ガラスの金魚
いっぱしの丁稚のような顔で、彼は走っていた。切れ掛けの草履緒が細く撓み痛いほど食い込んで、涙のように滔々と溢れる汗が眼郭に滲みても、止まらずに駆けて兄を目指した。
彼の人は、今もあの飴茶の書置台の縁へまっ白い肘をついて、紗布も垂らさずに、まっすぐ陽の日を見降しているだろう。
あの蒼い、いっそ熱いほどに冴え冴えと冷えた眼を想う時、彼の心臓は過たずぎゅうとヴィオラの絃で搾られた柚子のように、粉々に砕かれる。
言いつけが律法の如くに従順な姿を、学友に笑われても、母親に忌まれても、気にしなかった。
彼にはほかに、もっと留意せねばならぬことが多く厚く、しかもその殆どが、非道く繊細な匙加減によって刻々と色を変えた。
真昼に中空を揺られる水が綺羅綺羅しく煌きを放って、金錦の綾模様が如何にも愛玩用と優美に翻っても、彼はそれには目を遣らない。
ただ、この命が絶えずにあの部屋へ、あの眼差しの許へ辿りつけばそれで善い。
走るほどに息が荒れ、進むほどに目が眩んだが、それで佳かった。
だって、だって、兄が云ったのだ。僕に云った。
小間使いのとまでも、家令でも、あの母でもなく。僕に仰った。この僕だけに。
それだけでもう好い。
だから、もしこの小さな囚魚を眺めて、兄さんが細い骨を歪めてちらとでも笑ったなら、
僕はこの手を離して全てをぶち撒けて、蹴っ散らしちまおう。
壊れやすいもののほうが稀貴だって、これは僕が兄さんに教わったんだから。