5 キャンプへの招待
翌朝起きたのは、午前九時になっていた。貰ったビールを景気よく飲みすぎたためだった。それでも迎え酒と称し、ビールを飲んでぶらぶらとその辺を歩き回り、午前十一時になってトーストとコーヒーという簡単な昼食を摂った。
そのあと酔いも覚めたのを確かめて、瀬戸合橋や日陰牧場を見て周りキャンプ場に車を走らせていた。山間の道で周囲には人家が見当たらない。そんなところに老女が裸足で路傍に立っていた。バス停でもない。とにかく声をかけてみようと車を止めて降りた。
「どうしたんですか?」と聞くが返事がない。うつろな目でこちらを見ているだけだった。「お住まいはどちらですか? 送っていきますよ」と手を差し出すと、びくっとして後ずさりした。困ったもんだな、このまま放っておくわけにいかないしと思案していると背後で車が停まった。
見ると「すずかけ老人ホーム」とあった。中から若い女性と昨日会った加賀美光代が出てきた。光代は健二と眼を合わせたが何も言わなかった。若い女性が老女に「もう大丈夫よ。一緒に帰りましょうね」と手を引くとおとなしく車に乗り込んだ。
光代は途方にくれた表情でただ突っ立っているだけだった。健二は奇異に思ったがなにも言わなかった。若い女性が光代に声をかけた。「加賀美さん、乗ってください」
「ええ」
「暫らくお母さんとご一緒に過ごされてもいいですね。あとで誰かお迎えに来られますか?」
「ええ、娘がいます」そこで健二が口を挟んだ。
「加賀美さん、娘さんはまだムリなのでは? なんでしたら、私がお送りしてもいいですよ」
「なんだか悪いわ」
「なんの、ここでまた会ったのが何かの縁ですよ。それじゃ、加賀美さんはお母さんに付いてあげて、私はあとからついていきます」健二はこの細いきっかけを繋ぎ留めようとしていて、ほっとした気分になっていた。
老人ホームに着いてから三十分ほど経って光代が出てきた。
「お待たせしました。お手数かけてすみません」といいながら助手席に乗り込んできた。暫らくして助手席の光代を横目で見ると、泣いているのが分かった。
「どうしたんですか? 余計なことかもしれませんが」
「ごめんなさい。つい涙が出てしまって。ご覧になったように、母は認知症で私のことが分からないんです。それが悲しくて」
「気遣いがなくて、悪かったです。謝ります」
「いえ、そんな。私の方こそ」
車は加賀美光代の実家の門を入ったところで停めた。光代の車が停めてあって、よく見ると、屋根にサイクル・ラックが装着してあった。家はかなり大きな屋敷で、健二から見れば寒そうだし掃除も大変だろうなという感想だった。
「どうぞお入りになって、コーヒーでも差し上げますわ」
「いえいえ、どうぞお構いなく」
「いいじゃありませんか。折角お越しになったんですもの。ねっ」光代の芯の強さが現れたようだった。
玄関横に応接室が現代風にリフォームされていた。ソファに座っていると娘の郁が、左腕をギプスで固定され手を吊って入ってきた。
「先日はありがとうございました。それに今日、母を送っていただいて」とぴょこんと頭を下げた。
「いえいえ、お安い御用ですよ。手のほうの痛みは?」
「ええ、痛みはありません。後は時間の問題。骨折は直ればその部分は以前より丈夫になると聞いたわ。それよりもお願いがあるの。母のお友達になってあげて欲しいの。老人ホームで見たとおり大変なの。話し相手がいないのよ。ここでは」
「うん、いいけど私をそんなに信用していいの?」
「ご心配なく。私を助けてくれたし、優しさもあるし、おまけにちょっぴりハンサムだしね」そのとき、光代がコーヒーカップを乗せたトレーを持って入ってきた。
「お話が弾んでいるのね。はい、コーヒーをどうぞ」
「ありがとう。娘さんを恋人にしようと企んでいるんだけど」
「あら、まあ。妬けちゃいそう!」
郁は、にこりとして眼を大きく見開いておどけた顔をした。そして唐突に
「あっ、思い出した。することがあったわ。じゃあ、ごゆっくり」と言ったかと思う間もなく、立ち上がって出て行った。郁は気を利かしたのだろうと健二は思った。
「加賀美さん、よろしかったらキャンプ場でゆっくりしてはいかがです? ご馳走を作りますよ」
「あら、うれしい。私キャンプの経験はないの。初体験だわ。伺うとすれば、明日になるわ」
「よし、じゃあ明日待っていますよ」




