使騎士団。


 彼らは、孤児院での調査を進める中で、吸血鬼ノスフェラトゥの痕跡を発見し、大聖堂へと向かった。


 そして、そこで――吸血鬼と遭遇、交戦に至る。

 しかし――彼らはまんまと敵を逃したのだった。


 「――以上が、我々の報告です」


 智天使騎士団の騎士が、淡々と報告を終える。


 吸血鬼ノスフェラトゥ――。


 それは、千年もの間、教会と対立し続けてきた宿敵。


 彼らは人ならざる存在。


 血を操り、死すら超越する怪物。


 そのような存在が、今まさに極東エリアで活動を始めたのだ。

 この事件は、単なる一つの襲撃では済まされない。


 これは、教会に対する明確な宣戦布告であった。


 「それで、卿らの要請は何だったかな?」


 静かに発せられた言葉が、重々しい空気の中で響いた。

 彼らの目的は明確だった。


 教会内部に潜伏した吸血鬼の捜索、および拘束の要請。


 そのために、極東エリアの守護を担う黎明騎士団の協力を取り付ける必要があった。だからこそ、彼らはこの場に足を運んでいたのだ。


 しかし――


 「申し訳ないが、それは承諾しかねるね」


 淡々とした拒絶の言葉が、その場の空気を一変させた。


 「……何?」


 小柄な女騎士が言葉を詰まらせた瞬間、彼女の背後で控えていた最も大柄で年配の騎士が一歩前へと進み出る。


 「この極東エリアは、我々黎明騎士団の管轄だ」


 騎士団長はゆっくりと腰をかけたまま、まるでこのやり取りすらも想定済みといった様子で、静かに言葉を続ける。


 「いくら本部……それも教会の暗部を担う智天使騎士団の要請とはいえ、簡単に承諾することはできないのだよ」


 その言葉に、智天使騎士団の騎士たちの顔色が変わる。


 「貴様……ただの騎士団の長の分際で、我ら教皇猊下直属の騎士団の要請を却下するだと?」


 年配の騎士が、あからさまな怒りを滲ませながら睨みつける。


 「ただの騎士団の長……か」


 騎士団長は、薄く微笑む。


 「あいにくと、その教皇猊下からの命令書とやらが見当たらなくてね。事前の通告もなく、勝手に我が騎士団内部で調査を始めた者たちの要請に、そう簡単に頷くわけにはいかないのだよ」


 その瞬間、智天使騎士団の騎士たちの目が鋭く光る。


 彼ら――智天使騎士団は、教会内部に潜伏する可能性がある"吸血鬼"を探し出すために行動していた。


 それゆえに、監理庁に対しても事前通達を行わず、密かに調査を進めていたのだ。


 理由はその危険性だった。


 吸血鬼は、"覚醒者"から"再覚者"へと進化する段階を持つ。

 この再覚者の段階に達すると、吸血鬼は自身の血を他者に与えることで、新たな同族を生み出すことができる。


 もちろん、適応できない者は死に至るが、適応すれば吸血鬼の数は倍増する。

 それは、教会にとって最悪の脅威の一つだった。


 今回の事態は、突発的なものではない。

 一年前からその痕跡は確認されていたのだ。


 しかし、これまでの事例では、()()()()()()()()()()があった。

 つまり――何者かが吸血鬼の発生を把握し、影で処理していた形跡があったのだ。


 今回のケースにおいても、調査の結果、教会内部の関係者が容疑者として浮上していた。


 だからこそ、智天使騎士団は独自に動き、教会の不浄を暴くための戦いを水面下で続けていた。


 当然、この報告は事後報告で済ませるつもりだった。


 彼らにとって、ただのエリア管理を行う新設の騎士団ごときに、1000年以上教皇猊下の直下で任務を遂行してきた智天使騎士団が、事前の承認を求める理由などない。


 だが――今回ばかりは、事情が違った。


 彼らが追っていたのは、教会内部に潜伏する覚醒者の吸血鬼だった。


 当初の計画では――教会の人間を餌にして潜伏する吸血鬼の騎士を討ち取り、それで一件落着のはずだった。


 だが――彼らの前に現れたのは、想定外の存在だった。


 その吸血鬼とは――修道女アーシャリア。

 調査の結果白として容疑者から除外していた人物だった。


 彼女の戦闘技術、血の操作、智天使騎士団の精鋭を手玉に取る実力。


 その特徴から、彼女が回帰者ノクシスである可能性が浮上した。


 回帰者ノクシス――。


 それは、前世の記憶と人格を保持する数少ない吸血鬼。

 この存在は、教会にとって極めて危険な脅威となる。


 なぜなら――彼らは、かつて教会と戦い、渡り合った猛者たちだったからだ。


 その最たる例が、直系。


 千年前、吸血鬼の真祖から誕生した直系の血族。

 単騎で数千の騎士と渡り合う戦闘力を持つ存在。


 彼女が直系ならば、極東エリアそのものが壊滅しかねない。


 その危機が迫る中――、


 目の前の若き騎士団長は、なぜ協力を拒むのか。


 「……貴様、何を考えている?」


 智天使騎士団の三人は、抑えきれない苛立ちと焦燥を感じていた。

 

「この件は我々黎明騎士団が処理しよう」

 静まり返った騎士団長室に、その言葉が響いた。


 「貴君らは聖都に帰還すればよろしい」


 騎士団長は不敵に笑みを浮かべ、優雅に椅子へと身を預けた。


 その態度に、智天使騎士団の三人の表情が険しくなる。


 ――この男の目的を理解したからだ。


 「……功績欲しさに、自らの騎士団だけで対処すると?」


 最年長の騎士が、静かに問いかける。


 「それはあまりにも無謀だ」


 しかし、騎士団長は肩をすくめるように笑い、平然と答えた。


 「だからこそだよ」


 淡々とした声の裏には、揺るぎない野心が滲んでいた。


 「貴君らは、たった三人で挑んだから負けたのだ」


 その言葉に、智天使騎士団の騎士たちの拳が僅かに握り締められる。


 「だが、わが騎士団の精鋭ならば――より多くの人員を投入し、その直系を討ち取ってみせよう。そして、その功績をもって我々は本部騎士団としての地位を確立する」

 「貴君らに頭ごなしで命じられるのは、もう十分だ」

 

 智天使騎士団――教皇猊下直属の暗殺騎士団。

 彼らは、1000年以上もの間、教会の暗部を担い続けてきた歴史ある騎士団である。


 一方で、黎明騎士団は大星災後の新たな秩序維持のために設立された比較的新しい騎士団。


 両者の間には、埋めがたいほどの"歴史の差"があった。


 だが、現状において、"1000年の歴史"が実際にどれほどの価値を持つのか。

 騎士団長にとって、智天使騎士団の存在はただの"古臭い遺産"に過ぎなかった。


 ――歴史がどうした? それがこの時代に何の意味を持つ?

 ――かび臭い栄光だけで上に立ち続けるなど、あまりに理不尽ではないか?


 今の教会は、かつての全盛期とは違う。

 大星災を乗り越え、新たに世界最大の勢力となった。


 ならば、その新たな秩序の中で最も功績を挙げた者こそが、本部騎士団の地位を得るべきではないか。


 その考えこそが、黎明騎士団長の確固たる信念であった。


 直系の吸血鬼を討伐する――その実績さえ得られれば、歴史に縛られた旧時代の騎士団を押しのけ、新たな時代の頂点に立てる。


 それだけが、彼の頭を埋め尽くしていた。


「さあ、ご退室願おうか?」


 騎士団長は薄く笑みを浮かべながら、ゆっくりと席を立った。

 それに合わせるように、背後に控えていた黎明騎士団の騎士たちが、一斉に武器を手に取る。


 その意図は明白だった。


 "これ以上の交渉は不要"。

 "これ以上の干渉も許さない"。


 その圧力を智天使騎士団に突きつけていた。


 正直、ここにいる者たちを全て排除することは可能だ。

 だが、それは黎明騎士団……いや、極東エリア全体を敵に回す行為となる。

 智天使騎士団の目的は、秩序の維持であり、教会そのものの安定である。


 彼らが今ここで反乱者のレッテルを貼られるわけにはいかない。


 だからこそ――彼らは沈黙し、踵を返した。


 「……ふん」


 満足そうにそれを眺める騎士団長は、そのまま部下たちに指示を出し始めた。


 修道女アーシャリア討伐部隊の編成。


 彼の野心は止まることなく、着々と現実へと向かい始めていた。




 ♰




 そこは、光が届かぬ深淵――漆黒の空洞。


 かつては地下を縦横無尽に走る鉄道の駅だった。

 だが、大星災によって地下への通路は瓦礫に埋もれ、天井の崩落の危険もあるため、教会はこの場所を放棄した。


 しかし、地下水路の一部がこの場所へと繋がっていた。


 その水路の傍の暗闇に、一人の少女が静かに横たわっていた。


 白銀の髪は闇に溶け込むように広がり、月光すら届かぬこの空間で淡く輝きを放つ。

 その髪は絹のようにしなやかで、長いまつ毛が閉じられた瞼の上に影を落としていた。


 彼女の肌は透き通るように白く、僅かに流れ込んでくる冷気に晒されて儚げな印象を与える。

 しかし、その美しさを引き立てるはずの衣服は、無惨にも血に染まり、破れ、ところどころ裂け目を作っていた。


 かつては純白だった薄手の寝着は、今や紅に染まり、布地に滲んだ血が乾いて肌に張り付いている。

 胸元には裂けた布の隙間から柔らかな肌が覗き、細く華奢な肩が冷気に震えている。

 喉元には、乾いた血の痕が一本の線を描いており、それが昨夜の惨劇を物語っていた。


 そして、その傍らには、かつて彼女の身を包んでいたケープが無残に散らばっていた。

 白と金で刺繍されたその美しい布は、今や破れ、裂け目から繊維がほつれ、血の染みが斑点のように広がっている。


 それでも――


 どれほど衣服が傷つこうとも、少女の美しさは損なわれることはなかった。


 仄暗い空間に浮かぶその姿は、まるで闇に堕ちた天使のようであり、同時に血に染まりながらも神聖な光を纏う聖女のようでもあった。


 静寂の中、彼女のかすかな吐息だけが、僅かに響いていた。


 アーシャリア――彼女は昨夜の戦いの末に、この場所へと辿り着いたのだった。


 「……んんっ……ん、ここは……?」


 微かな呻き声とともに、瞼がゆっくりと開かれる。

 アメジストの瞳が瞬きを繰り返しながら、ぼんやりと周囲を映し出す。


 奇妙なことに、ここは光が一切差さぬはずの暗闇。

 それなのに――昼間のように、くっきりと周囲が見える。


 アーシャリアは、ぼんやりとした意識のまま上半身を起こそうとする。

 しかし、その瞬間、自分の体に"何か"が乗っていることに気づいた。


 ――温かく、柔らかく、それでいて驚くほどの重みを持つ"何か"。


 彼女の視線が下へと向かう。

 そこにいたのは――漆黒の大きな狼だった。


 人を遥かに超える巨体を丸め、そのふわふわとした毛並みがアーシャリアの体を包み込んでいた。


 その姿を見た瞬間、昨夜の出来事が鮮明に脳裏に蘇る。


 騎士に首を絞められ、血を吸われ、命の灯火が消えかけた瞬間。


 ――そこで"何か"が目覚めた。


 夢のような感覚。

 まるで映画を眺めるように、自分ではない自分が騎士を圧倒する光景。


 それが、現実なのか幻なのか――アーシャリアには分からなかった。


 『夢だと思いたければ、それでもいいよ。でも、それじゃ前には進めない』


 不意に、頭の奥へと直接響く声。


 アーシャリアは、驚いて周囲を見回す。

 だが、そこにいるのは自分と、そして目の前の狼だけ。


 「……だ、誰ですか? どこにいるのですか?」

 『ここにいるとも』

 「……ッ!?」


 突然、目の前の空間に"それ"は現れた。


 ――夢の中で見た、あの女性。


 黒い外套を纏い、その下には軽装の鎧。

 流れるような白銀の髪。

 均整の取れた体つき。

 整った顔立ち。


 そして――


 アーシャリアと瓜二つの容姿。

 だが、決定的に違うものが一つだけあった。


 ――その瞳。


 アーシャリアの瞳が持つのは、透き通るようなアメジストの輝き。

 しかし、目の前の彼女の瞳は――


 "血のように赤い"。

 "宝石のルビーのように、妖しく輝いている"。


 その瞳に射抜かれた瞬間、アーシャリアの体が無意識に震えた。

 まるで――本能的な恐怖を刻み込まれるように。


 そして、"彼女"は微笑んだ。

 その微笑みは、どこか楽しげで、余裕に満ちたものだった。


 「さっきまで、そこには誰もいなかったはずですが……」

 『うん。いなかったよ。お前の瞳にしか映っていない』

 「……ッ!?」


 アーシャリアの背筋が凍る。


 そのまま、"彼女"は傍に横たわるように身を投げ出した。


 「あなたは一体……何者なんですか?」

 『……なんか、昨夜も同じことを聞かれた気がするね。聖職者っていうのは、そんなに"誰か"を知ることが重要なのかい?まるで選民主義みたいに、その人が何者かを知ることが"義務"のように』


 その言葉に、アーシャリアは少しむっとする。


 「私は、別にそんなつもりでは――」

 『ああ、分かってるさ。ちょっとからかっただけだよ』


 "彼女"は、楽しげに目を細めると、口元に微笑を浮かべた。


 『名乗るよ。余の名は――エクリティア。

 かつて神を信奉し、裏切られ、そして神に弓を引いた血の怪物』


 「エクリティア……?」


 その名に、アーシャリアの記憶が反応する。


 ――幼いころに読んだ物語。

 そこに登場する"教会最大の敵"。


 教皇猊下と、その騎士たちが戦いを繰り広げた"血の怪物"。


 それが"エクリティア"だった。


 その記憶と目の前の存在が重なり、思わず戸惑いの表情を浮かべるアーシャリア。


 だが――


 エクリティアは、まるでその思考を見透かしたように微笑んだ。


 『幻じゃないよ』

 「……え?」


 『それに、その絵本に出てくる化け物――あれと余は、同じ存在』


 「絵本の中の登場人物ということですか?」


 その言葉に、エクリティアは小さく笑う。


 『随分と"都合のいい真実"に書き換えられているけどね?』

 「……何を言って――」


 『まあ、それはまたの機会に話そうか』


 そのまま、エクリティアは楽しそうに片手をひらひらと振る。


 そして――その紅い瞳が、鋭くアーシャリアを見据えた。


 『今は、余の血族を助けるために――お前の力を借りるとしようか』


 アーシャリアは、その言葉の意味を完全には理解できなかった。

 しかし、"彼女"の瞳に宿る紅い輝きが、決して"冗談"ではないことだけは――本能で理解していた。


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